今日は夫と久しぶりに朝散歩に出た。
天気が良かったが、
私は数年前と同じくらい、
やっぱり歩けなかった。
若い頃の夫は、
一緒に歩く事が難しい人だった。
気づけば私より先にスタスタと歩くようになり、
私の1メートル先をいつも夫は歩いていた。
同じスピードで歩けないのと文句を言ったが、
みかんが速く歩けば良いと譲らなかった。
もう杖だけでは遅く歩く事も怪しくなって来た頃、夫は私と同じペースで歩くようになった。
とても遅い私が、普通に歩けていると思うくらいに、ゆっくりゆっくり歩いてくれる。
病気になるまでは、
私は夫が大嫌いだったし、
夫は右の物を左にもやらない人だった。
涙ながらに何かを訴えても、
スイッチを押すと出て来る言葉のように、
ごめん、と感情のこもらない謝罪を投げる人で、
時々この人は、中にゼリー状の何かが入っていて、人間として振る舞っているのではと、
そんな事を思って苦しんだ。
病気になって私自身、非常に不自由な体になった。
色んな事が出来なくなって、
夫に頼るしかもう道がなかった。
そこでスーパーに夫と一緒に入った事が、
ほとんどなかった事に気づいた。
そんな事は俺の仕事ではないと、
はっきり言っていた。
夫が病気になれば、
ベッドサイドまで、
夫の病気時の定番料理を運ばされ、
私が病気の時は、
子供達にツナ缶を食べさせる人だった。
もちろん私には何もない。
それでいて、下からものを言って来るので、
モラハラともパワハラとも言い難い。
みかんのうどんが食べたいよー
食べたいよー
ベッドまで持って来てー
飲み物買ってきてー
こんな風に言うので、
断り辛かった。
しかし私が高熱を出しても、
今日は俺楽しみにしてた焼酎を飲むから、
救急外来とか無理だから^ ^
と、極上の笑顔で言われたものだった。
そして戦争ものの映画を、
爆音で見出す。
なのに悪気がある訳でもなく、
偉そうな訳でもなく、
とは言え私にポカリを買って来てくれるでもなく。
見かねた子供達が、近所の自販機まで、
自分のお小遣いで私の為に徒歩でアクエリアスを買って来てくれた。
その時に、コイツと離婚しようと、
若い私は思ったのだった。
気づけば病気になって、
もう7年ほど経っただろうか。
夫を頼り、夫を知ろうと努力をし、
うまく二人で老いて行けるには、
何をすれば良いのかと、
ASD当事者の人のブログを読んだりして、
私なりに努力して来た。
関係は改善されたが、
それでもやはり夫の事は良く分からない。
その方が飽きなくて良いのかもしれないが。
私の不自由な体はあまり変わっていないのだが、
夫や息子との関係は、
前より良くなったように思う。
それでも辛いと思う日は多い。
出来ない事をつい数えてしまう。
今日もそうで、こんなに天気が良いのに、
めまい感と頭痛で歩く事も出来ない。
日によって自分の体が動いたり動かなかったりして、自分の事が自分でも分からない。
いつか、いつかと歩いて来たが、
もうそのいつかは来ないのかもしれない。
であれば、手に入らないものを一生追い求めるより、今あるものに目を向けて感謝した方が、
多少幸せに生きられるのかなとも思う。
何が言いたいのか分からなくなってしまったが、
体がとても辛い日は、
色んな事を思うのだった。