難病やメンタル疾患、
その他色んな病気が世の中には沢山あるが、
病気になって一番難しい事は、
自分の現状を認めて受け入れる事だと思っている。
私は歩きにくくなった事を受け入れるのに、
6年ほどかかったと思う。
本当に受け入れたのはつい最近の事だ。
いつか治る、来年治る、3年後には、5年後には、そう思ううちに月日は過ぎて、
今私は杖で歩けるって有り難いと、
心から思っている。
依存性やメンタル疾患は、
自分を病気だと認める事が一番難しい。
認められねば病院にも行かないし、
治そうと言う気持ちにもならないのだが、
自分だけはそんなモノにはならないのだと、
絶対に認めない人は多い。
私は自分も含めて難病やメンタル疾患で苦しんでいる人を、プールで例える事が多いのだが、
全身の痛みや、メンタル疾患の症状で苦しんでいる人は、プールで溺れている人に似ている。
息が苦しい。水を飲みそう。
足をバタつかせないと、浮く事も難しい。
なのに隣のレーンでは、他人がスイスイ泳いでいる。
プールサイドでは、家族が何バタバタやってんだ、溺れたフリなどせずにさっさと泳げと叫んでいる。
しかしどう泳げば良いのか分からない。
必死に手足を動かすが、
うまく泳げず呼吸がしづらい。
苦しくて苦しくて、
でもプールサイドの人たちは、
何故泳げないのか理解ができない。
辛い辛いと騒いでいないで、
さっさとプールサイドまで自力で泳げと言って来る。
頑張れば泳げる距離なのに、
うまく手足が動かない。
水面ギリギリに顔は出せるから死にはしないが、
いつ溺れてもおかしくない恐怖と、
うまく泳げない劣等感、
水を飲み呼吸がし辛い苦しさ。
プールサイドにいる人たちには、
この苦しさが理解出来ない。
隣のレーンでは皆が当然のように泳いでいて、
何故自分だけが皆のように泳げないのかと、
息をするのもやっとの状態で、
他人と自分を比べて落ち込む。
私は自分も含めて、病気をそんな風に認識している。
とにかく苦しいものは苦しいし、
プールサイドにいる人には溺れる苦しさは理解出来ないのだと思った方が良い。
苦しいと思ってはいけないと思う人も多い。
空は青、日は赤く、私は辛い。
それで良いのではと思う。
ただでさえ体が辛いのに、
辛いと思う気持ちすら否定すると、
もっと辛くなると思うのだ。
辛い事を否定しなくていいと自分で心を解放してあげたらと思うのだった。
苦しい時は人のアドバイスなど耳に入らない。
辛いから当然だ。気にしなくていい。
正論は石より硬いと聞いた事がある。
正しいからと言って、
言われて辛い言葉は気にしなくて良いと思う。
沢山の人に理解されないかもしれないが、
同じ苦しみを抱えている人なら、
きっと理解出来ると思う。
何が出来るわけではないが、
辛い時は辛いと思えば良いと思うし、
そうだね辛いよねとしか言えないが、
正論を投げられるより良いのかもしれない。
私は自分の体がとても辛い。
あなたの辛さとはきっと違うだろうが、
あなたもとても辛いだろう。
私も辛いし、
毎日辛いと思っている。
だから辛いと思う自分を責めないで欲しい。
十分辛い思いをしてるのだから。
私は明日も空を眺めるだろう。
遠くの誰か幸せを願って。