友人とランチに行った。
楽しかった。
外は雨だった。
土砂降りだった。
優しい友人は私の為に傘を差してくれた。
玄関から駐車場まで、駐車場からカフェまで。
そんな些細な道のりが、私には遠く、のろい。
友人はずっと傘を差して、
濡れないようにしてくれた。
数年前にランチに誘われて、
不安症で外に出られないと断ってから、
随分と時間が流れた。
帰りがけに何気なく聞いた。
数年前に会った頃より、
私元気になってるかなと。
友人は一瞬動揺して、
なってるよ大丈夫!
と、言ってくれた。
気を遣われたと分かった。
申し訳ない事を聞いた。
次からこういう答えにくい問いかけはしないようにしようと思った。
そう思う自分の心が、
数年前より格段に良くなっていると思った。
が、歩きにくい事実は変わらないまま、
普段気にしないように意識していた自分に、
あなた忘れているようだけど、
おばあさんくらい歩けてないよと、
現実を突きつけられた気がした。
友人とは楽しく過ごせた。
途中クラクラしたが、
いつでも辛かったら帰るからとの言葉に、
気持ちがとても楽だった。
楽しかった反面、同世代の友人より、
はるかに歩けない自分に落ち込んだ。
家に帰ってしばらく、
落ち込まないように努力した。
うちはうち!よそはよそ!
意味は違うがそんな言葉を繰り返し言った。
そうこうしているうちに息子が帰宅した。
私は息子に聞いた。
この二年間、君とはスーパーなどに一緒に行っているのだがね。
母さんの病気は良くなっていると思うかね。
そんな風にわざと茶化して聞いてみた。
夫はいつだって良くなってるとしか言わない。
息子なら本当の事を言ってくれる気がした。
あのさあ、僕は嘘はつけないから言うけど、
ずっと変わってない。
悪くはなってないけど、良くもなってない。
お母さん、
今スマホ見たりYouTube見れてるやん、
人間は付き合って行かなくちゃいけない病気の一つや二つあるもんだよ。
お母さん不自由かもしれないけどさ、
こたつでYouTube見られるんだから、
幸せじゃん。
別に歩きにくくても良くね?
などと言われた。
喘息でずっと苦しみ、
今はアトピーで体の痒みと共存している息子。
そんな息子の言葉は重かった。
夫や息子がもしいなくなったら、
そう思うとどうやって生きれば良いのだろう、
歯医者も病院も自力で行けず、
タクシーを呼べばいくらかかるのだろう。
過疎地にはタクシー会社すらない。
往復どれだけの距離を走るのか。
先のことを考えたら答えが見つからず、
この不自由な体と、不自由な過疎地で、
どう老いて行こうか途方に暮れている。
息子の言う事は一理はあるが、
正論だとは思わない。
家事一切を私がやっているのだ、
それが全て出来なくなった時、
息子はとても負担に思うだろう。
私の代わりに家事が出来るとも思えず、
暗い気持ちになった。
息子の部屋は汚いを通り越して、
イノシシでも紛れ込んで走り回ったのか、
と言うほど荒れ果てていた。
もはや廃墟の一角のようだ。
一体何をしたらこうなるのだろう。
これらを片付けるのはいつだって不自由な体の私で息子ではない。
いくら言っても聞かないので、
そろそろキツく言おうかなと思っているが、
多分その一瞬だけ気の毒な顔をして、
食器や洗濯物を巣から運び出し、
また持ち込んで溜めるだろう。
楽しい時間が台無しになるくらい、
友人との健康の差に絶望し、
息子の言葉に気持ちが落ちて、
そして息子の廃墟部屋にため息が出た。
体の筋トレのように、
心も筋トレしないとダメなようだ。
私はそれを何かで知ってから、
ずっと心の筋トレをしてきた。
数年前の私なら、
一時間ほど泣いたであろうこの出来事も、
今の私はよそはよそと呪文のように唱え、
泣かずに済んでいる。
病気は不便であって不幸ではないと言う言葉をどこかで見たが、
正直そんなのどっちだって良くて、
不便なものは事実であって、
生活がままならないと死ぬしか選択肢が無くなって来る。
不幸かどうかなんてどうでも良い。
明日食べるものを買いに行けず、
歯茎がもし腫れても歯医者に行けず、
具合が悪くても病院に行けなければ、
死ぬしかなくなって来るだろう。
しかも福祉が使えるほどのはっきりした病名がない。
過疎地は屋根雪も含むと庭に4メートルの雪が積もる。
それ以上になると自衛隊に救助を要請するか、
食料を投下してもらわないといけないようだ。
そんな厳しい環境で、
この不自由な体で老いて行くのはさすがにきつい。
そんな事をぐるぐると考えて時が過ぎる。
寝て起きればまためまい感でふらふらだ。
辛い。
久しぶりに辛い。
なんだかんだと現実を見ないようにしてきたが、
辛い。
まあ仕方ない。
人生は苦しくて普通らしいから、
やり過ごして楽しい事を探すしかない。
寝て起きたら気持ちも落ち着くだろう。
人は人。私は私。