3月11日、午後2時46分。
それは突然襲ってきた。
横浜のベイクウォーターに在る、野村総研のビル内で打ち合わせをしていた時の事。
突然、激しい眩暈に襲われたかのように、体がグラングランと揺れだした。
執務室の誰もが、青ざめた顔で呆然としている。
防災用のヘルメットを被る者、床にひざまづく者、机の下に潜る者・・・。
パーティションは倒れ、パソコンのモニターは無残に崩れた。
このビルは免震構造になっているので、耐震より激しく揺れる。
免振は、揺れる事でエネルギーを逃がすからだ。
今日が命日か、ここが終焉の地か、そんな考えが頭をよぎった。
しばらくして、揺れが納まったところで外へ。
当然エレベーターは停止。
20階から階段で下へ下へと向かう。
外に出ると、あちらこちらのビルから、続々と人が出て来てる。
ビルの窓から、横浜の街を眺める。
川の水が逆流している。
ここまで津波が押し寄せて来たのだ。
その後も余震は続き、その度に恐怖に包まれる。
勿論、交通機関は全て停止。
家族への連絡も、電話がつながらずにままならない。
宮城県では、大規模な津波が発生。
福島原発が被災して、放射能漏れの危険大とのこと。
石巻の旧北上川近く、それと、東松島に親戚が居るので、とても心配になる。
津波は大丈夫だったろうか・・・。
中には、一晩かけて歩いて帰宅する者も居た。
流石に横浜から川越までは歩けないので、家の様子を案じつつ、食堂で一夜を過ごすことに。
一晩中続く余震に、まどろんでは起こされ、まどろんでは起こされが朝まで続く。
TVはどこのチャンネルも、一晩中、震災関連を報道している。
ようやく日が昇り、不安な夜が明けたが、未だに交通機関は停止。
国道には車が溢れ、1cmたりとも動かない。
これでは、緊急車両も進めない。
阪神大震災の教訓は活かされていないようだ。
午後2時頃になって、いち早く動き出したのは、京浜急行だった。
どこまで行けるか分からなかったが、取り敢えず京急で川越方面を目指す。
なんとか、家に辿り着き、被害状況を確認。
なんと、普段通りではないか。
食器棚が倒れるわけでもなく、TVが倒れるわけでもなく・・・。
訊けば、初期棚の扉が開いたけど、それ以外は何事も無かったとのこと。
そう言えば、川越あたりの地盤は、メッチャ強固な地盤である事を思い出した。
千葉や浦安辺りでは液状化現象で地面が沈み、マンホールが煙突の様に突き出たりしている。
地盤の強弱で、こうも被害状況が変わるものなのか。
家も家族も無事だと分り、ホッと胸をなでおろす。
時間が経つにつれて、続々と各地の被害状況が伝えられる。
海外からは救援チームが派遣され、救援物資が送られてきている。
気象庁から詳細なデータが発表された。
地震の規模はマグニチュード9.0。
発生時点において日本周辺における観測史上最大の地震だそうだ。
家屋倒壊、津波で無くなられた方は数知れず。
その後、福島原発は原子炉の冷却が出来なくなり制御不能。
ついにメルトダウンへと進むのである。
今回の大震災については、Wikipediaに詳細に記録されているので
そちらを参照頂きたい。
とにもかくにも、無くなられた方一人一人のご冥福をお祈りいたします。
合掌。