暇なので池袋を歩いてみた。
ここは、23歳まで生まれ育った街。
幼稚園、小学校、中学校は地元だけど、幼稚園はもう無いし、小学校もコミニュケーション施設になってる。
中学校も統合されて、名前が変ってる。
昭和の面影が、どんどん消えて行く。

生まれたのは、要町病院です。

ここは、まだやってる。

ここが、大明小学校。


23歳まで通った銭湯。新栄湯


小学校の時に通った、そろばん塾。

名前が変ってて、三五そろばん塾。
まさか、先生の苗字が三五だったとは・・・。

懐かし気に見てたら、塾の前にお爺さんが。

声を掛けてみたら、なんと!
三五先生ではありませんか!!!
何という偶然。
お元気だったとは。
昔の話を語り合って、お別れしました。
いやー、嬉しいハプニングでした。

ここは、生まれてから中学二年生まで住んでいたアパート泉荘の跡地。二階の十号室。
アパートと、大家さんの質屋を潰して建てたマンションです。

四畳半一間に親子4人。
共同流し、汲み取り式(いつ頃だったか、水洗に変りました)の共同便所でした。

すぐ隣に、中学校二年生の時に引っ越したアパート、白鳥荘の跡地。
やっぱり、ここもマンションになっちゃいました。

四畳半二間にレベルアップ、玄関に超狭い流し付き。
でも、トイレは相変わらずの共同便所。
大きなアパートだったので、個室の数は4個も有りました。
一階の5号室だったなー・・・。
ここに、23歳まで住んでたわけです。
23歳で結婚して、川崎の方へ移りましたが、両親と妹は、そのまま居ました。
マンションに建て替える話が出て、朝霞に中古のマンションを買って、両親と妹は引っ越しました。

この道は、アパートから駅へ向かう時の通学・通勤道路。
銭湯へもこの道です。

銭湯は、アパートから30秒でした。
左側が銭湯の壁です。
右側にラーメン屋が出来たけど、これが超不味い。
案の定、すぐに潰れたっけ。
その後に入ったのが、小料理屋「宇野」。
両親が足蹴く飲みに行って、いつしか家族ぐるみの付き合いに。
宇野のママさん、お米貸して~とか、お醤油貸して~とか、来てたっけ・・・。

丸井の横から池袋駅方面です。

丸井が出来る前は、バッティングセンターでした。
外に飛び出た軟球を拾ってたら、みつかって怒られたっけ・・・。
罰として、掃除をさせられたなー。
でも、掃除が終わったら、2ゲーム打たせてくれた。
昔は人情味が有ったよね。
今の世の中は世知辛い・・・。
正面の東武デパートは、小学校6年か中学1年の時に建て替えられたのかな。
レストランフロアーは水の街やら、滝が流れる街やらのテーマで作られていて、とっても斬新的だったなー。
今は、見る影もないけどね。
出来た頃は、アイジョージ、井上順、浅田美代子とか、毎週のように来てた。
ピンポンパンの収録までやってたっけ。
全部、見に行ったけどね(笑)

さて、十分に感傷に浸ったので、家に帰りますか・・・。
家族の待つ我が家へね。
今は、川越に住んでます。
住めば都とは良く言った物で、いい所ですよ。
では。