今日は姉の誕生日でした(^^)

昨日思いついて、こんな写真を撮ってみました。

可愛い〜(≧∇≦)

やはり髪を切ったりチークを足したりした効果はあると思います!

金髪ショートちゃんもいい感じ=(^.^)=

画像を送ったら喜んでくれたよう。

今、卒業シーズンでもありますね。

わたしは年を取れば取るほど息のしやすさ、生きやすさを感じているので、苦しかったけど学生時代を過ぎることができて心底ほっとしています。

数えきれないほどみるテストの夢がそれを物語っているなぁと(^^;)

ガバッと起きて、大学まで卒業したこと、働いていること、結婚して今に至ることを順々に確認して、ああ、もうあそこにはいないから大丈夫だと胸をなでおろす瞬間の焦りと解放といったら…。

テストそのものより、学校という場からの、解放感なのです。わたしは。

今はSNSもあって、若い方々の苦悩は更に増しているかもしれません。

時代には抗えない中、本当によくやっているのだと思います。

ゆとりとかさとりとか言うけど、多少なりとも鈍感でいないとつらいでしょうがと思う。

先取り先取りでがむしゃらな時代から、何にどんな意味を見出しどんな生き方を選択するか個々人に委ねられる時代になっていっているのだなと感じます。

それが悩みのたねにもなるのですが…

これというものがある人にはよいのかもしれないけど、ない人には、これでいいんだろうかと自問自答を繰り返すことになるかもしれないし。

逆に多様性に寛容でなく世の中の価値観にある一定の流れがあったときは、これというものがない人の方が順応しやすかった可能性がありますよね。

ある人は、変わり者はみ出し者のレッテルを貼られていたのかもしれない。

うーむ…

なんでこんな話になったんだっけと読み返したら、卒業のことでした( ´∀`)

そう、卒業。

だんなさんは寂しさを感じたんですって、中学を卒業するとき。

わたしはよい人間関係を築けず嫌な思いもたくさんしたから、やりきった自分に感無量というか、これでもうあんな思いをしなくて済むという一筋の光が見えて、泣きに泣いていました。

担任の先生はあまりに号泣するわたしを見て、違う感情の涙と勘違いしたと思いますが、わたしは心底嬉しかったんです。

正当なやり方で離れられるのが。

いかん、暗くなってしまう(笑)

なんだろうなぁ、もし、あの頃の自分に声をかけるとしたら、「大丈夫、将来信じられないくらいハッピーなことがたくさん起こるし、どんどん楽になるから。今つらい思いをした分、人の痛みをわかる大人になれるよ。あなたがどれだけ自分をすり減らして日々生きているかはわかる。でもすり減らさないで自分らしく生きられる仕方を今のわたしがよく考えてやってみてるから。一緒に生きよう。大丈夫。」かな。

いかん、涙が…(T_T)

わたしが悩みに悩んだとき、一番言われて嬉しかったのが、大丈夫、です。

だんなさんは結婚する前から、悩んでこの世の終わりみたいなわたしの言葉を最後までよく聞いてから、いつも笑って大丈夫と言ってくれました。

そのときはだからと言って大丈夫だとは思えなかったけど、自分で自分を信じることができなくなったとき、誰かが信じてくれているということは本当にありがたいことです。

おかげさまで今ではこの世の終わりと思い詰める時間はほぼなくなりました(だいぶんかかりましたけど…)。

だからわたしも大丈夫と伝えたい。

資格試験に合格したら、できるようになるかもしれないのです。

やり方はわたし次第だけど。

…お姉ちゃんの誕生日、どこに行った?(笑)