
土偶が大好きです。
今借りてる本の中に『国宝土偶「縄文ビーナス」の誕生』というのがありまして、
ふと思い立ち身近にあった土偶グッズで記念撮影をしました☆
博物館に勤める母がプレゼントにくれたものが大半です(・∀・)
土偶には夢があります。
今から一万三千年以前に始まったとされる縄文時代。
その後一万年以上も同じ時代が続いたことだけでも衝撃的で魅力的なのに、
そんなはるか昔にひとのかたちを模した造形物がつくられていたなんて・・・
しかもかわいい。あ、稚拙な表現ですがあえて言います。土偶はかわいい。
つくり手も、つくられた方もひと。ひとが愛おしく感じられる。それが土偶。
ほとんどが壊された状態で出土されるので、周囲の親しい人の病気やけがの回復を願い
儀式的に使われた、つまり初めから壊すことを目的につくられた、という説が
主流の一つの「何故、土偶はつくられたか?」。
でも縄文のビーナスはどこも欠損せずに出土したわけです。
ロマンがありますねぇ。
おなかが大きい女性像の土偶が多いことから、繁栄の祈りのためにつくられた
という説もあります。
では何故その多くが壊されてから埋められたのか。
謎です。
建築学者で評論家の上田篤さんは、著書『縄文人に学ぶ』の中で
土偶は「元母」ではなかったかと説いています。
そもそも一万年も続いた縄文時代。
同じ時代が長く続いた背景には、母系制社会があったのだと上田さんは言います。
引用します。
* * * * *
そこで重要なことは、すると縄文社会は母系制社会だった、とおもわれることだ。(略)
では、母系制社会がなぜ重要か、というと、父系制社会ではしばしば力の強い男が多数の女を抱え
てたくさんの子供を生ませ「血族王国」を構築したがることだ。その結果、権力をめぐって男どうし
の争いが始まる。またそれぞれの子を産んだ女どうしの争いも始まってことはいっそう深刻になる。
ところが母系制社会では、そもそも男に子供がない。また一人の女の産む子供の数も限られ、また
女は子供を分け隔てなく育てるから争いも起きにくかったとおもわれる。その結果、母系制社会の母
たちはすべての子供とその子孫の安寧を願い、ために血族集落つまり家は持続され、社会は安定した
とおもわれる。
* * * * *
この母系制社会の象徴が「元母」、その家系のルーツの女性を像にして
一族は繁栄を願ったのではと推測されているわけです。
とはいえ、同じ場所に同じ家系が何百年何千年続いたとは考えにくいですよね。
住みやすい土地ならば一つの家がついえた後にも新たな集団はやってきます。
そこで新しい家の人々は前の家の元母である土偶を割って厚く葬ったうえで、
新たに自分たちの土偶を祭ったのではないか、というのが上田さんの説。
わたし、この説が好きです。
これなら壊された土偶とそうでない土偶が両方出土する理由もわかるし、
厳しい自然に人々(特に女性)の情や連帯感や暖かさが共存していたとすれば、
こんなに素晴らしいことはないって思います。
縄文のビーナスは、きっと、あまりにも立派で美しかったから
後の人々があやかろうとしたんじゃないかな。
だってだっておしりがどーんと大きくて落ち着いた顔もしてるし
安心感・安定感はんぱないもの(笑)。
割る目的につくられたようにはどうしても見えない。
そう、なんだか論文のようになってしまったけれど、
土偶が人を魅了するのは、その造形美と出土の謎、そして安定した縄文社会への
憧れがあるからではないかとわたしはおもうのです。
ギガゾンビの手下、ツチダマは怖いけどね・・・