何かを書けば、誰かへのメッセージになったりならなかったりします。


どちらでもいいのですが、最近ホトトギスの慣用句のことを考えていました。

ら、がんばっているけど苦しんでいる不特定の誰かを浮かべていたようです。


それはもしかして、ちょっと前の自分かもしれない。

でも別の誰かかもしれない。わからない。


そこはそんなに重要じゃないのでよしとして、わたしが選んだ言葉は以下です。


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鳴かぬなら、見て楽しもうホトトギス!


殺す必要も、待つ必要も、相手を変えようとする必要もないと思うわたし。

今楽しめることを、自分主体で。


鳴かぬなら、こちらが鳴こうホトトギス。


聞き上手の一面も。


鳴かぬなら、一緒に飛ぼうホトトギス。


飛べなくてもいいんです。飛ぶつもりで。


鳴かぬなら、一緒に昼寝でもしようホトトギス。


縁側で風に吹かれながら…

最高。


鳴かぬなら、鳴かないでいい。ホトトギス。


誰だってそのままでいいし、そのままがいい。

自分だって。変わろうとする姿勢は大切かもしれないけど、

できれば今の自分を否定せずにしたい。

こんなわたしがいる。こういうことをしている。

次はこうしてみよう。こんな面もあったらいい。


同じで、誰かのすることが気に食わなくっても仕方ない。

だってその誰かも、そのままでよしの判子を生まれながらに押されてるんですもの。

それこそが生きることというくらい、強い、取れない なくならない印。


真面目な人ほど、自分にも他人にも厳しいもの。

なんとかして鳴こう、鳴かせようともがいている人がいたら、

わたしだったらこう声をかけたい。

「鳴かないでもいいじゃない、それより気持ちいい風が吹いてるよ」って。


こだわりを手放し、五感の目を開く。

今のままでできることで、とても楽しいことです。

よかったらやってみてください。


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