やほほ♪
昨日親知らずを抜きました!
左下の奥に今ポコッと穴が開いているのですが、
空いている まるを見て、こんなところに歯があったんだなーって
思います。確かに、使わないような場所…。
左上にも もう1本あるので、いつかそれも抜きたいです。
さて。
そう、考えるということについて、は、
感じたことをベースにするというのが自分には いいと思ったのでした。
感じたことを考えで訂正するのではなく、感じたことを実現するために
どうすればいいかを頭で考えればいいのかな、と。
わたしは最近ある出来事を通して、自分のあり方を自分に問い続けていました。
いくつかの本を読み、信頼する人の言葉に耳を傾け、
結果たどり着いたのが、「思うままに生きよう」ということです。
誰かのようになろうと焦ったり、社会から認められる優等生になろうとしたり
すぐ罪悪感に逃げたり、そういう自分を尊ばない行為はもうやめようと思いました。
最近の心の師は銀色夏生さんやウィリアム・レーネンさんだったりしますが、
ウィリアム・レーネンさんの著書の中にあった
「罪悪感は自分への虐待」という言葉にはハッとしました。
そう、わたしは何かにつけてすぐに罪悪感を感じて、
そうすることで何かから許されようとしていたと思います。
傷ついてる被害者だと。傷つけているのは自分なのに。
で、自分を尊ぶ練習をしていて、その第一歩は、「感じる」ことだそうです。
直感やフィーリングを大事にすること。
そうはいってもまだまだ自分の感じることすらわからないことも
ありますが、徐々に、自分の声に耳を傾けていこうと思います。
わたしみたいな左脳でものを考える(なぜ?どうして?理屈は?というタイプの)人間には
練習が必要ですが、もともと無意識に右脳中心に生きている人も
確かにいると思います。
身近な人で言えば、まちゃん!(恋人)
だって、計画することは嫌いだし、行きたい場所とかやりたいことも
ころころ変わるし、気分屋だし、なんとなくで物を決めたりもするし、
でもいいなと思ったらずっと追求する。
わたしがまちゃんに魅かれたのは、自分にはできなかった物の考え方を
実践し続けているからでないかと最近思うのです。
…そうそれで、いろいろあった中でとっても良かったと思うのは、
「人それぞれでいい」ということを心からそう思えるようになったこと。
前から、そう思っているつもり、でした。
でも気づくと人と自分を比べ、年収や地位を比べて、
フリーターや主婦などの友だちの話を聞くと、
自分のほうがちゃんとしてると思っていました。
けど。
本当は、他人なんてなんの関係もないもの。
わたしじゃないんだから。
何かにつけてすぐ誰かや何かを批評し、優位に立ってるつもり
になっていたことを今では恥ずかしく思います。
で、なんだか長くなりましたが、ちょっと、変化しています。
最近、自分が。意図的に。という話。
「善い人間になっておだやかに暮らす」ことを夢見てきましたが、
「ありのままの自分でおだやかに暮らす」ことにします。
それで。
今日感じて早速行動してみたことがあります。
それは、「ひきこもり支援相談士」という資格養成講座の受講申し込み。
が認定する資格で、受講資格は一切なし、誰でも受けられるというものです。
自分にも少し経験があるもので、ひきこもってしまう人の支援というのは
前々から心のどこかにあったことです。
前にそういうことを思ったのはいつだろう。
高校生くらい…かな?ということは、わたしの経験より前か。
まぁ、とにかく、思い立ったらすぐ行動するのが効果的のようなので
申し込みをしました。
自分にどういう経験をもたらすか。
自分がどうポジティブに対処するか。
楽しみです(・∀・)