こんにちは(^-^)
最近、時間があると常に銀色さんの「つれづれ」シリーズを読んでいます。
①から読み直そうかなと言った日から読んでいて、
今、⑯。
ああ。もうすぐ最新刊に追いついてしまうではないか。
読む中で、いろいろと考えます。
そう、それで、考えたことは書いた方がいいと思ったのでした。
どこどこに行ったとか何食べたとか、楽しいことはアルバムのように、
また同じような気分になったり振り返ることができるから
それはそれでいいのだけど、そうでないとき、
例えば苦しいときは苦しいときで、そう書いたら、
あとで苦しくなくなったときにそこにいる意味を考えるのに役立つから。
やっぱり、考えるためか。
そう、考えるため。自分が進んだとき、
自分の考えも進めるために都度都度の考えを記すべきだと。
こんなワタシ、哲学科出身。
あは(・∀・)
小難しくいろいろ考えすぎとよく言われますが、
頭の中はぐるぐる、顔はにこにこ。が、最近のスタイル。
前は(中高生くらい)、頭の中ぐるぐる、しかめっ面。でした。
少しは社会に適応してきているようです。
本当は頭の中もにこにこしていたいのだけど、
(穏やかに いろいろ気にしすぎずおおらか、という感じ)
性格がそれを許しません。
そういう星のもとに生まれたと思って、この性格を楽しみます(・ω・)/
さて。
最近思ったことに、何かを好きだという気持ちは
偉大だなということがあります。
恋人でも場所でも物でもなんでもよいのですが。
なぜなら、理由がないから。
原因解明ができないから。
原因解明ができない以上、他の動機とは大きく異なるから。
理由なく動機になりえるなんて、何かを超越している。
「好きだから」ですべてのことが選択できるなんて、とても画期的だと思う。
そう、だから、人は好きなことをしてよいのだと思います。
その「好き」なことが社会に属しているならば、
決められたルールは守らないといけないけど。
そしてもちろん、自分で責任が持てる範囲の話だけど。
絵を描いて暮らしても、
外国に行って帰らなくても、
ギネスブックを目指しても、
お好きなように。
好きなことをやるためにどうすればいいかを常々、考えていればよいと思います。
どうすればいいかの前にどうしたいかが必要ってことよね。
そこを、突き詰めて。
今、しようとしていることが本当にしたいことか。好き、か。
「すべき」という言葉をよく使うわたしですが、これがなくなると
いいと思う。
頭もにこにこになれるかも。
まとまってなくても、「考えたことは記したい」に変更しよう(^_^)v