今晩は。
ちょっとお久しぶりでした。
突然ですが、今 鬼束ちひろさんが話題になってますね。
豹変したとか、自由すぎるとか。
そのことについて思うことがあるのでここに書かせて頂くと、
自由すぎるのは受け手の側なんじゃないかと。
そもそも才能のある人は他の多くの人にない
感性があって、魅力があって、そこに人は惹きつけられると思うんです。
その多くの人との感性の違いはおそらくすごく小さい隙間で、
でも確実にずれていて、その隙間から人の魂を揺さぶるような
作品を生み出すこともできれば、その隙間に
多くの人が感じることのないような虚無感や厭世観、孤独に
苦しみもしているのだと思います。
ちょっとのずれは才能だ奇跡だともてはやして
ずれすぎたら奇行だとか理解できないなんて、
表現者の追っているリスクに対してあまりにも無敬意に感じます。
豹変したのは受け手の方でしょって思う。
期待と違うから。自分が求めているものと違うものが
返ってきたから。受けるだけの人こそ本当に自由です。
多くの人に見られる立場の人は制約がつきまとって
命を使って生きていると思います。
命をすり減らさないで力を抜いて楽にしたまま
やいやい言う人はよほど多くいて絶対にいなくならないと思うけど、
わたしは表現されたものに助けられて生きているから
敬意と少しの畏怖とたくさんの感謝を忘れずにいたい。
そこに至った背景なんて知るも知らないも自己満足。
鬼束ちひろさんの『月光』のMVは何度観ても素晴らしく心が騒ぎます。
わたしにとってはそれが事実。