このブログとのご縁に感謝します🐞✨🌈
入院生活後半は、病理検査の結果と、今後の治療方針の説明も受けて、人口肛門(ストーマ)の勉強や、食事指導などを受けながら
だいぶ、心にも余裕ができてきました❣️
お掃除のおばさんと「病院内あれこれ」を、面白く聞いたり❣️
看護師さんに、オススメ韓国ドラマを教えてもらったり❣️
友達からのLINEを楽しんだり❣️
実家の母から送られた、誤変換だらけのLINEの文章を笑いすぎて、
お腹の傷口が痛くなったり(笑笑)❣️
わたしの部屋の窓から、ドクターヘリが飛んでいくのをみて、ああ、こうやって、命が守られていくのだなあと感動したり❣️
LINEで送ってもらった、愛犬の写真をみながら、
思わず微笑んだり❣️
そして、他の患者さんの命のドラマの一部を臨場感あふれる感じで、垣間見たり、、、、、
わたしは、4人部屋でしたので、カーテンの仕切りだけですと、他の患者さんと看護師さんや先生との話も、聞こえてきます
3週間も入院生活していると、同じお部屋の患者さんも、入れ替わりも多かったのですが、
いろいろな命のことを考えました❣️
肝臓をとってしまった患者さんは、カーテンがあいていたときに、「こんにちは」とあいさつしました
化学療法の影響なのか、髪の毛はなかったのですか、ニッコリ「こんにちは」とあいさつしてくれました
肝臓をとっても、生きているって、人間の体の神秘と、医療技術の進歩に感動したり
ボケてしまっているおばあちゃんは、どうやら肺にお水がたまっていて、先生にも先は長くなさそうと言われたと、
娘さんが看護師さんに泣きながら話していたのを耳にして、命の最期に誰もが向き合うシーンを感じたり
血圧が低いね〜と看護師さんから何回も言われていた、もう1人のおばあちゃんは、夜中に突然トイレで倒れてしまったらしく、そのまま亡くなったと、お掃除のおばさんから聞いて、天寿を全うされたシーンを感じたり
病院は、患者さん一人一人の命のドラマが臨場感あふれて、繰り広げられていました
患者さんは、みな、なりたくて病気になったわけでは、ありません❣️
ですが、病気になることで、本人も家族も友達たちも、何かしら気づきがあると思っています❣️
「命」ということばの意味を、斎藤一人さんは、次のように、語っています
「命」って、「人は一回叩かれる」と書くんだよね
人は、魂の成長のために、生まれてきていて、
大なり小なり試練というものを、人生の中に入れてきているんだよね
神さまがね、その方法、その感情の使い方、その考え方、違うよ‼️って、方向違いとわからせるようにして、叩かれるような試練を与えてられるんだ
ただ、その試練は、その人が乗り越えられるものしか選んできていないんだよ
そして、その試練を乗り越えると、その人にとってとても魂の成長となるような、ストーリーになっているんだ
と、本の中でも、YouTubeでも、語っていることを、思い出しました❣️
人生は、一人一人の命の物語です❣️
その命の物語を書いているのは、自分です❣️
病気になったことも、治療することも、自分以外の誰かに
「誰か〜‼️わたしの代わりにこの病気、この治療をやってくださいませんか〜⁉️」
って、大きな声を出して、宣言したとしても、誰も代わりにやってはもらえません❣️
まずは、覚悟を決めて、
そして、病気を受け入れて、治療と向き合おうとしている、勇気ある自分のことを、褒めてあげて、先生が言って下さったとおり
「前向きに進もう」と思いました❣️
「自分なんてダメダメだ」とか
「なんで自分ばっかりこんな目に」とか、
自分攻めを始めると、負の感情にぐるぐる巻きになってしまいます❣️
このへんの自分の立ち位置を確認していったことについては、またあとで書きますね❣️
こうして、3週間におよんだ入院生活、
途中、家事全般を任せていた娘ちゃんから
「まだ〜❓まだ退院にならないの❓」
と何度も何度もLINEがありましたが、
全面協力体制の家族に感謝して、
無事に、人工肛門(ストーマ)の取り扱いもマスターし、先生からも退院OKが出て、
入院生活の卒業の日を迎えるのでありました❣️
次回へつづく