こんにちは。そらのこくばんです。

いよいよ今日は、支援学校を卒業する日です。

大きな節目の日なので、今日はたくさん書くことにします。

 

 

ママは朝早くから髪を結って、着物をきて、バタバタの大忙しです。

着付けは若い頃に習ったそうですが、パパの仕事の関係や子育てで、なかなか続けるのが難しく、今では晴れの日に、手順を忘れないように着物を着るくらいになってしまったそうです。

こずえちゃんは、他の保護者の方々と同じように、素敵なスーツを着てほしくて、何日も前から、何かにつけ、「なんでスーツ着ないの?」という言葉を何度も発しては、着て欲しいアピールをしていましたが、ここはママは譲りません。

 

 

いついもなら、制服の上にウインドブレーカーまで着てから、ご飯を食べるのがこだわりの日課ですが、今日は万が一汚してはいけないと、予め話を通していたものの、いつもと違う状況に、ちょっと不機嫌になりながらも、ご飯を済ませました。

アイロンをかけたYシャツと制服に着替えると、いつもの様にお家を出て、下水道の工事でできたアスファルトの上の線にそって真っすぐ進み、線の通りに直角に曲がって歩くこずえちゃんを、見えなくなるまでママはお見送りです。

 

それからママとパパはバス停まで車で向かったのですが、途中で歩っているこずえちゃんを抜かすと、「随分と歩くのが早くなったなー!」とパパが一言。

ママは、そうでもあるしそうでもない。というのが正直な感想。どうすれば間に合うのか、時間の感覚がつかめないこずえちゃんに、早くすることを教えるのは今でも至難の業だからです。

 

バス停について、スクールバスの運転手さんと添乗員さんへお礼のあいさつをし、たくさん悩みを話したママ友さん達にお別れを告げ、バスが出発するのをお見送りました。

 

 

その後すぐに、パパとママが学校に向かい、受付を済ませると、在校生が体育館までエスコートをしてくれました。

途中ママは、職業クラスのフード班で大変お世話になった先生とすれ違ったので、卒業する先輩方への色紙(テイクアウト用の紙のフタ付きカップに、蛇腹におった飛び出す写真の仕掛けがついた、皆さんの暖かいメッセージ付きの色紙キラキラ)があまりにも素敵だったことをどうしてもお伝えしたくて、ついお引止めをし、お礼を言っておりました。

ぼくもこんなにステキな色紙をもらったのを見たことがなかったので、特別支援学校の生徒さんたちのアイディアの素晴らしさに、驚きを隠せませんでした!!

 

 

体育館に入ると、紅白の幕が施され、卒業生の皆さんの卒業制作のオルゴールが美しくならべられ、厳かで、暖かくて、そして物悲しくて... あー卒業式だなーって思わせる空気に包まれていました。

 

式次第といっしょに渡された、育ててくれたお父さんとお母さんへの感謝の手紙は、レースのような綺麗なネームプレートが、ピカピカの薄いピンクのクリップで留められていて、なんとも優しさを感じさせるものでした。

メッセージには... 

『私を育ててくれたお父さんとお母さんへ』と、

道徳で名前の由来について学習し、自分の名前が好きなこと。

三年間で楽しかったこと。

がんばったこと。

成長できたこと。

卒業式の決意は...

『卒業式では、感謝の気持ちをむねに、大きな声で返事をして、どうどうとしたすがたでしょうしょを受け取りたいと思います。高等部3年間で成長したすがたを見てください』と書かれておりました。

最後は、お礼の言葉で締めくくりです。

 

 

式典が始まり、卒業生が入場すると、皆さんどこか大人っぽく見えました。

なぜなら、社会人としての身だしなみの授業のときに、男子は自前のネクタイの結び方を、女子はメイクの仕方を学習し、男子はこの日、学校指定のネクタイではなく、自分のネクタイを締めていたからだと思います。

それから靴も、男子はスーツにあった革靴で、女子はローファーを練習のときから持ち込んでおり、この日が皆さんの前でのお披露目だったからだと思います。

こずえちゃんは、かかとのないぺったんこのストラップのついた黒のパンプスを選んだので、先生やお友達から「かわいいー!」と言ってもらえて、とっても嬉しかったとママに報告しておりました。

 

 

いよいよこずえちゃんの卒業証書授与の番です。

ピアノが得意な先生による生演奏の”ベストフレンド”が流れる中、名前が呼ばれると... 

大きすぎじゃない?とも思えるくらい、気合の入った精一杯の声で、メッセージ通りの大きな声で返事をし、ゆっくりと校長先生の前へ進み、深々とおじぎをし、証書を左手、右手の順で受け取り(小学、中学の時は手が逆だったと、練習では文句を言っておりましたがアセアセ)、頭の上に証書を高々と掲げておじぎをし、肘を引いてから証書を折りたたみ、左わきに抱えて、90°きっちりと左を向いて、一歩一歩、まるでイギリス王室の近衛兵のように、胸をはって、足を真っすぐに前へ出し、かかとからゆっくりとつま先に向かって踏みしめ、並べられたお花のプランターの間を通って、証書を置くための台まで進み、自分の席へ戻っていきました。

(後から、すごく姿勢が良く、歩き方が綺麗だったと話しをすると、そうすることで、ふらふらしないで、安定して歩けるからだと、自分なりの安全は歩き方を模索していたことを聞いて、あー本当に成長したなーってしみじみと思ったものです。)

そししてこの日は、こずえちゃんだけではなく、どの生徒さんも、あまりにも立派な態度で証書を受け取っていたものですから、いったいこの子たちのどこに障害があるのだろうか?!と思うくらい、素晴らしい卒業証書授与式でしたキラキラ

 

この支援学校の卒業式は、今までの卒業式とは1つ、大きく違った点があります。

普通だと保護者を背に、壇上の校長先生のもとへ進むので、席からは生徒の皆さんの顔は見られませんが、この特別支援学校では、保護者の前に校長先生が同じ向きで立っておられたので、生徒さんの顔がとっても良く見えました。

それから、車イスの生徒さんや、体幹が不安定な生徒さんへの配慮でしょうか、壇に上がるのではなく、同じフロア―で行われていたことは、これまでたくさんの支援と配慮のもと、学校生活が行われていたのだと思わせる式典でした。

 

 

式が終わると、各クラスに戻り、最後の学級活動になります。

こずえちゃんの支援学校は、6~7人が1クラスで約40名の同級生がいる学校です。

そして1クラスには担任の先生と副担任の先生が1~2人ついての手厚い支援のもと、学校教育が行われておりました。

それまでこずえちゃんが、ママと越境して通っていた一般の小・中学校では、どうしてもお友達と同じレベルでの活動は難しく、希望したことが全部叶うとは限りませんでした。

やりたい事に対し、できる範囲でのサポートが50:50の関係で学校生活が成り立っておりましたので、支援学校に入ったならば、100%やりたいことができる!と夢と希望を思い描いて入学しました。

しかしながら、この支援学校では、可能性を信じて出来ない事でも挑戦してきた今までとは違って、今現在、出来る、出来ないが明確に線引きされており、出来ることから伸ばしていこうとする学校のスタンスに、やりたくても希望が叶うとはかぎらない現実に、半ば絶望を感じていたこずえちゃんとママでした。

 

更に、高等部になると、支援の手がすくなくなるであろう一般の社会へ飛び立つ前の練習段階として、なるべく手をかけない厳しい指導もしばしばで、慣れない学校生活と上手く前に進めないもどかしさで、苦しい日々を送っておりました。

 

特に2年、3年と持ち上がりとなったクラス担任の先生の、社会へ出るまでに、出来ることをなんとかふやしたい!どうにか感情のコントロールができるようにさせたてあげたい!という、熱い思いはわからないではないのですが、考えろと言われても、考え方がわからず、早くしろと言われても、どうしたら早くできるのか行動の仕方がわからないこずえちゃんは、『自分はバカだからショボーン』と自暴自棄に陥ってしまっていたので、ママは毎日話を聴き、発達を見て下さる主治医の先生、心理の先生、放課後デイサービスの支援の先生、たくさんの方々に相談しながら、心の傷が大きくならないよう、右往左往の状態でした。

 

それでもがんばり屋?というべきか、学校を休むのは絶対にイヤ!という決断の結果というべきか...

こずえちゃんは休むことなく、3年間、学校に通い続けました。

 

そんな傷心ぎみのこずえちゃんに、光が差したのは、4月から通う自立訓練事業所の学園長さんの「ここではゆっくり成長すればいいんだよ!」という優しいお言葉と、問題行動はあって当たり前、それも含めてこずえちゃんを受け入れますよ。という広い心に触れたから。

もう一つは、コロナ禍入学のため、ほとんどの行事が中止、縮小のされる中、高等部3年生の2学期の終り頃から、ようやく活動が許可されるようになると、行事を通して、お友達との距離もぐっと近くなり、実はみんな、同じ悩みを抱えていたのだと、思いを共有できこと。

この2つのエピソードが、こずえちゃんの大きな救いになったのだと、ママもぼくも思っています。

 

最後の学級会では、まずは副担任の女の先生から、一人一人にお言葉を頂きました。

次に苦手な担任の男の先生からは... 

涙で話が出来そうにない様子でしたので、今の先生のお気持ちを表している歌を2曲   “PRIDE”と”笑えれば”を送って下さいました。

自信をもって、でも高慢にならずに生きていって欲しい!

そして大変なときでも笑って生きていって欲しい!

そういう思いが込められておりました。

先生ご自身も、どうしたら子供たちを成長させられるのか。

そして、なんとか進路先を決めてあげなくては。と

随分とプレッシャーと戦いつつ、悩まれていたのだと、このとき初めて理解できた気がしましたので、人というものは、きちんとお話を伺わないと、深い思いは知りえないものだと、改めて思った次第です。

 

 

最後の学級活動の後は、保護者主催の簡単な謝恩会です。

コロナ前は、会食をしながらの時間だったようですが、今年はこの学年に関わって下さった先生方へ、お礼の花束と記念品をお渡しすることになりました。

そこで生徒代表として、一言お礼を伝えるという、大役を仰せつかったのはこずえちゃんです。

 

式典の答辞とは違って、こずえちゃんの言葉で、簡単でいいよ!とのご依頼に、ママと二人で原稿をつくり、ポケットにいれてもっていき、読み上げることにしました。

司会のママさんから、生徒のこずえさんより一言。といわれると...

一瞬、原稿が見当たらなくて、軽いパニックの動きがみられたこずえちゃんでしたが、反対側のポケットに原稿をみつけると...

『この学校での3年間、思い通りにいかないことや、厳しくて辛くなったこともありましたが、先生方がわかりやすく教えてくれて、すごく成長できました。

もっといっしょに学びたかったし、話もしたかったけど、今日でお別れするのが、とても悲しいです。』とここまで読み上げると、原稿を下ろし、まさかのアドリブでハッ

「この3年間…、本当によくがんばって…、きたなって、感じています。」と付け加え『先生、本当にありがとうございました。』と予定通りに、締めくくりました。

最後に、こずえちゃんの「せーの!」の後について、皆で「ありがとうございました。」とお礼を言って、お開きになりました。

 

その後は、先生や仲良しと写真を撮ったり談笑したり。

副担任の先生が、こずえちゃんの言葉の中に、アドリブがあったことに気付いてくれて、「あの一言に、本当の想いがつまっていたと思います。」と本当にがんばっていたこと。そして、学校生活の最後の最後で、急成長したことを伝えてくださいました。

せっかくの時なので、担任の先生にもごあいさつをしたら?と促してはみたのですが、忖度なしのこずえちゃんは、苦手は苦手で、写真すら取ろうとしないで逃げていたので、副担任の先生の一緒に撮ろう!というお誘いで、なんとか記念の一枚を写すことができました。

ママは申し訳ない気持ちで...

「今はまだ先生の厳しさの意味がわからないと思いますが、きっといつかこの厳しさを感謝にかえる時が来ると思います。」と、先生にお伝えしておりましたアセアセ

(後からこずえちゃんが、「卒業式の靴を、パパに磨いてもらいたかった!」となぞの言葉を発していたので、「だれか靴を磨いたの?」とママが尋ねると、担任の先生が、式の始まる朝に、練習で使ったみんなの靴を、綺麗に磨いてくれていたそうです。

そんな素敵なエピソードがあったのですが、ここでなぜパパが登場したかというと、靴をみがくのはパパです!と磨いている姿を見ているこずえちゃんは、勝手にそう決め込んでいたからですアセアセ

 

この逆境の3年間をじっと耐え、越えた後でこずえちゃんは大きく成長するんだろうなーってママは信じていたので、卒業式で、大きく成長した姿を見て、終わり良ければ総て良し!!と、素直に支援学校にも先生方にも感謝できたこと、ぼくもとっても嬉しく思いますキラキラ

 

 

謝恩会の後は、LINEでつながれた、気の置けない仲間4人で、初めて食事をしようということになり、ママもパパもついて行きました。

子ども同士のテーブルと親同士のテーブルにわかれて注文すると...

やっぱりどこか抜けていてアセアセ ライスの注文が抜けていたり、ドリンクバーを2回注文していたり、まだまだ課題は尽きない子ども達ではありますが、本当に楽しそうに食事をしている様子に、こずえちゃんにも、こんな素敵なお友達ができるなんてキラキラとママは心から喜んでおりました。

 

あまりに楽しい時間だったので、すっかり放課後等デイサービスの送迎時間に間に合わず、ママとパパで慌てて送って行きました。

 

 

思いでいっぱいの卒業式。

素晴らしい一日となりました。