初めまして照れ

ryokoと申します。
以前は心愛遼子(ここあ りょうこ)で活動をしていました。




小児科看護師をしながら、

心屋認定カウンセラーになりました。

 

 

 

 

 

現在は

小児科看護師と

ベビーシッターを行なっています。

そして、

女性一人一人が
「女性としての自分」を

感じて、楽しみながら生きていけるように

サポートできたらと

カウンセリングも行っております。











♡♡♡


 

 

 

赤ちゃんが
なにもできなくても
可愛くて人を幸せにするように



あなたもただそこにいるだけで
誰かを幸せにしていることを感じて欲しい










そして、

赤ちゃんが生まれてくる奇跡

 

 

 

産んでくれたお母さんへ

生まれてきてくれた赤ちゃんへ

ありがとうを伝えたい

 

 

 

そんな

お母さんと赤ちゃんの

産後の心を緩めるお手伝いを
していきたいと思っています。
 

 

 

 

 

 

クローバークローバークローバー

 

 

 

 

 

ここからは

わたしの軌跡ですお願い

 

 

 

 

わたしが

大嫌いな自分を

大好きになれた話・・・照れピンクハート

 

 

 

 



<誕生〜幼稚園>

 

 

 

 

 

 

 

 

髪の毛が生えない・・・笑   

写真好き♡だったよう・・・笑(当時1歳)

 

 

 

 

 


1991年 大分県に生まれる。






気配り上手でなんでも頑張ってこなす母と
サラリーマンで不器用な父のもとに
次女として誕生。



母の妊婦検診の日に、心拍低下があり、

緊急帝王切開で生まれた。

 

 

 

生まれた後に、

「心室中隔欠損症」と診断され

泣かせると心臓の穴が広がってしまうため、

母はわたしをずっと抱っこして

ほとんど睡眠が取れなかったと言っていた。

 

 

 

 

ベットに寝かせるとよく泣くし、

ミルクをやっと飲ませたと思ったら

全部吐くし・・・

母は大変な思いで、わたしを育ててくれた。




そして、そんな母の努力と

周囲の方の祈りのおかげもあり

手術をする前に

無事に穴が塞がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

物心ついた頃から

この話は聞いていて

「周りのおかげで助かった命」

「人のために使いなさい」

と周りから言われ、育ったため

「誰かのために」生きると

無意識に決めてしまったかもしれない。



 

 


髪型を先取り(クレラップ♡)していた・・・笑  

そして、頑張り教発揮!!笑






もともと楽しいことが大好きで

負けず嫌いで
自由奔放な性格だった。



<小学生の頃>

 

 




わたしの両親は教育熱心だった。


姉と同じ小学校へ入学するため、

小学校受験をする。

 

 

しかし、くじで落ちてしまい、

父と母の悲しそうな様子を見て
「両親を悲しませたくない」
「期待に応えたい」との思いを強く持つ。

 


姉と同じ学校へ入るためには、

今いる学校で、

「成績は一番でいなくてはいけない」し、

内申点もあるので

「いい子でいなければいけない」

周りの子と仲良くなって馴染んでしまうと

受験する学校へいけなくなると思い、
常に1番を目指し、

周りとは少し心で距離をとるようになった。

 

↓詳しくはこちらを

☆「一番になりたかった」

 

 

 

家に帰ると母の忙しそうな様子や

他の子どもたちを教える様子を見て

いたたまれなくなって

宿題と父から出されるプリント

(父プリ)を解いて

他のお友達と遊ぶことを口実に

外で遊ぶことを好んだ。


↓詳しくはこちらをご覧ください。

☆「忙しくてもそばにいて、話がしたい」

 

 

 

 

 

 

「一番にならなくてはいけない」

「周囲と仲良くなってはいけない」

「母に心配をかけてはいけない」

との自己暗示から、

小学生の頃より
気持ちがだんだんと言えなくなり
1年生の時に
「周期性嘔吐症(自家中毒)」を発症。




当時は、病名がわからず
急性胃腸炎と診断され
入退院を何度か繰り返す。




夜中に突然起こる嘔吐、

家族旅行で

必ず起こる体調不良に

父は怒り、

母はその時はずっとわたしのそばにいて

話を聞いてくれた。

 

 

 

 

わたしにとって

唯一の言えなかった気持ちを

吐くという行為とともに

話せる時間だった。

 

 

 

 

この時、

「病弱な自分は嫌われる、捨てられる」

という気持ちと

「具合が悪い時は、母を独り占めできる」

という気持ちが

生まれた。

↓詳しくはこちらへ

☆「なんであんたは、他の子みたいにできんの(リブログ)」

 

 

 

 

 

 

 

 

小学校では、毎年受験をしていたので

常に優等生でいなくてはいけなかった。

 

 

 

正義感が強く、
理不尽なことが許せない性格から

仲の良かった友達のお姉ちゃんや、

クラスでのいじめを経験。

 

 

 

この頃から、

誰かが1人でいるのを見ると

「1人にしたくない」

「1人になりたくない」

との思いが強くなり、

自分を演じるようになる。

 

↓詳しくはこちらへ

☆「一人にならないから大丈夫」

 

 

小学校高学年になり
「自律神経失調症」、
「過敏性腸症候群」と診断され、

学校を度々休むようになる。




そして、保健室によく通い、

保健室の先生と仲良くなった。

わたしが泣くことができる

唯一の場所だった。








<中学生の頃>






中学生になり、
小学校高学年より始めた
サッカーを続けたくて、
「サッカー部」に入部。

 

 



女子は誰もいなくて
顧問の先生にお願いして
女子1人の初めての入部となる。

 

 

 

入部するも、

周囲の反応は悪く、

サッカー部の男子からは

「女子とはしたくない」と拒絶される。

1人でボールを蹴っていることが多かった。

 

 


「優等生でいなくては」が

染み付いていたわたしは、

文化祭の実行委員となり、

クラスをまとめようと頑張っていた。

 

 

 

 


そんな時、
クラスメイトたちが書いた

女性を否定する手紙をもらい、

女子である自分には「居場所はない」と強く思う。

「女の子の自分」にさよならをすることを決意。
 

↓詳しくはこちらへ
☆「かわいいは世界を救う」





負けず嫌いな性格で
周りからの反応が悔しくて

よく泣いていたわたしに

唯一の味方だった顧問の先生が

「悔しかったら、技術を身につけろ」と

教えてくれた。

 

 

 

 

朝、昼、夜と

日々、練習に励むうちに
だんだんと周りから認められるようになり
「女性の自分」に
さらにバツをつけるようになる。




顧問の先生の
「自分より、相手を大切に」との
教えから

何があっても
「全て自分が悪い」と思うようになり、
自分嫌いに拍車がかかるようになる。








<高校生の頃>





サッカー部ではキャプテンをしていたため、

模範になる先輩でいなければと

頑張り教が加速する。



病弱で、

クラスでは自分を演じていなくてはいけなかったので

グラウンドと保健室がわたしの居場所になる。

 

 

 

 

自身が病弱であること、

祖父が亡くなった時の

看護師さんとの出会い、
保健室の先生と仲が良かったこと、
周りの人から相談を受けることも多かったことから、
「看護師」を目指すようになる。







<大学生>




四国の大学に進学し、
看護学を学ぶ。












3年生の時に

大好きな
親友がうつ病になり休学。




同時期に心配だった友人が

自ら命を絶った。




医療を志す者として
友人を救えなかったことで
自分が人の生死に関わる

看護師を目指してもいいのかと悩み、

進めなくなる。

 

 

 



そして自己否定が強くなり、

授業に出られないことが増える。





もう、誰にも死んでほしくない

そのためなら、自分が行動する

後悔しない行動をすることを決意。




もう少し頑張ってみよう、

わたしにも何かできるかもしれない、と
なんとか大学を卒業、国家試験合格する。

 







<就職し、社会人へ>





憧れの病院に入職のため、東京へ上京。
実習の頃に関わった
ネグレクトの子に対しての関わりから
子どもたちを支えたいと
小児科看護師になる。

 

↓詳しくはこちらへ

☆「小児科看護師になった本当の意味 ①苦手だった祖父」

 

 

 

のちに、

小さい頃の自分を救いたかったのかもしれない

ということがわかる。

↓詳しくはこちらへ
☆「小児科看護師になった本当の意味 ②」





総合病院の小児科に入職。
ご家族や子どもたちに寄り添いたい
人の人生に関われせてもらえる、
素敵な仕事と思い日々を過ごす。



自分の思いと仕事の忙しさによる
患者さんとの関わる時間がとれない
もどかしさのギャップに
自分のできなささを責めるようになる。



先輩の期待に応えたくて
両親や先生から認められたくて
日々、勉強も頑張る。

 

 

 

残業の多さ、人員不足、

職場での人間関係をとりもつこと、

自己否定感が強くなり、
不眠が続き、ミスをすることが多くなる。

 

 


体調を崩す。



「躁鬱病」と診断され、2年弱で退職する。







♡♡♡




仕事をしていない自分が認められず
実家に戻るも
自分を責め続け、
薬の副作用で体重増加。



自分嫌いが強くなる。



その後、再び上京、就職するも行けなくなる。







♡♡♡







小児科クリニックに再就職し、
バリバリな先輩看護師さんと出会う。
忙しくても学ぶ楽しさを実感。




フォローをしてくれていた先輩が
退職することになり
職場での人間関係に悩む。



ちょうど、お付き合いしていた彼から
別れを切り出される。



自己否定が強くなり、
絶望感、孤独感を感じ
家から出られなくなる。



そんな時、恋愛のことでインターネットで検索

高橋ななさん→心屋仁之助さん
→えいみーさん→美世さん


「心屋」を知る。



心屋仁之助さんのブログの
「頑張らなくていい」に衝撃を受ける。




抵抗感が強かったが、
小野美世さんのブログを読むうちに
心がだんだんと解けてくるような
そんな感覚を覚えた。




美世さんのカウンセリングが受けたくて
実際に連絡を取るも募集をしておらず。




そんな時、
「マスターコース」の募集が開始され、
小野美世さんの初めてのマスターコースと知る。

 

 

 

 

 

 

 

 

<マスターコースへ>



絶対に受けたいと思い、

仕事をする傍ら、

月に1回京都へ通う。



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「自分を見つめ直したい」
「自分のことをもっと知りたい」
「大嫌いな自分を大好きになりたい」





その頃、職場でも
心身症の子がよく来るようになり
「カウンセリング」ができるようになりたいと
強く思うようになる。

 

↓こちらもご覧ください

☆「こころのサイン」




マスターコースに通いながら、
学会や勉強会に参加。











マスターコースを通して
「自分を大切にしていい」
「どんな自分でも大丈夫」
「大嫌いだった自分」を
だんだんと受け入れるようになり
大切に思えるようになる。









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「わたし」の人生を生きようと決意。

みんなとともに

見たくない自分

認めたくない自分と

向き合っていく中で

自分自身と仲直りすることができた。
↓詳しくはこちらへ
☆「今までの人生で一番幸せで最高な誕生日」



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マスターコース卒業後には
完治は難しいと言われた
「躁鬱病」も完治し、服薬も無くなった。








大好きな美世マス1期のみんな♡





子どもたちを通して、
地域ではどのような

サポートがあるのか
知りたい気持ちも出てきて
退職を決意。

 

 

 

その後、保健師として

赤ちゃん訪問の担当をし、

現在は、小児科看護師とベビーシッターをしている。

 

 

 

赤ちゃん訪問で

様々なお母さんと赤ちゃんに

会うたびに

癒され、

赤ちゃんとお母さんに会えたことが嬉しくて

 

 

 

そんな奇跡の後の

新しいはじまりの時の

お手伝いができたらという気持ちが強くなり、

「産後ケアカウンセリング」を

考えておりました。

 

 

そんな中、

自身がこだわっていた

長い髪の毛を切ることになり

自分の「女性」の部分を

見つめ直すことになりました。

 

 

そこで「赤ちゃん」対する思い、

「女性」に対する思いを感じることになり、

自分が「女性」として生きていくこと、

そして、様々な変化がありながらも

一生懸命に生きている女性の

サポートをしていきたいと思うようになりました。

 

 

現在は、

「女性」を対象に心を緩め、自分を見つめ直す

カウンセリングを行っております。

(お知り合いの方はご希望時には男性も受け付けております。)

 

 

また、ご家族のサポートの大切さを感じ、

ベビーシッターも並行して行なっております。


 

 





【人生歴】

1991年10月 次女として誕生

<小学生>
・いじめ、不登校、保健室登校を経験
・「周期性嘔吐症」「自律神経失調症」
 「過敏性大腸症候群」を発症

<中学生>
・男子サッカー部に入部
・県選抜に選ばれる
・いじめ、不登校を経験

<大学>
・4年生大学の看護学部を卒業
・親友がうつ病になる
・友人の自殺
・看護師、保健師の国家資格を得る

<就職>
・都内の総合病院小児科の看護師として
 働き始める(2年弱)
・躁鬱病を発症し、退職
・幼稚園でアルバイトをする
・小児科のクリニックで働き始める(2年半)
・心身症の学会や小児科の学会、勉強会に参加
・2019年4月より、非常勤保健師となる

・2022年現在 自然派クリニックでの小児科看護師

 個人でのベビーシッター、カウンセラーとして活動中

・病弱、肌の弱さ、婦人科通いから
 身体の症状は食事も関係していると考え、
 料理教室やネットや聞き込みでの
 情報収集をしながら、
 食事や自分が使うものに気を使うようになる

<心屋>
・2018年6月より小野美世さんが講師の
 マスターコース85期に通い始める

 

・2018年12月に卒業し、
 心屋認定カウンセラーとなる
 

<今後の予定>

・「自分の人生を生きていく」ためのサポートしていく

 「癒しの空間、優しい居場所」をコンセプトとしたサロンづくりを計画中

・LINE @ 「@ris6686m」

 

 

 

 

 

 

ご縁ある方々と

時間をともにし、

お会いできるのを楽しみにしています。

 

 

 

よろしくお願いいたします。