「一級建築士」の資格は、よく「足の裏の米粒」と言われる。


そのココロは、

「取らないと気持ちが悪いけど、

取っても飯は食べられない。」。


足の裏についた米粒(ごはん粒)は、取らないままでいると気持ちが悪い。

でも、その米粒(ごはん粒)を取ったところで、その米粒(ごはん粒)を食べることはできない。


そのことを一級建築士の資格になぞらえて、

一級建築士の資格を取らずにいるのは気持ちが悪いけど、取ったからといって、その資格で食べていく(生計を成り立たせる)ことはできないよね、

って意味で使うのだ。


しかし、この世に、

「この資格があれば食べていける」という資格はあるのだろうか。


私は「No」と思う。


「医師」の資格にしろ、

「弁護士」の資格にしろ、

その「資格」があるからという理由だけで収入を得ている人はほぼいないだろう。

(ごくごく一部にはいるのかもしれないけど)


「資格」は所詮オプションにすぎず、

結局、最後はどこまでいっても、人間性に帰結するんじゃないかと私は思う。


「このお医者さん、苦手だな」と感じたら、次第にその病院から足は遠のいていく。


とはいえ私も、

無職で仕事を探しているときは、

「この資格さえあれば、私にもチャンスがおとずれるはず」と、

さまざまな資格取得に挑戦した。


資格取得のために勉強している自分は、

有意義なことをしているように思えた。


大学を卒業してまもないころは、

仕事の経験すらできなかったから、

資格にすがるしかなかった。


「CADが使えるようになれば、在宅ワークができる」みたいな広告にも心動かされた。


「CAD利用技術者1級」という資格も取ったけど(私の場合、CADの基礎知識があったので、独学で取れた)、結局、その資格だけで在宅ワークをして、さらにはたくさん稼ごうなんて無理な話だった。


「CADが使える」というのは、手描きで言えば「鉛筆と定規で線が引けます」という程度のことでしかない。


それだけで仕事がジャンジャン入ってくるなんて、そんなわけないのだ。


私はもともとそういうのが得意なのだと思うけど、いろいろな種類のCADソフトを使うことができる。


そう。一口に「CADソフト」と言っても、たくさんの種類があり、使い勝手がそれぞれまったくちがうのだ。


だから、建築の仕事をしていても、みんなそれぞれ、その人が使えるCADソフトがちがかったりする。


一般的には、同じ会社では同じCADソフトを使うことが多いけど、私の職場にはさまざまなCADソフトが溢れている。


すべてのCADソフトに互換性がある保存形式があるにはあるけど、文字化けしちゃったり、線の太さの設定が引き継がれなかったり、

まあ、いろんな現象が起こる。


なので、私は基本的には、最初に作図するときに使用されていたソフトで修正作業をしたりもするけど、そういうことができる人はそういない。


だいたいみんな、自分が使えるCADソフトが決まっていて、とにかく何とかしてそのソフトで作図するために、余計な手間をふんでいたりする。


と、なんだか話がそれてしまった、、


えーと、何が言いたいかというと、

「CAD利用技術者」という資格があったからと言って、それがすぐに仕事に結びつくかと言ったら、まったくそうではない。


それは、国家資格である「建築士」だっておなじなのだ。


求職時代に「二級建築士」の資格を取得はしたけど、それが就職活動にどの程度プラスになったかと言われたら、100点満点の中の1点とか、そんなレベルなのではないだろうか。


実際の業務では、資格をもっているかどうかより、業務に必要な知識をもっているかどうかが大切だし、

もっている知識以上に「この人と働きたい」と感じてもらえる人間であることが、実際の仕事に結びついていくように思う。


だから、わたしは

「資格があれば食べていけるか」

という問いの答えは「No」だ。


では、「資格は不要か」「資格取得の勉強は無駄か」といえば、それも「No」だ。


「資格」が必要な場面では資格は必要だし、

「資格取得のために勉強すること」は、必ず自分の糧になっている。


だから、

時々へこたれそうになったり、

「もういいや」って投げ出したりしつつも、

やろうと思ったその時は勉強して、

そんなのもありだと思う。


そんなわけで、またちょこちょこ勉強しながら、勉強ブログも更新していきます。笑