根本裕幸さんの本

『いつも自分のせいにする罪悪感がすーっと消えてなくなる本』

の中に出てくるエピソードを読み

思い出した記憶があった

 

(根本さんのオフィシャルブログはこちら↓)

 

 

 

私は高校生の頃、いつも成績上位だった

 

1年生の頃は、10番台くらいだったのが、徐々に上がっていって、

3年生になる頃には、理系で1番になっていた

 

通信票の評定も当然良く、体育だけが4で、それ以外の教科は5だった

 

だけど、

父母から褒められたという記憶が私にはない

 

私が勉強をがんばったのは、

学ぶことが純粋に楽しかったというのもあるけれど、

「親に褒めてもらいたい」という思いが根底にあったと思う

 

「親に褒めてもらいたい」というか

「親が喜ぶ顔が見たい」というほうが近いかな

 

でも父母は

「まあ、こんなもんでしょ」とか

「油断して成績落とさないように」みたいなことしか言ってくれなかったような気がする

 

一方で、

妹はあまり勉強が得意なほうではなかったけれど

父母はそんな妹を大切にしている(ように私には見えた)

 

【私はこんなにがんばっても愛してもらえないのに】

私の中には、そんなひがみが根づいていったように思う

 

どんなに良い成績をとっても、父母から喜んでもらえない

 

父母が喜んでくれないことを、私は「愛されていない」と勘違いするようになる

 

「良い成績なんて取るんじゃなかった」

 

「成績1番になんてなるんじゃなかった」

 

私の中には、そんな思いがずっとずっとある

 

 

だけど、私は、それでも、がんばらずにはいられなかった

 

 

それは、大人になってからも

 

 

仕事だって、

 

子育てだって、

 

社会貢献だって、

 

恋愛だって、

 

私は、がんばらずにはいられない

 

 

【もう、しんどい。もうがんばりたくない。】

 

本の中に、カウンセラーの根本さんが、クライアントさんにこのセリフを言ってみるように伝えるエピソードがある

 

しかし、そのクライアントさんは、最初どうしてもそのセリフが言えない

 

私も真似をして読んでみようとしたけれど、

本の中のクライアントさんと同じように、

なかなかこの言葉が言えなかった

 

 

ああ、ここだったか、、、

 

 

妙に腑に落ちた

 

 

「よくがんばったね」

 

「あなたは、わたしたちの自慢のむすめだよ」

 

私は両親にこの言葉をかけてもらうことを、

 

ずっとずっと待っていたんだ

 

 

その言葉をかけてもらうまでは、

 

がんばることをやめてはいけないと自分に暗示をかけて

 

 

こうして書いていても涙がこぼれてくる

 

 

私は私自身にこの言葉をかけて、抱きしめてあげよう

 

「よくがんばったね」

 

「あなたはわたしの自慢だよ」

 

「だからもう、がんばらなくてもだいじょうぶだよ」