未払賃金立替払い関連の事務処理が終了した2011年2月末ころから、ようやく求職活動にとりかかった。

公的職業訓練を受けようかと面接に申し込んでみたり、

派遣会社に仕事の紹介を問い合わせてみたり、

「くもんの先生」の説明会を受けてみたりした。

 

ここでなぜ「くもんの先生」って感じでしょ。笑

 

じつはそのころ、わたしは今後も建築の仕事を続けるかで悩んでいた。

当時の建設業界は落ち込んでいて、お先真っ暗といった状況だった。

勤めていた職場の倒産まで経験してしまった今、いよいよ潮時かなあと感じていたのだった。

 

大学時代、家庭教師をしていたこともあり、人に勉強を教えることが意外と好きなわたしは、以前同僚に「くもんの先生とか興味ある」と話をしたことがあった。

そのときその場にいた全員から「きっとむいてる!やってそう!」と言われたことがあり、以前から気になっていた「くもんの先生」。

ちょっと話だけでも聞いてみようかなあと思い、説明会に申し込んでみたのだった。

説明会と言いつつも、簡単なテストがあるんだよね。

事前に「こんな感じのテストをします」みたいな例題が入っていたので、その例題を解きながら、中学生くらいの勉強を復習してから説明会にのぞんだ。

中学生レベルくらいまでの学校のお勉強は好きなので、そこそこ解答できた記憶がある。

 

職業訓練は、建築関係の訓練に応募してみた。

そのコースでは、実際に木造の建物を自分の手で建てる経験ができるらしくて、そんな体験をしながら、資格試験の勉強をするのもありかなあと思ったのだった。

倒産した会社の同僚と一緒に応募し、面接を受けた。

 

派遣会社のほうは、登録している派遣会社のホームページを見ていたら、おそらく自分の出身大学と思われる大学の事務の仕事の募集が掲載されていた。

母校の事務の仕事するのもなんか楽しいかもと思い、問い合わせてみた。

ホームページ上には具体的な学校名は掲載されていないので、「自分の母校かもしれなくて気になってるんですけど」って聞いたら、やはりそうだった。

紹介してもらう方向でそのときは電話を切ったのだけど、翌日また電話が来て、「あいぽんさんにもっと向いてそうなお仕事があるんです。」と別の仕事を紹介された。

 

「あいぽんさんの大学とは別の大学でのお仕事なのですが、建築関係の仕事をする部署で、CADを使える人を探しているんです。」

 

なんとそれは、高校時代にわたしが親や学校への反抗心から拒絶した「地元の国立大学」での、なおかつ、大学4年生のころ国家公務員ニ種の試験を受けた際に職場訪問に行き「こういうところだったら働きたいなあ」と思った部署での、お仕事だったのだ。

 

不思議なご縁にうれしくなり、「そこは以前から働いてみたいと思っていたところなので、ぜひ紹介してほしいです!」と即答したのだった。

 

 

わたしが宮城県多賀城市にある職業訓練校の面接を受けたのが、2011年3月9日。

「くもんの先生」の説明会に参加したのと、電話で派遣会社から「地元の国立大学」での建築関連の部署の仕事を紹介されたのが、2011年3月10日。

 

みなさん、もうおわかりだろうか。

その翌日の2011年3月11日午後2時46分、東日本大震災が起こった。

 

(次回へつづく)

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