二人目の赤ちゃんを残念ながら流産してしまったわたしだけど、2か月間の休養でしっかり心と体を休めたあと、2009年10月にふたたび赤ちゃんを妊娠することができた。

 

流産後の妊娠ということで、なにかと精神的不安も大きかったからか、切迫流産や切迫早産で仕事を休むことの多い妊娠期だった。

 

切迫早産の診断が出たため少し早めにスタートした産休生活だったが、予定日ぴったりの2010年6月9日に無事長女が誕生した。

 

長男のときと同じく、生後6か月くらいから仕事をスタートさせようと思い、生後6か月まで育休をいただく予定にしていた。

保育園は認可外の強みで、長男と同じ保育園をおなかにいるときから予約していた。

 

ところが、まだ生後3か月だった10月に、職場から仕事復帰の要請を受けた。

大量の仕事を受注して人手が足りないというのである。

保育園に相談したら受け入れ可能だというので、わたしは急遽仕事復帰することにした。

慣らし保育の期間は、慣らしが終わると長女を保育園から連れて職場に戻り、デスクの隣に座布団を敷いて、そこに寝かせながら仕事をした。

職場のデスクで長女の「初寝返り」を見たことが忘れられない。

 

こんなに慌ただしく仕事復帰したのだが、その後さらなる急展開が起こる。

復帰からわずか2か月後の12月、年の瀬も押し迫ったころ、「今月の給料を支払うことができない」という発表があったのだ。

 

ちょうどわたしが流産で休暇をとっていたころ、リーマンショックのあおりで業務が激減していたあの時期、会社は社員の健康保険料を支払うことができなかったらしい。

滞納したまま、いつまでもそれを返すことができずにきた結果、ついに2010年12月、会社は健康保険組合から売り上げ金を差し押さえられたのだった。

 

その年の年越しほど、暗澹たる気持ちで迎えた年越しはなかったかもしれない。

年が明けた2011年1月末に、会社の倒産が発表された。

2か月分の給料が未払いのままだった。

 

(次回へつづく)

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