神さまは海 空 地球 青が好き!

7月末出版予定 7月末に本がでます!

実際に体験したことをかきました。


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石清水八幡宮

<夏   石清水八幡宮>


「枚岡神社、大神神社、住吉大社、
石清水八幡宮・・・このうち
どこへ行きたい?」と子供にきくと、
「石清水」というので、石清水の夏越大祓いを見に行った。
各神社でしきたりがちょっとずつちがうので、おもしろい。
石清水は、はじめて参加する人でもわかるように、儀式の間中、丁寧な説明があった。ここでは川に形代をながすようだ。
石清水は皇室の崇敬を受けている由緒ある22の官幣大社のうちの1社だけあって、とても厳粛である。
大阪の一宮の住吉大社も盛大に行うが、参加人数が多すぎて、何がどうなっているのかさっぱりわからない。
何年か前、参加したら、迷子になってしまった。


あめもあがり、男山はよい緑の香りでつつまれていた。
鳥のさえずり声がとても美しく響いていた。



■夏越の儀 立ちのぼる香や 雨もよし



朝顔

<夏  朝顔>


私が中学生の頃、ちょうど夏休みの中頃のことだった。
自由研究の題材を探しに、近所をうろうろしていたら、とある小さな工場の庭先に朝顔がさいているのをみつけた。
朝顔はなにも珍しい花ではないが、私はそのとき一冊の朝顔の観察記、研究の本をよんでいが。
内容は著者が愛情をもって花を育てる過程で、朝顔の成長を見ながら、朝顔からいろんなことに気づかされきた事柄が書かれていた。
単に「実験と結果」、で終わる本でなく、
「朝顔と共に50年生きてきて、こんな事をおしえられた。」という内容に私は激しく心を揺さぶられていた。
そのこともあって、朝顔には特別の思い入れあり、花に近づき、のぞき込んだ。
その研究書には、「朝顔は左巻きか?右巻きか?」という疑問がなげてあった。上からみたら左だけど、下からみたら右巻きだよ、どちらだろうか?という内容が解決しないままあったので、
ふと、朝顔に向かって、
「あなたたちは右巻きですか?左巻きですか?」とたずねてみた。
すると、あろうことか、朝顔が私に
口を利いたのだ!
わすれもしない。
彼らは私の心にはっきりとこういったのだった。

「私たちは右巻きです。天を仰いで生きているんです」と

その時のショック!!
ただ、呆然と立ちつくした。

人間側から見たら(上から見たら)左巻きでも、朝顔から見たら(下から見たら)右巻きだよという事実は、今も忘れることができない


■朝顔は右巻き天を恋うて生く

東尋坊

<春 東尋坊>

自宅を出たのは8時すぎ。
行くときはかすかに小雨が降ってるくらいであった。
午前9時に梅田を出、
なんばで集合の人たちをひろい、北陸道にはいったころから本格的に雨が大降りで振ってきた。今日は福井も雨の予報だった。
吉方位なので、雨でも全く気にならない
天は吉方位をとったものの味方につくのだから!

■吉方へ向かう風雨の芦原加賀

関が原につき私たちは昼食を食べた。やわらかーい近江牛のすき焼きなべといろいろおかず。バスがお店の軒先までつけてくださったのでぬれることはなかった。食事をしていたら、雨は一時やみバスにのって出発するころ、また降り始めた。
山々に濃霧がたちこめ、幻想的な雰囲気をかもし出していた。


お日様は今何をしてるんだろ、とふと思った。

■沐浴の太陽 山野に濃霧たち

関が原は東西分かれて天下を2分にした戦いの場所だったが、今は単に歴史の一こまで誰もそれに涙するものもなければ、話題にのぼることもなかった。
少々寂しい思いをした。

■北風が黙祷 死闘の関が原

添乗員さんが「季節は春なのに、”冬のグルメツアー”という題の冬の旅です」と説明しながら季節外れの旅を笑われた。「今日の23日とあと25日の出発で最後になります。」という言葉が心に残った。冬将軍が威力をなくし退陣するのを私たちは追いかけて行くのだ、と思った。芦原温泉につくとさっそくお風呂にはいり、豪華な夕食はお部屋食として出された。



部屋は申し込み順に1等室から割り振られていて、
私たち母子は申し込み1番だったので、一番いい一等室があてられていた。10畳の部屋と6畳の寝室、3畳の談話室がついていて、その他にお風呂、トイレ、ひろーいきらきらの洗面所がみなセパレートでついていた。食事は、6時からで、運び込まれた品は10品目だったが、食べきれるか?というほどたくさんあった。
越前姿かに、すき鍋、かにグラタン、かにいり茶碗蒸、刺身3種(ぼたんえび、まぐろ、いか)茶そば、前菜いろいろ、デザート何を食べてもおいしく、とりわけ特筆だったのは、かにのすき鍋だった。だし汁がピリからでなんともいえない。また、かにの身をとるのが大変で、私たちは、ああだ、こうだとかしがましく談笑しながら食べた。

■越前のかに、皿、鍋、豊富に足を出し

宴会の華やかさとはちがって冬将軍の姿はさみしそうにうつった。

■送別の宴(うたげ) なで肩の冬将軍


それからも雨は勢い留まるところを知らず、降り続いた。
深夜もかまわずとことん振っていた。
次の日の朝、私は6時すぎに目覚めた。
先にお風呂にはいった。子供はぎりぎりまで寝ていて、7時におき、一緒に階下へおりて朝食をとった。漁師鍋汁がとってもおいしかった。子供も私も2杯ずつおかわりした。予報では、くもり時々雨、というのだったが朝一番から晴れていた。さすがに吉方位である。観光予定は石川県の那谷念珠堂に始まって、九谷焼のお店、漆塗りのうるし倉と続く。それぞれ行く先々で、トルマリンの水試飲、ごまうどん試食、カステラとコーヒー賞味と食べ物がついていた。まぶしいくらいの太陽で、子供はカーテンをしめていた。

■ぜんまいを全開 太陽勇みたち

さらにバスにのって東尋坊についた。お日様がさんさんとさす青い海の傍での昼食だった。ふぐ鍋、甘えびさしみ、ふぐのから揚げなど数種のおかずがあった。



食後、私は海の近くのゴミ捨て場にいき、家からもってきていた古くなった財布や下着を捨てた。吉方位でそれらのものを捨てるとよい運気がもらえるらしい。空にはとんびが舞っていた

■太陽の賛歌 鳶、東尋坊に舞い

越前海岸を縫うようにバスは走った。
観光は、だいたいこれでおわり。
あとは、かまぼこ工場によってかまぼこの試食があった。
空をみあげたら大きな雨雲がよこたわっていた。
雨が降るな・・・と思った。

■雨雲がはらみ群れなす鳥静か

かまぼこ工場につくころには、雨がふっていた。
うちの子はチーズかまぼこをぱくぱく何度も並んでは食べていた。
工場をあとにすると、まっすぐ大阪へと向かった。

箕面山

<春  箕面山>

箕面山へ行った。
子供達の笑い声がこだまして緑のさわやかな風が吹いていた
尺取虫が悠々とぶらんこを楽しんでいる
(あぶないなあ、人間の目の前にでてくるなんて・・・
道の真ん中におちたりしたら踏まれてしまう)
私は虫の子供達が、遊ぶのに夢中で無防備なのを心配した
擬態もできるぞ!とその能力をみせびらかしているやつもいたが
「ばれてるよ、ばれてる! あんたは枯れ枝と違うよ」
私が尺取虫の耳元でいうのをそばを歩いていたおばさんが聞いて大笑いした。
人がいるとは知らず、大恥をかいた
そのまままっすぐ歩いていたらある物を見つけた
そっと手に隠した。
わが子のところへかけていき
「いいものみせてあげる」と言った
「何?虫?」
彼がいう
「ちがうよ。もっといいもの」
私は手を前に出した
「ほら、夕焼け」
手のひらを開けると
真っ赤に燃える鮮やかな葉っぱが一枚あった

■もえいずる春 山肌あたたかい

■笑う声列なし森がスイングし

■春が好き やさしい気持ちにさせられる

■神様は海 空 地球 青が好き




或る日

<春   或る日>
 
子供がまだ小さいころ、お風呂の中で果物を食べたり飲んだり、乾杯をやっていた。小さい子供と一緒にお風呂に入るのは、自分の体や髪だけでなく、子供の体や髪、歯にいたるまで面倒を見なければならないので母親の私には実に大変な作業だったのだ。祝は祝で洗われることがきらい。お互いいやなことをするときは、可能な限り緩和をしたいーーー。
こういう訳で我が家では、お風呂の中で乾杯をかわし、話をし、ふざけあうことにしていた。
「祝~、お風呂に入るけど”蜜柑の缶詰”でいい~?」
「うん、いいよ~」
缶詰を小ボールにあけてさじを一本いれ、湯加減を見にお風呂をのぞくと、
「あれ?まだお湯いれてなかったっけ?」
祝が、ぬいだパンツを洗濯かごにいれかかったのを見て
「ごめーん、ごめん、ちょっと待って~。祝くん、まだお風呂空っぽみたいやからズボンはいて部屋で遊んどこう」と声をかけた。
蜜柑はテーブルの上にドン!15分はかかるからすごろくでもしてたらいいだろう。と、ルーレット付きのすごろく絵本を準備した。祝はパンツとズボンをはいてやってきて、背もたれのいすに座ると、「何して遊ぶ?」と聞いた。目はみかんに向いたまま。みかんを我慢しながらすごろくをするのも心はうわの空で楽しくないーー私はとっさに
「ルーレットをまわして、出た目の数だけ蜜柑を食べることにしよう!と提案した。
「よっしゃ~!!」祝の顔が生き生きと輝く、やる気満々になって、
「そうしたらぼくからやるで」
ピピピピピピ・・・と、はや赤い光がくるくるまわって電子ルーレットがまわる。数字は「1」と「2」と「3」しかない。ピッピッピッピーッピーッピーーッピーーー。「2」
まずは祝が2つぶを先取した。
次は私。ボタンをおす。ルーレットの数字は「3」
「次、ぼく」祝がルーレットを回した「1」。
だんだん熱戦となり、すでに2人とも冷静ではいられなくなってきた。
「3でろ、3でろ、3でろ!」
「1でろ、1でろ、1でろ!」
ピピピピピピピッピッピッピーッピーッピーーッピーーー。「1」
「あははは~見たか、1じゃ。日頃の行いがものをいう。私が高笑いをした。
次は私の番。
「1でろ、1でろ、1でろ!」祝が机をバンバンたたく
「うるさい!3じゃ3じゃ3じゃ」私が祝の声を払いのける
ピーッピーーッピーーー。「1」
屈辱感を味わいながら蜜柑を1つすくって食べた。
祝の番なので私が大声でいった。
「1、1、1、1、1!」
彼は反撃する「3、3、3、3、3!」
ルーレットの耳に聞こえるようにできるだけルーレットに近いところで叫ぶのだった。
ピーッピーーッピーーー。「2」
(うーーん、なかなかあいつもやるなあ)
その時、祝が自分の番でないのにルーレットを押した。
ピピピピピピ・・
「ちょっと!あんたの番とちゃうやろ!」私が叫ぶと
「押したったんや」と譲らない。
(こいつは熱がはいると人格も変わるのか?)むかついたので「3でろ、3でろ、3でろ!」と大声でわめいた。
「1でろ、1でろ、1でろ!!」祝も負けてはいない。
こうしてみかんの数は次々と減っていき、激戦の中、残るはあとわずか5個。
祝の番でルーレットは「2」と出た。ところが3個食べたので
「あんた!なんで3個もとるん!」私が怒鳴った。「ルール違反はゆるさへん、ルール違反や、ルール違反や!」たかが蜜柑のことではあるが、ずるをされたのが、頭にきたのだ。男ならいかに自分の立場や状況が危うくなろうとも、正々堂々たる態度を貫くべきだ。こんな小手先のみみっちいやり方を用いるなんて男のカスもいいところ、と散々いってやった。
「お母さん、2つ目の蜜柑は半かけやったからやで。もうあと半かけをぼくは食べたんや」祝はそういうが、
「いいや、ただ食いたかっただけに決まってる」私は断固として自分の意見を主張した。
「半かけであろうがなかろうが、ちぎれて別々の一個になってたやろうが!そっちの半分とこっちの半分はもう別々のみかんや!」こんな奴に負けたら私の人生は一体何やねん、ちくしょう!
くやしさがいっぱいになりながらルーレットをまわすと、「3」が出た。
「3?!」
私はあまりのことに愕然とした。「1」が出れば、仕返しで一個半食べてゲームは終われた。
「2」が出ても2個だとみなして食べてゲームは終われた。「3」が出たら・・・これはどうしても腹の虫が治まらん。私は残りのみかんを全部食べ、何か一言いってやりたかったが、適当な言葉が思い浮かばなかった。何を言ったとしても、みかんは彼の胃の中腹の中。そこに手をのばして取り返すことができないだけに歯がゆくて、抱えたボールの中を眺めたり、祝の顔をジーとにらんだり・・・。その時、祝はハッと何かを思いついたようで私の顔を覗き込むとこっそり耳打ちした。
「汁、2回吸い」
私は思わず大爆笑。
「それはいい考えや!えらい!お前は本当にかわいいぞ!」私は汁を2口飲んで彼に渡した。
再びルーレットが回される。
ルーレットの数字は「2」
祝は2口飲んで、次は私ーーー。私は・・・え?!ルーレットを回そうとしていた手が思わず止まった。。あれよあれよ、という間に彼はイッキ飲みで残りを全部飲み干してしまったのだ。
私はとっさに二の句が告げず、
「どうしてあんたは・・」と言いかけて、取っ組み合いのけんかとなった。
そうしてーーーー
お風呂のお湯を二人ともすっかり忘れていた。

■さわやかな風 うそのない自分




阿弥陀時

<春  阿弥陀寺>

京都の三千院の近くに、「古知谷」というところがある。
1時間に1本しかバスが走っていないところだが、そこに阿弥陀寺があった。
バスから降りると、そこから600メートルくらい山道を登る。
その山道を入る前の原っぱで
私達はしばらく遊んでいた。
野生のスミレがあちこちに小さな花をさかせていたし、
ぺんぺん草やよもぎがたくさん生えていた。
私は息子に「カタバミはどこでしょう?とクイズを出していた。
彼は三つ葉をさがしてきょろきょろしていたが、岩のあるところにかがんで何かを見つけたかと思うと突然私を呼んだ
「お母さん!来てみ!いいもの!」
「何々?」といって、のぞくと、
岩の陰からしっぽだけみえている。
「へび?」
私は思わずささやいた。
うれしい、うれしい!大感謝。
たなからぼたちとはこういうことをいうのであった。
でかしたぞ、わが子よ。この山に来て本当に良かったと思った。
「絶対逃がすな、それ捕まえてもって帰ろう!」私は奮起した。
「どうやってもってかえるのん?!」彼が言う
「リュックに入れてもってかえるねん」
「えー?!僕の?」
私のは手提げかばんだからしょうがない。
彼はしぶしぶうなずいた。
「さあ、このしっぽつかんでひっぱりだそう!」
私はうきうきしていた。以前、息子がへびを飼いたい、といったときは簡単に飼えると思っていたが、ペットショップで蛇はとても高いのだった。
値段を聞いて恐れおののく。
でも、捕まえたらタダ
よっしゃあ!何が何でも持って帰ろう!私ははりきった。
「いいおみやげができたやん。つかまえたら、すぐ帰ろう♪」
もう、即身仏のことなど頭になかった。
へびは土色の体に側面に1本ずつ黒い筋がはいっていた。
真っ黒のやつならいやだけど、これなら鑑賞にも耐えられる。
緑とか、黄色のほうがもっといいけれど、
この際、あんまり贅沢はいえない。
「これなんていうへび?」私が聞いた。
「しまへび」
「そう、お母さんはこっちをひっぱるからあんたは頭のほうを
ひっぱりだして」わたしが声をかけた。
初めて触ってみたが、へびって・・・・・・
一言で言ったらゴムホースの感触に似ていた。ビニールプールへ水を入れる時、ホースを使うが、そのホースに水をごぼごぼ通している時の感じがちょうどへびと同じだった。2人でひっぱると、へびが顔を出した。口からしたをちろちろ出している。
「怒ってる、怒ってる!」
「あはは、やっぱり?」私が笑った。
「お母さん威嚇してるよ、見て」
「うーん、」
へびはまた岩ノ下に隠れようとした
「はやくつかまえや」私がせかした
「んー、でもかまれるもん」彼が文句をいった
「いいやんかまれても」私がやけくそに言った
「・・・なんでやねん!あいつ、毒持ってんねんで」彼が怒って言う
「あ?そうなん?シマヘビってどくへびなん?」わたしは聞いた。
「ううん、しまへびは毒もってないよ。でもマムシにそっくりやねん」
「へー、これまむしかもしれへんのん?」
「だから、かまれたらあかんねん」彼は力説した。
「大丈夫よ。かまれたら毒が回らんように手、縛ってあげるから」
「・・・いややって」
こわがっていたら話にならんぞ。
私はへびをつかまえることで頭がいっぱいだったが、
家にはハムスターが放し飼いになっていることを
すっかり忘れていた。本当にすっかり忘れていた。

阿弥陀寺は「ひっそり」と言う言葉がぴったりあうお寺だった。
木造建築の、こじんまりとしたたたずまい。
歩く足音さえも響き渡った。玄関からすぐのろうかの突き当たりの部屋奥に即身仏がまつられている洞窟があった。生前、ここに洞窟を掘るように弟子達に言って、自らその穴の中に入り
人々の救いのために入定(即身仏になること)されたお坊様。
現在では損傷を気遣ってかそのお坊様は棺の中におさめられている。私は棺の前に手を合わせたがむしろ、その方の心は、この阿弥陀寺へのぼってくる道々にあったという気がした。ぜんまいがにょきにょき背伸びをして私に話し掛けていた。3本4本とったが、そのときふと、
「これは今晩のおかず」といってぜんまいをとっているお坊様の姿を感じた。また、木の実がおちていたのでひらうと、
「今日はこれが夕食だ」と手のひらに5,6この木の実をひらうお坊様の姿を感じることが出来た。また、山吹の花が鮮やかな色で春をうたっているのをにこにことしたお顔でごらんになっている姿を感じた。

阿弥陀如来像がとても大切にまつられていてその前でお坊様が一心にお祈りされている姿を感じた。そろそろお昼にさしかかり、帰り支度をした。お弁当もまだ食べてなかった
私達は阿弥陀寺を後にした。
坂道を下っていく。
のぼりはあれほど時間がかかったのに
下りの景色はビデオの早回しとそっくりだった。
人里はなれたところにあるせいか、
人間よりも他の生き物たちが口を開いてものをいう、
そんな感じのするところだった。
 中国の唐の時代の詩に<折楊柳>がある
「水辺の楊柳 緑煙の糸
馬を立て 君を煩わして一枝を折る
ただ、春風の最も相惜しむ有り
慇懃に更に手中に向かって吹く」
この詩の和歌
「なれて吹くなごりや惜しき青柳の手折りし枝をしたう春風」
こんな情景のとても似合う場所だった。うぐいすが、わたしの心の端をひっぱってなかなか返そうとしないところ、風がほら、ここにも花が咲いている、と私に話し掛けてくる。
あちらには川もあるよ、とさそわれてももう、バスの時間だから・・・・・。「ねえ、まだもうちょっと」やまびこが私の話を聞いてとせがんできてうぐいすの声が後押しをする。
お坊様は「りっぱ」と言う言葉より、「素朴」な方だったように思うきっと、鳥や色んな生き物とお友達だったのだろう。お坊様の生涯を話したのは、空のことりであり、木々であり草花だった。彼らはこういった。「まだまだあるよ」と。彼らはお坊様がどんなにやさしい方であったかどんな言葉でみなに接してくれたかを口々に言いたいようだった。田園にはさわやかな風が吹いていた私達のリュックには、春の甘いかおりがいっぱい詰まっていた

■古寺やさえずり春となって沸く

石清水八幡宮

<春  石清水八幡宮>

京都の石清水八幡宮へ行ってきた。
春の美しい石清水には、どうしても行かずにはおれない。
今日のお天気は最高だった。ケーブルをおりたあと参道へ向かう道では上から、木の葉が私の前に舞い降りてきた。
えりを正して、さあ、これから参拝をしようとしていたところ、
まるで、自分も一緒につれていってほしい、とでもいうように・・・。

■行き先は八幡 ひらりと葉が従い来

すがすがしく、清らかな空気にみちているこの宮は、年間通していつきても、そう感じるものがある。ここに一歩足を踏み入れると、心まで清められるかのようだ。

■勝運の神へ青葉の風光る




広場でお弁当を食べたあと、山道を下っていると、うぐいすの声がきこえてきた。

■うぐいすが賞賛 春の男山

この石清水の男山は鳥獣保護区にも指定されていて、生き物たちの楽園でもあった。
春はことさら美しく思った。
下山したところの原っぱでは、たんぽぽの群れが咲き乱れていた。

■たんぽぽの道 すみれが歌うたい

<春  枚岡神社>

<春  枚岡神社>

お日様はまるで4月のような陽気で
日差しは暑いくらい。
風はちょっと、ひんやりしてたかな。
12時45分の普通にのって30分もかからない。
梅の名所で、日本の景色100選にも選ばれたと、去年お知らせがあった。春に梅の花見など、したことがなかったし、桜の花見も過去30数年の間に2回しか経験がなかった。
ドキドキわくわく
行って見ると、とてもびっくり!
参拝後に奥の梅林へ上ったら、
紅梅と白梅がぎっしり並んでいた。
紅梅、白梅がとてもいい香りで香ってきた。
風はとてもさわやかだった。

■紅梅の香に包まれ風うたう




あちらこちらにお弁当を広げている家族、
子供達のはしゃぐ声が聞える。
ふとみると、しだれ桜ならぬ、しだれ梅が・・・・・

■風よ吹け 春たけなわのしだれ梅

空の青さが美しい紅梅にとてもあっていた。

■紅梅と空の青さと白い雲

そんな梅林の中に一本だけ大きな枝垂れ柳があった。
光の加減でふくらんでいる芽が光って見えた。

■満開の梅林 柳金色にゆれ





七福神

<新年  七福神>

子供とスタンプラリーに参加した。学校のあるときは、あまり外へ出ることはないが、休みにはいったらどんどん外へつれていった。お金のかからないことなら何でもよかった。
京阪電車がやっている新春切符でのスタンプラリーで
私ははじめて、京都のお寺を回った。
上加茂神社、下鴨神社、北野天満宮、石清水八幡宮、成田山、大阪天満宮・・・。

■初詣 木々にみくじの花が咲き

■初夢を選んでみたい朧月

■祈願絵馬 人皆晴れやか歳旦祭

■歳旦祭 七福神と縁結び

■おめでとう社寺行き交う人の群れ

■新春のことほぎ七福神といる

■幸せを重ね着したい福寿草


新年 初詣

<新年  初詣>

駅のパンフレットで毘沙門天をまつているお寺がのっていたので、ふと、私の尊敬する上杉謙信を思い出し、一目その神様にお目にかかりたいと思って参拝した。
ぽかぽかの陽気は「参拝」ではなく「散歩」の気分だった。


神様にささげる護摩木に
「上杉謙信公様のご供養のため」とかいた。
商売繁盛、学業成就、災難厄除、出世開運、などのお札が並ぶ中、ちょっと異彩をはなつ祈願だったかも・・・
ついでに中山寺へ、
下車したところの人家の庭には、つわぶきの花がさいていた。

■新春のことほぎうたう花つわぶき



門をくぐると、地蔵菩薩の陣
■読経に足ぶみそろえ地蔵尊

今日のようなお天気だと寒さでこわばり
むつかしい顔で参拝する人もなく、
みんな恵比須顔だった。
七福神もこの日差しに満面の笑み。

■初春や七福 勝旗をひるがえす

清荒神でも下車してお寺をまわってきた。
「お散歩の途中でよりました。」とごあいさつ
門戸厄神にも「ついでに立ち寄りました。」と頭をさげた

■門戸厄神参道よこぎるうろこ雲

とても気持ちのいい一日だった。