今までのブログ消してしまいました。。



11日の東北太平洋大震災のことを振り返って書きたいと思います。




私自身忘れないためにも。。。




2011年3月11日


その日は月1の半日休みの日で、午後からの出勤


午前中、先生も仙台の医療センターに行く日で、出勤して先生も帰ってきて午後の診察が始まってまもなくマナーモードにしていたはずの私の携帯が鳴り出した。。。


丁度患者さんもいなく、准看の小野寺先生が来たときで、携帯の画面をみたら緊急地震速報とのこと。


携帯を見てまもなく大きく揺れ始め、事務のところはカルテ棚に囲まれてるから危険ということで、みんなで外のトヨタさんの職員駐車場に出て様子をみる。。。


でもどんどん揺れが強くなって、立っていられなくてみんなで集まってしゃがんだ。。。


しばらくして防災無線で大津波警報が叫ばれた。


家が海に近い鈴木さんと滝沢さんはすぐに家の様子を見に行くと帰宅。


私も先生たちに早く帰ってと言われたからすぐに帰ることに。。

車に向かっているときにお父さんからメール。。

今から家に帰ると返信し、急いで車に乗り込み家に帰る。。

途中の信号機はついてなく、タイミングをみて渡る。

途中車が混んでいて待っている間も何度か余震が続いていた。


ケーズデンキを過ぎて少し行ったところで水道管が破裂したのか水が溢れ出していた。。

焦る気持ちを抑えてどうにか帰宅。


お母さんも犬のソラも無事だった。。


私が帰宅して間もなくお父さんもがけ崩れの様子を見に帰宅。


海のほうを見ると白い煙のようなものが立ち上っていた。

それは煙ではなく津波の水しぶき。。


海が離れている我が家でもわかるくらいだからよっぽど大きいのだとわかった。。。


不安になり鈴木さんにメール。

河北ビルに避難して無事とのこと。


友達何人かにメールしたけどみんな無事とのこと


みんな無事で少し安心した。


お父さんも瓦礫を片付けて会社に戻って行った。。



薄暗くなってきたころにお父さんが帰宅。


気持ちも少し落ち着いてきたときに職場のレジとお金の入ってる引き出しに鍵を掛けるのを忘れていたことに気がついた。。。



何かあったらどうしよう。。と思いとりあえず最後まで病院に残っていた洋子さんにメール。。



返事がないから不安になり母と一緒に病院まで行くことに。。。

田中記念公園のあたりまできたときにお父さんの会社の人と会い、今から職場に行くことを話すと、もう津波きてるから行けないし、行かないほうがいいと言われしぶしぶ家に帰ることに。。


帰る途中で洋子さんから返信きて先生たちと気高に非難したから無事で、お金もそれどころじゃなかったし、もしなくなってもしょうがないと先生たちが言ってくれたとのこと。安心して帰宅し、鈴木さんに先生たちも無事とメー利で伝えた。


家から海側を見ると煙が見えていて、どんどん広まって暗くなるときには向こう側は真っ赤になっていた。。

鈴木さんからのメールによると重油が漏れて火がついてしまったと。。

鈴木さんの非難してる方にも流れていて命の危険があるということ。。。


それから鈴木さんと連絡がとれなくなった。。。


夜は電気がないため懐中電灯で過した。

義姉たちは鹿中に非難して無事とのこと。

高田に行った兄からは連絡がこない。。。


食事を済ませ、寝る準備をしているときにようやく兄からお父さんの携帯にメールがきて無事を確認。



外を見るとまっくらな街で向こう側は不気味なくらい真っ赤で。。。

みんな無事であってほしいと祈ることしかできなかった。。



お父さんとお母さんは陽が心配だから迎えに行くと行って鹿折へ。。。

お父さんとお母さんが行ってから間もなく携帯が圏外になってしまった。。。


帰りも遅いし心配だし余震も続いて怖かった。。。


しばらくしてお父さんたちが帰宅した。

津波が来るから消防の人に止められて行けなかったとのこと。。。


連絡も取れないし行くこともできず不安な夜を過ごした。。。






長くなるので続きは次に。。。。