こんにちは。

いつもご訪問くださりありがとうございます。

 

このごろになって弘前は雪国らしくなっています。

辺り一面雪。そして牡丹雪が降り止まない休日です。

 

 チューリップ チューリップ チューリップ

 

さて今日は

 

渋柿園会員 斎藤ひでをさんの第一句集『津軽路』をご紹介します。

 

私たち会員は ひでをさん、ひでをさん、と気安くお呼びしていますが、

 

長く中軸として渋柿園を支えてこられ、青森県が誇る現代俳人です。

 

これまでのご活躍を考えると

 

句集を編まれなかったことが不思議でもあります。

 

 

今日はそのひでをさんの句集の序文とあとがきをご紹介します。

 

 

 

 

 お祝いキラキラ 句集『津軽路』キラキラ   

   

   

 

 

 序 

              木田多聞天

 

斎藤ひでをさんは温厚篤実な人である。子煩悩な父であり、野球少年がそのまま大人になったような教育者である。いつも人への情愛と共感を抱き、桜とねぷたが大好きな津軽人である。

このことが「ひでを俳句」のバックボーンなのだと思う。

ひでをさんは昭和十五年三月二十三日、平川市(旧平賀町)に生れた。生家は農家で、精米業も兼ね、いわゆる本家の格式もあった。

その後のことは、俳句の師・川口爽郎氏との出会いなども含めて、ひでをさんが「あとがき」で触れている。

ひでをさんに初めてお会いしたのは、平成十六年の夏である。 澁柿園の例会であった。その時、元代表・枕流さんの傍らで句の披講をされていた。 枕流さんが、『結社には欠かせぬ存在』と評したように、今も運営委員を務めている。

句集『津軽路』を繙きながら共鳴句を抄出する。

 

一「つばめ来る」

 

         挿絵は会友鳴海顔回さん筆

 

掛軸の舟見えてくる初明り

校門に手をふれてゆく卒業子

(卒業式を終えて巣立ちゆく生徒達への優しい目が捉えた景である。)

 

福祉科の校舎水色つばめ来る

一茶全集膝に載せをりあたたかし

車座へ枝垂桜を分け入りぬ

消しゴムの汚れは消えず太宰の忌

乗車する母に踏み台茄子の花

夏蝶に書斎のぞかれ爽郎忌

ゆくゆくは寺の後継ぎ裸の子

手の平を滑らせてみる今年米

(精米所を経営する生家での嘱目吟。精米機より出て来た新米を手の平に

にとり、滑り落ちる収穫の喜びに浸る農民。それを自分の喜びとする作者。)

 

霜柱踏む音違ふ兄おとと

(子煩悩の作者は、霜柱を踏む音にも兄弟の違いを感じ取るのだ。)

 

二「桜吹雪」

 

鳥引くやT字路多き城下町

松の芯伸び代のある補欠の子

(野球部の部員に注がれる目は優しい。 良い素質を持ちながら伸び悩む補欠の子に親のような情愛を。)

野遊びや遂に四股踏む女の子

子を追うて桜吹雪の中に入る

水槽の魚に緑蔭ありにけり

試飲する地ビール森の香りして

梅雨晴の傘でバントの構へせり

(バントが巧くなく、もっと練習しなさいと言われた野球部員か。 雨上りで畳んでいた傘をバットに見立ててバントの構え。)

 

散髪の鏡の中をねぷた行く

いなびかり手配写真の顔照らす

団栗を拾へば縄文人の相

寝入る子の爪とつと切る小春かな

(爪を切らせても眠っている子ども。 信頼の親子ならではである。 季語の小春もいい。)

 

忘年会正坐胡坐の崩れゆく

 

三「ねぷた笛」

 

破魔矢もち勝者のごとく父帰る

春炬燵母のほくろをみつけし子

ランドセル傷をふやして新級す

紋白蝶アンダースローのやうに浮き

人波に逆らって行く桜守

田植機のボルトの光るまで洗ふ

(ひでをさんがよく言う「即物」・「客観写生」の表出されている句。よく見ないとわからないボルトを光るまで洗う農夫への尊敬も感じられる。)

 

青芝やパパの笑顔にボール蹴る

青梅雨の青を映して文学碑

庭石を引つ張つてゐる蜘蛛の糸

八月や木陰に朽ちし軍馬の碑

秋の薔薇理系の人は棘を詠み

(ひでをさんは機械科の教師。特殊科目なので勤務校もむつ工高と弘前工高。弘前工高では長年軟式野球部顧問をやり、県大会の優勝も経験している。)

 

 

菊人形刀は菊の中に差す

包装の箱みな赤しクリスマス

 

四 「鶴の舞橋」

お年玉背丈見上げて手渡しぬ

囀や弓ねかせて入る武道館

梨の花母は上手に老いにけり

(ひでをさんの生来の優しさは、母譲りのものであろう。)

 

露座仏のまだ春愁の顔なりし

夏草に触れさう山羊の乳ゆたか

花合歓や村の時報のわらべ歌

満塁や伝令走る炎天下

水澄むや舞橋渡る杖の音

正午といふ時刻貴し終戦日

道場に「一本」の声秋高し

表札の曲りを正し注連飾る

爽郎碑永久に舞橋向きて冬

                 鶴の舞橋

 

末尾になりましたが、このたびの、句集『津軽路』の上梓を、「澁柿園」挙げて喜んでいる。

おめでとうございます。

 

          令和五年十月             木田多聞天

 

 

 

   キラキラ    星   星    星   キラキラ

 

 

    あとがき

 

『津軽路』は私の初句集です。在職中の四十代後半に定年後の趣味にでもと単純な気持で始めたのが俳句でした。ただ、文学的素養のない私が今まで俳句をつづけているのが自分でも不思議な気がします。

 

句集には思い出深い句を自選して三二〇句を収めました。独りよがりの句が多いことはわかっていますが、私の生き様と思っていただければ幸いです。 私の希望は私家版として、地方色の濃い句集を日頃お世話になっている親族、友人、知人の方々に贈呈したいと思っています。

 

句集名の『津軽路』は私が今まで俳句を続けてきた想いが籠められています。

私が生まれ育ったのは津軽平野の中の寒村であり、後に移り住んだ弘前市は津軽の中心である。吟行会では津軽一円を隈無く巡ることができました。 この津軽で俳句三昧に過ごせたことを本当に幸せに思っています。

 

 

私の俳歴の第一歩は、昭和五十九年、弘前市中央公民館が開いた「社会人俳句講座」を受講し講師の川口爽郎先生(万緑賞受賞)に教えを受けたことが俳句を続ける大きなきっかけです。爽郎先生のやさしく人間味あふれるお人柄に強く惹きつけられました。講座修了後も「さわやか俳句会」を結成し、爽郎先生亡き後も小さな句会ながら代表として活動をしています。

 

さらに、平成十二年頃、先輩句友に全国結社に入ることを勧められて大串章主宰の百鳥俳句会に入会した。当初は全国の洗練された俳句に圧倒され、挫折しそうになったが何とか乗り越えてきました。本句集には結社誌の主宰選の句が多くの割合を占めており、ご指導の賜と深く感謝しております。

また、百鳥入会以来何かとお世話になり、今でも東北百鳥の会で指導を仰いでいる太田土男氏に謝意を表したい。

 

平成十四年には誘われて地元弘前市の渋柿園俳句会に入会。当時の藤田枕流代表はかつて同じ職場だったこともあり、親しくして頂いたが句会では容赦なく厳しい指導を受けた。

 

本句集の上梓に当たり渋柿園木田多聞天代表には、ご多忙のところ身に余る序文を賜り、その上帯文までいただき心から感謝しています。また、句集発行に際し真っ先に相談した句友の鳴海顔回さんには自作のカットまで使用させていただきありがとうございました。末筆となりましたが小野印刷木村社長には何かとご配慮いただき厚くお礼申し上げます。              

                            斎藤ひでを

 

  赤薔薇クローバー

 

  著者略歴  平成12年百鳥俳句会入会

        平成14年渋柿園俳句会入会

        俳人協会会員

        俳人協会青森県支部幹事 ほか