こんばんは。

 

北国弘前も

これまでにない蒸し暑い日が続いています。

 

午後4時ころ雨が久しぶりに降り出し、やがて止みましたが、

乾燥しきった大地を潤してくれました。

 

皆さまお元気でお過ごしでしたでしょうか。

 

 

 

 

さて今回は7月号(第587号)より

 

小野いるまさんの『俳人の詠んだあおもり』 の10回目 です。

 

 いるまさんの以下の3冊の著書から、月1回の割で、澁柿園の俳人を中心にご紹介しています。

 

『俳人の詠んだあおもり』   (2008年 北方新社)

『続俳人の詠んだあおもり』  (2009年 北方新社)

『俳人の詠んだあおもり第3集』(2010年 北方新社)

 

また現役俳人でもいらっしゃるので1句ご紹介。

 

     今月の一句

        

   図書館の隣は刑務所秋すだれ   いるま

  

                          (青森県句集第32集)

 

 

 

 

  小野いるまの「俳人の詠んだあおもり⑩」 

     

 

      堺   絹(さかい きぬ)
        

        絵本のような句集  
 

堺絹は、今年九十一歳になる。 森羅万象の中で生かされていることに感謝しながら、今もこつこつと句作を続ける。
絹が俳句の道へ入ったのは昭和五十四年。弘前の鷹ヶ丘老人福祉センター俳句教室に入り、臼田亜浪の高弟である佐藤流葉(りゅうりょう)から指導を受けるようになったのが始まりだ。翌年、流葉の勧めで「かまつか」入会。同じ臼田亜浪系の全国誌で、こちらは今も同人を続ける。

 

俳句を始めて間もないころ、NHKの飯田龍太俳句教室を申し込んだが、指導に当たるのは門弟ばかり。二年ほどで退会した。最後まで龍太先生の馨咳(けいがい)に触れることがなかった、と本人は残念がる。
 

絹は「石楠(しゃくなげ)」を創刊した亜浪の人間性に惚れこみ、没後に東京・中野の墓前を詣でて、親指ほどの小石一個を記念に持ち帰った。お守りとして今も大事にしているという。亜浪の句碑は、門弟たちの調べで全国に十九基あるそうだが、絹はこれらすべてを回ろうと発願(ほつがん)し、これまでに北海道四・東北一(平泉)・神奈川二・長野三・京都一の計十一ヵ所を踏破した。残りもおいおい…とは考えているが、足腰の衰えなどもあって、発願した十九基すべてを回るのは、果たしてどうなることやら。
 

県内結社では、「連峰」に続いて昭和六十二年「渋柿園」 入会、翌年同人。誰でも平等に扱ってくれると、藤田枕流代表には全幅の信頼を置く。このほか弘前の清水句会(斉藤泥雪代表)へ顔を出したり、弘前吟行会(山田一穂代表)の会員にも名をつらねるなど、なかなか意気盛ん。ただし、各地の大会へ出席して競い合う気力は失せたといい、八十五歳以降はどこの大会にも参加していない。
 

平成二十年、長年の師であった佐藤流葉が百四歳で亡くなった。 流葉が生前つぶやいた「俳句には品格が欲しいね。軸にして床の間にかけても、短冊にして柱にかけても、それに似合う句でなければ・・・」というひとことを、絹は今も鮮やかに記憶している。品格があるかどうかは別として、作句に当たり常に品格を心がけるようになったのはたしか。
 

鳥帰る宙方(ちゅうほう)尺(じゃく)を博ちつぎて
 

初心のころ朝日俳壇へ投句、加藤楸邨に採られた生涯の大切な一句である。何千㌔の長い道のりを、命がけで飛んでくる渡り鳥。人間もかくあらねばとつくづく思う。絹は十歳の時、父に連れられて樺太へ。 そこで津軽出身の堺勇吉と出会って結ばれる。三男一女を授かり、終戦で津軽へ引き揚げる。各地を転々とした自分を渡り鳥にかさね合わせた句だと、彼女の自句自註がある。
 

平成十八年、絹は句集「風のうた」を出した。 各ページにカラー写真を配しまるで絵本のような楽しい装幀。初心のころからの百十二句を収めた。帯には句集名にちなんで〈風を感じ、風と遊び、風を詠む〉のキャッチコピー。 句集の性格をぴたりひとことで表現していると話題になった。
 

流星や今際(いまは)の一語ありがとう   


句集のあとがきで絹は「介護度は要支援、肥大した心臓を抱えつつも、一病息災の状態を保っています。改めて神仏、国法、衆生、両親(加えて家族)の四恩に心からなる感謝の念を捧げます」と記した。 喜寿、米寿の節目を逃し、これが最後のチャンスと思って、卒寿記念の自祝の意味をこめた句集になったとか。〈ありがとう〉の座語に、絹の思いのすべてが凝縮されている。

 

夏立つ日句集編まむのこころざし
 

句集刊行を決意したころの作。薫風の小田切力(つとむ)は「立夏のころは山は新緑に萌え、海は爽やかに凪、生きとし生けるものが輝く季節である。ご高齢の絹さんが、句集を出さなければ…と高い志を持たれたのもよくわかる」と鑑賞している。
 

言ひそびれ釣瓶落しの訣れかな
 

ひとふでに水平線の涼しかり
 

         (『続俳人の詠んだあおもり』2009年刊・北方新社)

 

 

 

 

《黒石よされ吟行》

 

8月15日 句友3人で弘前市に隣接する黒石市で開催された

「黒石よされ」吟行に行って来た。

 

 

国指定重要文化財に指定されている「高橋家」の向かい側に腰かけて

流し踊りを楽しんだ。

 

 

「高橋家」

その歴史は約300年前までさかのぼり、藩政時代は米殻を扱う黒石藩御用達の商家でした。風情のある建物は、藩の要人がお忍びで通う月見の窓を有した隠し部屋や、米蔵、味噌蔵、文書蔵が今もそのまま残っています。現在は14代当主 髙橋幸江さんが喫茶店を営み、晴れた日は隣接する庭園で、黒石のおいしい水で煎れたお茶やコーヒーをいただくことができます。(黒石市のホームページより)

 

 

「黒石よされ」は日本三大流し踊りの1つである。

廻り踊り、組踊り、流し踊りの3つの踊りで構成されているようだが、

私達が陣取ったところではほぼ流し踊りだけ。

 

ほっほっほ、それーの掛け声が可愛らしかった。

また、巧い踊り手がやってくるととても見ごたえがあった。

 

 

踊子に女性議員の混じりをり  鈴之介

 

 

 

最後までお読みくださりありがとうございました。