こんにちは。

おいでくださりありがとうございます。

 

弘前の今日は晴れたり曇ったり、

 

と書いていたら小雨がばらついてきました。

 

梅雨入りをしたのでからっとしているとはいいがたいですが、

 

ついさっきまで郭公が啼いていて、涼やかでした。

 

チューリップピンク チューリップピンクチューリップピンクチューリップピンクチューリップピンクチューリップピンクチューリップオレンジチューリップオレンジチューリップオレンジチューリップ黄チューリップ黄チューリップ黄チューリップ黄チューリップ黄

 

 

さて今回はまたまた季節がずれてしまいましたが、5月号(第585号)より

 

小野いるまさんの『俳人の詠んだあおもり』 の8回目 です。

 

 いるまさんの以下の3冊の著書から、月1回の割で、澁柿園の俳人を中心にご紹介しています。

 

『俳人の詠んだあおもり』   (2008年 北方新社)

『続俳人の詠んだあおもり』  (2009年 北方新社)

『俳人の詠んだあおもり第3集』(2010年 北方新社)

 

また現役俳人でもいらっしゃるので1句ご紹介。

 

     今月の一句

        

    暑き日やどこまでも行く夢を見し   いるま

  

                          (青森県句集第34集)


    

 

 

 

 

 

  小野いるまの

      俳人の詠んだあおもり⑧

 

  会津 鉄山(あいづ てつざん)

   

      弘前吟行会の会長に 

 

とにかく大きい。この人がいれば、吟行の時なんか目標になっていいだろうなと、句会で初めてお目にかかった時、会津鉄山にはそんな印象を持った。

 

ぎこちなく輪に加はりし盆踊り    鉄 山

 

なんということのない句だが、これが巨体の鉄山だからおもしろい。 「あの背が高く、豪快に歌う人が、ぎこちなく盆踊りを踊っている姿を想像するだけで、なんともおかしくなってくる」と、松宮梗子は所属誌の作品月評に書いている。〝秋田三大盆踊りを見る会〟というツアーがあり、 鉄山もこれに加わったらしい。舞台の上で五十人ぐらいが踊っていた。日本舞踊の名取り顔負けの手さばき、腰さばきの人もいれば、一方ではただ楽しんで踊ればいいという人もいた。どちらも甲乙つけがたいが、ぎこちない組の方が私にはおもしろかった――と梗子の一文は続く。 自由奔放で大らか。 自分の踊りぶりなど少しも気にせず、堂々と盆踊りの輪の中に入っていった鉄山の姿が浮かんでくる。

 

一列の中の長身息白し        鉄 山

 

こちらは鉄山そのものではなく、教職時代の教え子を詠んだ鉄山の句である。 厳冬に入ると、人の吐く息は白く見える。萬緑の福士光生は「この句、初冬の朝と見た方がすがすがしい。 最近の子は総じて長身だが、これはその中でも抜きん出た生徒の息である。 その息が周囲の子より頭一つ上から出ていたので、教える側の先生からもはっきり見えたのだろう」と鑑賞している。

鉄山が俳句を始めたのは昭和四十八年。弘前工業高の職場句会に誘われたのがきっかけだ。最初「かたくり句会」の名前だったが、翌年「渋柿」(しぶがき)と変え、今の「渋柿園」(じゅうしえん)へとつながっていく。全国誌では昭和五十六年 「萬緑」入会。師系は中村草田男と、その流れを汲む川口爽郎、成田千空。これら諸先生からは「俳句は足で作るもの。常に吟行を心がけよ」と言われた。 「俳句は詩であって、日記ではない」とも指導された。

「最近は体調を崩し、俳句活動が鈍ってしまった」とご本人は述懐しているが、爽郎の提唱で誕生した弘前吟行会に加わり、ずいぶんあちこち見て歩いた。そこで得た多くの俳人たちとの交流も忘れられない思い出だし、心の財産になっているという。今年五月には、 山田一穂の後を受けて会長ポストに就任、まだ老けこんではいられないと気を取り直しているところだ。

 

どのやうに切っても人参嫌ひなり   鉄 山

 

人によって食べ物に好き嫌いがあるのは仕方のないこと。いやな食材も切り方によって変わることがあるというけど、鉄山はどのように切っても調理をしても、人参だけは駄目だと自認している。 「子供ならまだしも、大柄な作者だから余計におかしい」と、渋柿園代表の藤田枕流の一文にある。巨漢ならではのおかしさだろうか。

 

子供のころ、こんな体験をしている。 父の曳く橇に乗って、りんご畑の小屋に薪を取りに行った帰り、五能線の遮断機のない踏切近くで遊んでいると、ラッセル車を先頭にした列車が近づいてきた。ものすごい雪煙。

一瞬視界が遮られ、父の姿が見えなくなった。てっきりひかれたと早合点した少年は、泣きながら家に引き返す。取り乱した母の様子が今も印象鮮やかだ。父は途中でいなくなった息子を心配しつつ帰路につき、途中で息せききってかけつけた母の一行と出会う。「私の勘違いから父を一時事故死させてしまったが、その父は九十歳まで生き、天寿を全うした」と、鉄山のエッセイにある。

 

列車過ぐ父奪ひたる雪女郎        鉄 山

 

数多い吟行句の中からもう一句。

 

かたくりの紫けむる浄仙寺      鉄 山

 

(『俳人の詠んだあおもり』第3集2010年刊・北方新社)

 

 

 

 

鉄山さんは昨年5月31日に逝去されました。その際の記事です。

    ダウン  ダウン  ダウン

 

 

 

 

 

 

《羽黒神社吟行》

 

6月〇日

俳人?5人が集まったので行ってみようということに。

目の神様ということでみんな乗り気である。

 

弘前市内の神社ではあるが、市街地からは少々遠い岩木山方面にある。

 

カーナビ通りに行ったのだが、途中迷った。

 

山の林檎園を下りつつ道を尋ね、神社への参道を上る。

 

夏木立のなかにその神社はあった。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まあここに二人静と言ひ合ひぬ  鈴之介