『澁柿園』6月号に掲載された鳴海顔回さんの「俳句で行くあおもり 3」をご紹介します。

 

 

 五所川原 立佞武多が躍る街

 

     案内人  松宮 梗子 さん

 

 五所川原は今、金木町、市浦村と合併して大きな市となっているが、取材の日は翌日

 

に立佞武多の出陣を控えた、どこやらざわざわした祭り前の旧五所川原市だった。

 

 ひとまず、そうした喧噪(けんそう)を避けて飯詰の山手に向かった。五所川原農林高

 

校の広い敷地を過ぎ、右、右と入っていくと市が経営する「玉清水牧場」に着く。

  

   高々と撫や欅や緑さす      梗子

 

 この辺り、朝日左衛門尉行安の居城と伝えられる「高楯城」があって、この城は天正

 

十六年(一五八八)六月、為信に攻められて落城、城主朝日左衛門尉は城を枕に討ち

 

死にした。遠い戦国時代の話である。

 

当社発行の「わがふるさと」を見ると、五所川原新田の開拓が始まったのは、寛文五年

 

(一六六五)である。もちろん、五所川原の現元町や湊はそれ以前に集落をなして、水

 

田も開かれていたが、ここから本格的な開発に着手している。

 

   倒木はけものの匂ひなめくじり  梗子

 

 開拓は十二年前の歳月を費やした。これが五所川原の基礎となっている。

 

そして明治十一年郡役所がおかれて以後、一寒村が物産の集散地として、あるいは地

 

域経済の中核として町はどんどん膨らんでいった。そのころから「ヤッテマレ、ヤッテマ

 

レ」という声が聞こえるようだ。

 

 立佞武多の館は地上六階。「五穀豊穣」と昨夏の「杙(くい)」に加えて今年制作した

 

「炎(ほむら)」の三台が展示されている。六階の吹き抜けを余すところなく、立佞武多

 

が屹立(きつりつ)している。

 

 

                     2019年8月7日五所川原にて

       昨年に引き続き今年も五所川原佞武多は中止です

   

   杙・炎紙を一重に立佞武多    梗子

 

 展示室はエレベータで最上階まで上り、佞武多を見ながらスロープを下りて来る。見

 

送り絵の回り、火炎をまとった昇竜が真っ赤な口を開けている。青鬼が手を広げて掴

 

(つか)み掛かろうとしている。たった紙一枚。灯りが入り街に立佞武多が繰り出してい

 

く。そこには鬼が棲み、津軽衆の心臓を鷲掴みにして過ぎる一瞬があるのだ。

  

    じゃわじゃわと北のたましひ佞武多曳く 梗子

 

 「ヤッテマレ、ヤッテマレーって昔からの掛け声なんですか」。そんな疑問も簡単に解

 

消した。「母は小さい時から、そう聞いていたそうです」。松宮梗子さんは五所川原の町

 

っ子だから間違いはなさそうだ。

 

 立佞武多が通る市役所通りは、セットバックが進み道路を横断する電線はない。交差

 

点の角に市内の高校のねぷた小屋がある。小さな前ねぷたが台座に据えられ、小屋の

 

奥からはねぷた笛が聞こえてくる。

 

 そこから、もう少し行くと五所川原の市民体育館がある。一帯はポプラの大樹が真夏

 

日の太陽をさえぎっている。資料館や図書館とともに市民が憩う公園になっている。

 

   炎熱や聖き艶持つ草田男碑    梗子

 

 梗子さんとしては、やはり師・成田千空さんの句碑を訪ねることになる。体育館に入る

 

 左側の芝生には、先師中村草田男、少し離れて千空さんの句碑が建つ。「炎熱や勝

 

利の如き地の明るさ 草田男」と「大粒の雨降る青田母のくに 千空」である。

 

 梗子さんはしばらく、公園をぶらぶらと歩いている。「鳴海さん」と呼ぶから、たばこを

 

置いて車を出た。ポプラの大樹の下で何かを指さしている。セミの脱(ぬ)け殻がそこら

 

中にあった。

 

   空蝉のひしと掴まる碑裏かな   梗子

 

 ポプラの根元、一本の草からそのまま脱け殻を残して飛び立ったものか、茎にしがみ

 

ついている。碑裏から飛び立ったそのセミは、今碑を囲む樹上で鳴いている。梗子さん

 

は十七年前、千空さんに師事している。「万緑」に入会した時から、月百句を作って千空

 

さんに見てもらった。

 

 その中から三つ、四つ。あるいは五つほど〇が付けられる。そんな初学の時代、力が

 

漲(みなぎ)っていたろう千空さんと一緒に居られた幸せがあると思う。

 

 「二年間、そんな時代を過ごしました。言われる通り、本当に楽しかった。職場で徳才

 

子青良さんから俳句を勧められ、そして千空先生の指導を受けたんですから‥‥」と梗

 

子さんは素直にその環境を享受している。

               

             (俳句で行くあおもり⑱ 2005.8.10陸奥新報より転載)

 

 

 

松宮梗子さんは渋柿園に所属されています。

 

句集も出されているので後日ご紹介したいと思っています。

 

 

私はしばらく外で見ておりましたが、

 

皆さんも今日は月をご覧になっていたのでしょうか。