私の心の葛藤の発生源は
たいてい母親との関係からきている。
これは
言いかえるならば、
私は葛藤の大半を母親に投影している。私がそれを母親に語らせ、行動させ、自作のシナリオ上の
やな役を
母親にやらせている
ということになる。
エピソードをいくつか思い出すだけでも、
私はなんだか悲しくなり、
シクシクと泣けてきてしまうことがある。
1
女性として自信が病的なレベルでない→
強烈な孤独と承認欲求で苦しんだこと→
自分を大切にできず、他人を大切にできず、私を大切に扱わない男性ばかりと酷い関係しか築けない、
それはそれはイタい女になったこと
→
つらい鬱、死にかけた鬱、過食嘔吐などになったこと
※母自身も女性としてのコンプレックスを持っているが、乗り越えたと言っている。
しかし、はたから見ると、世の中に背を向け、関わりを断絶し、目をつぶって、耳をふさいで、感じないように生きているようにしか見えない。
2
いつも母親から
宗教をやっているよき娘
を要求されたこと。
宗教をやっていない私は存在を認めてもらえないという感じ。
そして宗教から離れたら超絶不幸になるという怖れを
いつもふっかけられていた。
※その宗教自体は私は間違ってるとは思わない。観察者の目を養うことも、真我に対する感性を育まれたのも、そこのおかげであり、団体としても誠意ある、金儲けをしない、現実逃避しない、変にチチンプイプイサイキックパワーみたいなのに逃げない、むしろ精神世界に免疫がない人はやりゃいいんじゃないか?とすら思えるので、それ自体が問題なのではない。
コースと違うのは、輪廻転生の考えを採用してるのと、エゴを内省と浄化でしらみつぶしにがんばって乗り越えることぐらい。
私は子供の頃から
世の中はそのうち飢饉になるとか
日本は経済破綻するとか
病気になって絶望したとき
災害にあったり
犯罪に巻き込まれて
身体と魂が危機にあったとき
その危機を回避したり、
あるいは
なんとか精神を破綻させずに
愛ある道を歩むためには
その宗教から絶対に離れてはダメだと
言われて育った。
要は、
宗教そのものをすすめられるというより、
世の中について母親が感じている
怖れ、私を心配するあまり、
ねっとりと絡みつくような母親の不安と、
宗教やりなさい
を
常にセットで受けとってきた。
先に書いたように、
その宗教そのものは私的には特に問題なかったので、
私は、母親に
うるせぇ!宗教なんかやるかボケ!
みたいな反抗をするでもなく育った。
そのうち、
母親の怖れの世界に疑問を抱き、乗り越え方に疑問を抱き、
真実はそうじゃないんじゃないか…?
と、コースに惹かれていく際も
私は踏み絵を踏むようなつらさを味わった。
子供にとって
親という絶対的な存在が
さらに人間世界を超越しちゃうような、
宗教という絶対的な思想体系を
子供にふっかける、、、
しかも、自分の怖れを投影しながらふっかけるなんて、重いにもほどがある。
なんてことしてくれるんだ
と、思う。
入院して、身の回りのことに困ったとき、マタニティのパジャマや下着をすぐ買って届けてくれたのは義理の母で、
実母は、、、
電話してきて開口一番、
「光を入れなさいよ!!」(病気に対する怖れの気配をムンムン漂わせながら、、、)と言った。
私は、
カチンときて電話をすぐ切ってしまった。
うちの母はそんなコトしか
言えんのかと絶望した。
なんだかガッカリした。
その後、入院中、痛みと闘いながら、夢を見てうなされた。
母がカセットテープを病院に送ってきた。
宗教のメンターによる講義のカセットテープの冒頭に、
◯◯~、◯◯~(私の名前を呼ぶ、母の呻くような声)が収録されている。
ヒィィッ!!
となって、私は母に
2度と来るな!
と叫んでいる夢。
3
うちの実家は随分貧乏だ。遠方にあるせいでもあるが、
すぐ病院に駆けつけて来れないのはまず、お金がないからだ。
母から面会に行くとメールがきても
断った。
今、無理にお金やりくりして面会に来たら、
一ヶ月後に赤ちゃんが産まれたとき
もう一度会いにくる交通費が捻出できないんじゃないかと察したから。
お金がないのは、父の勤めていた会社が、倒産したとか、色々あるものの
(宗教自体はお金をほとんどとらないのだが宗教のために東京などに通いつめたのは大きい。)
というか
一家が貧乏がつらかったとき、
怖れすぎて直視できず、対策できなかったからだ。
貧乏に目をつぶって、
耳をふさいで、感じないようにして、
東京に行くお金を捻出する。
将来のことは恐ろしいから感じないようにしながら。。。
父が失業したとき、
母は小学生の私に
お父さんの仕事が見つかりますようにと先生(宗教のメンター)にお祈りしなさい。
と言った。
無茶やろ。。。
私は一生懸命お祈りした。
でも父が得た仕事は
早朝から遅くまで死ぬほど身体を酷使して、バブル時代に手取りが13万くらいしかない仕事だった。
こんなにがんばっても報われない。。。
私は貧乏に取り憑かれていて、
そこからどうやったって抜け出せない
という思いを母に刷り込まれた
と思っていた。
そんな感じで
女性としてのコンプレックスと
宗教による苦しみと
貧乏人根性
といういろんな負の遺産を
私は母から背負わされた、
と思っていた。
ついでに
妊娠して、それが女の子だと知ったとき、どうしようとうろたえた。
わたしは、
女の子がどうやったら幸せな人生を送れるのかよく分からないからだ。
なんやかんやで、
大切なのに
親孝行したいのに、どうしても
大嫌いと思ってしまう母に、
私は似ている。
だから、
自分が娘の毒親になるのではと思うと恐ろしいし、
娘に嫌われるんじゃないか
と、怖くて仕方ない。
マタニティブルーなんぞでは言い表せない葛藤がわいて仕方なかったりした。
自分の悲しかった思い出は無駄にせず、娘がつらい気持ちになったときは寄り添って、夫と協力して、
広い視野と広い体験を持たせてあげたい、、、あなたはあなたのままでよいのだということを
愛をもって伝えてあげられるならば
そうしてあげたい、、、と。
震えながら思っていた。
でもね、
最近、この
母との葛藤に、
新しい光が差し込んできたのです。
それは
母はいない。
私もいない。
何も起きていない。
この世界はない。
神と神の愛しかない。
という
シンプルなコースの考えそのもの。
起きてないとか、それさすがに
無茶だろ!と、
あまりにも痛々しく、まさに
起きている!
としか感じられなかったものを
赦す。。。
入院して
まさに痛くて、苦しい中、
起きていると感じないのが無茶な
それを赦す、という
訓練を何度もしたからか
母のことも
赦せるようになってきたのです。
お母さんはいない。
生まれ育ちも、生い立ちもない。
今まで実は何も起きていない。
あの痛々しい出来事も
お母さんのせいで苦しんだと
思ったことも
エゴの幻想でしかない
いきさつは、過去は、
ないんだもん。
背負わなくていい。
私はエゴの思考を放棄します。
私はエゴの幻想を放棄します。
起きていないことを
消去します。。。
苦しすぎて触れたくなかった
関係を
聖霊にゆだねて赦す方向へ
導かれてること自体が
私としては
すっっっごいことなのです。
こういうごっついわだかまりが
浮き上がって剥がれていくことで
あんなにも強固で絶対だった
堆積しまくった、
動かし難い
【現実】
が、
幻想だった!
という体験を得ることができたのです。
そうなると、
ちいさめの赦しは、
気がついたらアレっ?という感じで
サクサク赦せたりするのです。
私が、私である
私を構成しているはずの
前提•自己概念みたいなものが
ポロポロはずれていくのです。
わかりやすい簡単な例では
たとえば、
足が太い自分がコンプレックスだったりします。
が、
洋服を物色しながら
今までは
足が太いから、、、
楽しむこともできずに
ため息ばかりだったとします。
それが、
あ、現実って幻想なんだよなー、別に
足が太いからオシャレできないみじめな私、
という前提に基づかなくたって、
別にいいんじゃん!
とわかり、
わかると
足が太いからオシャレできない苦しみの感情を
思い出せなくなるんです。
頭の中は、いや~♡何色にしようかな、フレンチな感じかな?フワフワな感じかな?
え?足??
まあ、一番素敵に見える似合う感じにすりゃいいんじゃない?
みたいになるのです。
赦したからって、
その瞬間に、
足の実測値がPerfumeみたいになるとか、そうではないのだけど、
なんか、苦しかったことが
思い出せないんです。
それって究極の現実逃避じゃね?
コースって現実逃避じゃね?
だって実際は何も変わってねーじゃん
ってエゴの声がしたりもしますが、
現実逃避もなにも、その
現実とやらは幻想なんだしさ。。。
と思いますが、、、
エゴにもあえてハッキリ言うなら
赦す前の世界と、赦した後の世界は
確実に違う世界なのです!
それは現実逃避とはまったく違う、
今まで感じたことのない
新しい感覚なのです。
そんな感じで、
もはや
何でもかんでも
赦せばいいじゃん
の、
赦し大放出祭りに
なってきました。
過去はわたしを縛らない。
今までうまくいった、いかない、
これはあーだからこーだから、うまくいかない
など、
まったく、関係ない。
いきさつはわたしを縛らない。
モヤモヤしてきたら
すぐに聖霊を呼び、
Jを呼び、
赦しをひたすら選んで委ねるだけ。
あらゆる悩み事に
私はもう縛られなくていい。
悩み事と認識できる全ては、
もうそれ
赦していいよのGOサインでしかない。
私の中で、
いや、、、それはまだ赦せない。
そこはまだ触れたくない。
が、一気に解体されはじめた。
赦しをすると世捨て人になるんじゃなくて、
より一層JOYになるんよ、
というのも
なんか少しわかってきた。
楽しいな。
楽だな。
iPhoneからの投稿
たいてい母親との関係からきている。
これは
言いかえるならば、
私は葛藤の大半を母親に投影している。私がそれを母親に語らせ、行動させ、自作のシナリオ上の
やな役を
母親にやらせている
ということになる。
エピソードをいくつか思い出すだけでも、
私はなんだか悲しくなり、
シクシクと泣けてきてしまうことがある。
1
女性として自信が病的なレベルでない→
強烈な孤独と承認欲求で苦しんだこと→
自分を大切にできず、他人を大切にできず、私を大切に扱わない男性ばかりと酷い関係しか築けない、
それはそれはイタい女になったこと
→
つらい鬱、死にかけた鬱、過食嘔吐などになったこと
※母自身も女性としてのコンプレックスを持っているが、乗り越えたと言っている。
しかし、はたから見ると、世の中に背を向け、関わりを断絶し、目をつぶって、耳をふさいで、感じないように生きているようにしか見えない。
2
いつも母親から
宗教をやっているよき娘
を要求されたこと。
宗教をやっていない私は存在を認めてもらえないという感じ。
そして宗教から離れたら超絶不幸になるという怖れを
いつもふっかけられていた。
※その宗教自体は私は間違ってるとは思わない。観察者の目を養うことも、真我に対する感性を育まれたのも、そこのおかげであり、団体としても誠意ある、金儲けをしない、現実逃避しない、変にチチンプイプイサイキックパワーみたいなのに逃げない、むしろ精神世界に免疫がない人はやりゃいいんじゃないか?とすら思えるので、それ自体が問題なのではない。
コースと違うのは、輪廻転生の考えを採用してるのと、エゴを内省と浄化でしらみつぶしにがんばって乗り越えることぐらい。
私は子供の頃から
世の中はそのうち飢饉になるとか
日本は経済破綻するとか
病気になって絶望したとき
災害にあったり
犯罪に巻き込まれて
身体と魂が危機にあったとき
その危機を回避したり、
あるいは
なんとか精神を破綻させずに
愛ある道を歩むためには
その宗教から絶対に離れてはダメだと
言われて育った。
要は、
宗教そのものをすすめられるというより、
世の中について母親が感じている
怖れ、私を心配するあまり、
ねっとりと絡みつくような母親の不安と、
宗教やりなさい
を
常にセットで受けとってきた。
先に書いたように、
その宗教そのものは私的には特に問題なかったので、
私は、母親に
うるせぇ!宗教なんかやるかボケ!
みたいな反抗をするでもなく育った。
そのうち、
母親の怖れの世界に疑問を抱き、乗り越え方に疑問を抱き、
真実はそうじゃないんじゃないか…?
と、コースに惹かれていく際も
私は踏み絵を踏むようなつらさを味わった。
子供にとって
親という絶対的な存在が
さらに人間世界を超越しちゃうような、
宗教という絶対的な思想体系を
子供にふっかける、、、
しかも、自分の怖れを投影しながらふっかけるなんて、重いにもほどがある。
なんてことしてくれるんだ
と、思う。
入院して、身の回りのことに困ったとき、マタニティのパジャマや下着をすぐ買って届けてくれたのは義理の母で、
実母は、、、
電話してきて開口一番、
「光を入れなさいよ!!」(病気に対する怖れの気配をムンムン漂わせながら、、、)と言った。
私は、
カチンときて電話をすぐ切ってしまった。
うちの母はそんなコトしか
言えんのかと絶望した。
なんだかガッカリした。
その後、入院中、痛みと闘いながら、夢を見てうなされた。
母がカセットテープを病院に送ってきた。
宗教のメンターによる講義のカセットテープの冒頭に、
◯◯~、◯◯~(私の名前を呼ぶ、母の呻くような声)が収録されている。
ヒィィッ!!
となって、私は母に
2度と来るな!
と叫んでいる夢。
3
うちの実家は随分貧乏だ。遠方にあるせいでもあるが、
すぐ病院に駆けつけて来れないのはまず、お金がないからだ。
母から面会に行くとメールがきても
断った。
今、無理にお金やりくりして面会に来たら、
一ヶ月後に赤ちゃんが産まれたとき
もう一度会いにくる交通費が捻出できないんじゃないかと察したから。
お金がないのは、父の勤めていた会社が、倒産したとか、色々あるものの
(宗教自体はお金をほとんどとらないのだが宗教のために東京などに通いつめたのは大きい。)
というか
一家が貧乏がつらかったとき、
怖れすぎて直視できず、対策できなかったからだ。
貧乏に目をつぶって、
耳をふさいで、感じないようにして、
東京に行くお金を捻出する。
将来のことは恐ろしいから感じないようにしながら。。。
父が失業したとき、
母は小学生の私に
お父さんの仕事が見つかりますようにと先生(宗教のメンター)にお祈りしなさい。
と言った。
無茶やろ。。。
私は一生懸命お祈りした。
でも父が得た仕事は
早朝から遅くまで死ぬほど身体を酷使して、バブル時代に手取りが13万くらいしかない仕事だった。
こんなにがんばっても報われない。。。
私は貧乏に取り憑かれていて、
そこからどうやったって抜け出せない
という思いを母に刷り込まれた
と思っていた。
そんな感じで
女性としてのコンプレックスと
宗教による苦しみと
貧乏人根性
といういろんな負の遺産を
私は母から背負わされた、
と思っていた。
ついでに
妊娠して、それが女の子だと知ったとき、どうしようとうろたえた。
わたしは、
女の子がどうやったら幸せな人生を送れるのかよく分からないからだ。
なんやかんやで、
大切なのに
親孝行したいのに、どうしても
大嫌いと思ってしまう母に、
私は似ている。
だから、
自分が娘の毒親になるのではと思うと恐ろしいし、
娘に嫌われるんじゃないか
と、怖くて仕方ない。
マタニティブルーなんぞでは言い表せない葛藤がわいて仕方なかったりした。
自分の悲しかった思い出は無駄にせず、娘がつらい気持ちになったときは寄り添って、夫と協力して、
広い視野と広い体験を持たせてあげたい、、、あなたはあなたのままでよいのだということを
愛をもって伝えてあげられるならば
そうしてあげたい、、、と。
震えながら思っていた。
でもね、
最近、この
母との葛藤に、
新しい光が差し込んできたのです。
それは
母はいない。
私もいない。
何も起きていない。
この世界はない。
神と神の愛しかない。
という
シンプルなコースの考えそのもの。
起きてないとか、それさすがに
無茶だろ!と、
あまりにも痛々しく、まさに
起きている!
としか感じられなかったものを
赦す。。。
入院して
まさに痛くて、苦しい中、
起きていると感じないのが無茶な
それを赦す、という
訓練を何度もしたからか
母のことも
赦せるようになってきたのです。
お母さんはいない。
生まれ育ちも、生い立ちもない。
今まで実は何も起きていない。
あの痛々しい出来事も
お母さんのせいで苦しんだと
思ったことも
エゴの幻想でしかない
いきさつは、過去は、
ないんだもん。
背負わなくていい。
私はエゴの思考を放棄します。
私はエゴの幻想を放棄します。
起きていないことを
消去します。。。
苦しすぎて触れたくなかった
関係を
聖霊にゆだねて赦す方向へ
導かれてること自体が
私としては
すっっっごいことなのです。
こういうごっついわだかまりが
浮き上がって剥がれていくことで
あんなにも強固で絶対だった
堆積しまくった、
動かし難い
【現実】
が、
幻想だった!
という体験を得ることができたのです。
そうなると、
ちいさめの赦しは、
気がついたらアレっ?という感じで
サクサク赦せたりするのです。
私が、私である
私を構成しているはずの
前提•自己概念みたいなものが
ポロポロはずれていくのです。
わかりやすい簡単な例では
たとえば、
足が太い自分がコンプレックスだったりします。
が、
洋服を物色しながら
今までは
足が太いから、、、
楽しむこともできずに
ため息ばかりだったとします。
それが、
あ、現実って幻想なんだよなー、別に
足が太いからオシャレできないみじめな私、
という前提に基づかなくたって、
別にいいんじゃん!
とわかり、
わかると
足が太いからオシャレできない苦しみの感情を
思い出せなくなるんです。
頭の中は、いや~♡何色にしようかな、フレンチな感じかな?フワフワな感じかな?
え?足??
まあ、一番素敵に見える似合う感じにすりゃいいんじゃない?
みたいになるのです。
赦したからって、
その瞬間に、
足の実測値がPerfumeみたいになるとか、そうではないのだけど、
なんか、苦しかったことが
思い出せないんです。
それって究極の現実逃避じゃね?
コースって現実逃避じゃね?
だって実際は何も変わってねーじゃん
ってエゴの声がしたりもしますが、
現実逃避もなにも、その
現実とやらは幻想なんだしさ。。。
と思いますが、、、
エゴにもあえてハッキリ言うなら
赦す前の世界と、赦した後の世界は
確実に違う世界なのです!
それは現実逃避とはまったく違う、
今まで感じたことのない
新しい感覚なのです。
そんな感じで、
もはや
何でもかんでも
赦せばいいじゃん
の、
赦し大放出祭りに
なってきました。
過去はわたしを縛らない。
今までうまくいった、いかない、
これはあーだからこーだから、うまくいかない
など、
まったく、関係ない。
いきさつはわたしを縛らない。
モヤモヤしてきたら
すぐに聖霊を呼び、
Jを呼び、
赦しをひたすら選んで委ねるだけ。
あらゆる悩み事に
私はもう縛られなくていい。
悩み事と認識できる全ては、
もうそれ
赦していいよのGOサインでしかない。
私の中で、
いや、、、それはまだ赦せない。
そこはまだ触れたくない。
が、一気に解体されはじめた。
赦しをすると世捨て人になるんじゃなくて、
より一層JOYになるんよ、
というのも
なんか少しわかってきた。
楽しいな。
楽だな。
iPhoneからの投稿