魅力ある自分になるマインド
個性を磨けばそれが「魅力」になります。個性(≒私らしさ≒素の自分)は誰にでもあります。ということは誰でも魅力的になれるのです。
ところが、時に間違えてしまいがちなのですが、個性を無自覚に放置しておいても輝く魅力にはなりません。
素の自分でOK、そのままのあなたでOKだからあなたらしくいてね、というのは、全くその通りで、それだけで個性ある人になれるのです。
でも中には、その個性をもっと輝かせたい!魅力的になりたい!と思う方もいることでしょう。
個性が魅力に変わる時
「あの人って個性的だよね」この言葉だけではそれがプラスの意味なのか、反対に皮肉でマイナスの意味なのか判断できませんが、いずれにしてもその人は目立つ・目に付く存在なのです。一方で「あの人って魅力的だよね」この言葉を皮肉だと受け取ることは「あの人って個性的だよね」の時と比べると格段に少ないはずです。
ところが、「あの人って個性的だよね」のバージョンアップしたものが「あの人って魅力的だよね」であることに気付いていますか?
今、どんな意味でも「個性的だ」と言われている人は、あと一歩で魅力的になれると考えて良いのです。面白いことに、マイナスの意味で個性的だと言われていることでも、バージョンアップすると魅力に変わるのです。
逆に言うと、魅力的なあなたになるためには、真意不明の「個性的だね」という評価は一つの段階だと思って受け入れましょう。
このステップを受け入れられた時、人の言葉の裏が全く気にならなくなった時が魅力的なあなたに変わる最初のステップです。突き抜けた個性を持った時、といってもいいかもしれません。
でも人の評価、人の目が気になってしまう気持ちもよくわかります。
好評価を得るための自分磨き?
自分磨きという言葉が流行りましたが、何のために自分を磨くのだと思いますか?
資格取得のためですか?好きな人に振り向いて欲しいからですか?注目されたいからですか?表面的にはそういう人もいると思います。ですが「自分磨き」が流行った背景には、自分への回顧、自分にとっての自分自身という特別な存在への気づきが根底にあったように思います。横一列な社会で、みんな同じ制服を着て、薄れていく自分という存在への不安。そしてそこからの自分の救済。
自分磨きという流行でカモフラージュした本当の衝動。
どれだけ多く時間、自分ではなく他者によって規制された行動・好み・言葉を選んできたのでしょう。そして個性や感覚が鋭敏な人ほど、違和感から自分磨きを始めたのです。
「え?これ?自分磨き!いまみんなやってるから私も何かしようと思って」
そう言ってしまえば、自分がやりたいからやっている、という個性からの欲求をストレートに人目に晒し、万が一にも批判されなくて済んだのです。
魅力を使いこなすマインド
個性を磨き、個性が魅力に変わった時、その魅力は横一列にあなたを留めようとする圧力と戦う武器になります。これは自分への信頼・自己肯定感にもつながります。
そして、せっかくならその魅力ある個性、同じ武器でも、自分を守る盾としてだけではなく、攻めていく、自分を売っていく剣に高めませんか?
ここで必要なのはマインドの設定です。
『魅力は引力である』
この一言に尽きます。あなたがモデルさんや芸能人でなくても、起業している人でなくても、魅力は引力です。私たちは魅力で必要なものを引きつけて生きていることに気づきましょう。
これからの社会は個性的でないと生き残れない、と前の記事で書きましたが個性には優劣がありません。あるのは引力の強弱の違いです。魅力的である人は引力が強く、人を引きつけます。人を引きつけるというとやはりモデルさんや芸能人が思い浮かぶのかもしれませんが、例えば学校の先生:多くの生徒や親御さんを引きつければ授業もしやすいですね。例えば、就職活動:面接官を引きつければ記憶にも残りやすいですね。例えば、動物園の飼育員:動物たちを引きつければ世話がしやすいでしょう。
人は魅力でありたいし、魅力的な人に引きつけられたい
人間は社会を形成して生き延びてきました。ですから、いくら個性的で魅力的でも、独りぼっちは嫌ではないですか?少なくとも私は嫌です。
健全な承認欲求は恥ずかしい事ではありません。人は認められたい生き物です。
と、同時に人を認めたい生き物でもあるのです。どういうことかというと、生き延びるためには、「その環境」を最も生き延びられる可能性が高い個体についていく、その個体の判断に従うということも重要だったからです。これが魅力の引力の原始的な形態です。
でも、ここは未開の荒野ではなく、命の危険を察知して夜中に飛び起きるようなこともありません。そうなると、魅力の種類は多種多様になります。
必ずしも、餌のある方角を察知できる人が魅力的ではなくて、話が面白いとか、歌を作れるとか、お菓子作りが上手いとか、色彩感覚が素敵、といった人が魅力的であることもあるのです。
多種多様な魅力の引力があるということは、あなたの個性だって、いつ「魅力的」にステージアップするかわかりませんよ。
魅力多様性社会
魅力の引力には強弱があると言いましたが、引力が強ければ誰でも引きつけられるわけではありません。その魅力に反応する人が引きつけられるのです。
言い換えると、魅力の価値観は絶対的ではなく、相対的です。
例えばAというアーティストを「良い!」という人もいれば「そうでもない」人もいる。これは善悪ではないし、優劣でもないし、上下関係でもない。
誰にもAというアーティストを好きになれ!と命令することも出来ないし、Aというアーティストを好んでいる人が優れているわけでもない。緩やかで、非強制的な、だけど自分で選んだからには強い繋がりが、その人とAというアーティストの間には出来上がるのです。
魅力的になる第一歩。魅力の引力を意識してみてくださいね。