【見える化の間違い】

あいまいな中で
生きること
それの何がいけないのだろう

見える化する
ということをやり過ぎると

見える化したものを
並べることになり

似たものが横並びになると
評価がはじまる

それは
子供の絵に優劣をつけるような
くだらないこと

子供が「見える化」した
子供の世界に
優劣をつけるのは
子供の優劣を競いたがる大人

本来の自分を生きていない
子供を依り代に生きる大人


同じことが
大人同士でも起こる


自分を生きていないと
他者を依り代にして
宿り木みたいに
生きることになる


本人は気づいてないけれど
  

親しくもない有名な「友人」
人より優れた「彼氏  彼女」
会社を経営している「親」
羨ましがられる理想的な「配偶者」


どれも自分ではないのに


評価することも
評価されることも

もう
超えていきましょう


見える化するのは
自分の為であって
他者の為ではない

自分に
本来の自分を
見える化することは
自分を生きる上で
良いツールとなる


だけど
自分を見える化して
それを他者に承認されないと気が済まない
と、なると
やり過ぎ


それよりは
少しの曖昧さを残して
余白をもたせて
ミステリアスをスパイスに
波に任せて
自分を泳がせること


そんな余裕をもちたい


水上  宙

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