早速カミングアウトについて、お話しようと思います。

両親へカミングアウト、というかカミングアウト+治療したい、とお願いした数、3回。

 

1回目は、20歳の時でした。専門学校へ行っていたので就活時期で、どうしてもレディーススーツが着れなかった。

「今日、カミングアウトしよう…」そう決意し、両親がリビングにいる時間に、自分の部屋のドアノブを触っては離し、触っては離し…。

ちなみに姉がおりますが、まずは両親にと思っていました。

 

「よし!行くっきゃない!!!」

 
なぜかというと、我が家は先祖代々続いてきたお家柄でして、自営業をしていました。じいちゃんが社長をし、ばあちゃんが経理をし、俺の家の目の前に会社がありました。小学生のときにじいちゃんの年齢もあり廃業しましたが。
ひいおばあちゃんも女の子しか出産出来ず、跡取りとして末っ子のおばあちゃんが婿養子をとりました。
そしておばあちゃんも女の子しか出産出来ず、末っ子の母親が跡取りとして婿養子をとりました。
そして母親も女の子しか出産出来ず、姉は嫁に嫁いだので、我が家の土地やお墓を守るためには、末っ子の俺が婿養子をとり、先祖代々の我が家を継がなければならなかったからです。
 
そして、勇気を出して「ちょっと話があるんだけど」と話し始め、父親はそっとテレビを消して重たい雰囲気になりました。
「性同一性障害だから、男として生きていきたい。」簡単に言えばこんな感じで率直に伝えました。
親の反応は「そんなのTVの影響だ。勘違いだ。だったら診断書でももってこい」と母親に言われました。
父親は母親の言いなりなので、「まずは診断書がないと話にならないんじゃないか」とだけ言われました。
 
「就活するのにメンズスーツはバイトで貯めたお金で買うから。あと、一人暮らしするから。」と言い残し、さっそく駅前の不動産屋へ行き、家具家電付きの家を契約しました。その時は保証人必須の時代でしたから、それは意外にもすんなりと書いてくれました。
 
就活のために安いメンズスーツを買い、ネクタイが結べなくて練習していると、父親がしっかりと結んでくれて、いつもそれを緩めて崩さずに使用していました。父親っ子だったので、父親は否定せずにいてくれていたんだと思います。
 
 
最初の両親へのカミングアウトは、このような形で終わりました。
母親は、メンズスーツを着ると「変な恰好」「おかしいんじゃない?」と言っていましたね。
 
 
次回は「新卒で入社した会社へのカミングアウト」についてお話しできればと思います!!
 
読んで頂き、ありがとうございましたm(__)m
 
またねぇ('ω')ノ