あたしンちの母が、「米と味噌は最低価格で」と力説するのに激しく同意する近頃。
ほら、昨日何食べた、のシロさんも「パンについては俺、パンドラの箱を開けちゃったのよ」と嘆いてたのと同じく。
美味しい米や味噌、パンを一度口にしたら、それが基準になってしまって次からはそれより味が劣るものは受け付けなくなるってこと。
ベーシックを底上げすると、後が大変なのだ。
一方でそうたくさん食べないんだから、良いものを、というご意見も。
ワタシも最近、塩をゲランドの塩一択にしてしまった。
1キロあたりで千円弱。
お高い、お高いけれど美味しい。
漬物なんかもこれで作ると味が一変する。
廉価版の粗塩でも、全然美味しい。
でも、それにしても高いなぁ。
だけどあれこれ塩を買うことも無くなったから場所も取らないし、と納得させてる。
まぁ、塩は匙でしゃくって食べるものじゃないから1キロあればうんと長く使える。
でも日々食べるものの基準を上げると、それを戻すってなかなか。
そう、一度上げた生活レベルは簡単には落とせない。
良い暮らしをしてた人たちが零落して一番苦しむのはその辺だと思う。
当たり前と思ってたものがとても贅沢な恵まれたものや環境だったとしたら。
今が普通だよ、といくら周りが言ってもアタマが、カラダが反発するだろう。
だから、あたしンちの母の言うように安易に上げちゃ駄目なんだよね。
ワタシも業務スーパー通いが当たり前になるまでは結構葛藤があった。
別に高価な品を買ってたわけじゃないけど、謎に一段劣ると思ってた。
普通のスーパーで見切り品を探すのと違いはないだろうに。
今は平気、全然平気。
他の店でも安くてそこそこに美味しくて安全ならOK。
安い店はこのご時世、お客さんがたんと来るから回転率も良いし。
皆が安売りに群がってるから、自分だけが浮くわけじゃないし。
むしろ買い過ぎを警戒したほうが良い。
つい緩んだ財布の紐をこういう時こそ締めとかないと。
昔はシロさんみたく、美味しいパン屋さんのパンに目がなかった。
1回行けば数千円、でも贅沢だけど許される贅沢だと思ってた。
その時はスーパーのパンなんて見向きもしなくなってた。
それまでは菓子パンも食パンも頼り切ってたくせに。
そして今じゃどっちのパンも買わない。
糖質制限のおかげでパンもお菓子も麺類もスルー。
その分肉とかで食費は嵩むけど、そういうコーナーを横切っても買いたい、という気持ちは無くなって心穏やか。
同じものを平常心で食べるって、案外大事なことかもしれない。
今は自分へのご褒美、も要らないし、たまの贅沢、というのもしない。
普通に美味しくご飯を食べて、なるべく天然素材の服を着て、掃除が楽な物のない部屋で過ごすのが楽しい。
借りてきた本を読んで暖かければ昼寝して、目が覚めたら洗濯物を取り込んでアイロンかけて、と昨日と同じ今日が過ぎることがありがたい。
起きて半畳寝て一畳、天下取っても二合半、という言葉があるけど、足ることを知るって心の平穏のためにも、健康のためにも大事だよね。
他人と比べなくて良い、自分だけの基準で幸せ、と言えるなら周りがどれだけ嗤っても平気だし、見栄を張るのを本当に辞められたら一番幸せ。
まだ、張るんだよ、見栄を。
相手の思惑に乗ってね。
で、後で悔しくて仕方ない。
大した暮らしをしてるわけでもないのに、煽てられて引っ込みがつかなくなる。
こういうのを今年こそは払拭して朗らかに生きたい。
いつまで生きるかわからないけど、身の丈にあった生き方っていうのが今は一番大事だし自分にとって必要だと思う。
他人軸じゃなくて自分軸。
言うのは簡単なんだけどね。
今日も読んで下さり、ありがとうございます。