こうして私は必死の思いで近隣の病院へ徒歩で向かいました。

通常だと信号で止まらなければ自宅の玄関から5分で到着するその病院は遠く、

何度も何度も立ち止まり身体を自分で支えるのがやっとな感じで必死で歩いたことを覚えています。

あとから思えば救急車を呼ぶべきだったのかもしれません。

 

汗だくで多分必死な表情で入口に入った私の状態をみた受付の方は、

駆け寄り車椅子をすぐに用意してくださり、

予約より数時間も早く行った事情を説明したところ、

私の様子がすぐに医師に伝達されたようで医師が廊下に来てくださり

CTとMRIの指示が出されました。

CTやMRI時点では、まだ私は車椅子から立ってゆっくりなら歩くことは出来ていましたが、体調が悪化していることを実感していました。

徐々に身体が重たくなり、気分も悪く、会話することが辛く感じるようになってきていました。

私は車椅子に座ったまま本来診察待ちの患者が待つ廊下ではなく、診察室の後方の廊下で結果を待っていました。

 

しばらくすると医師が私のところまで来てくださり、CTもMRIも何も気になる症状がみられないとの説明を受けました。

しかしその医師は続けて「検査結果には気になる点がみられないのですが、私としては疑わしい病気があります。ギラン・バレー症候群という病気をご存知ですか?」と。

その時点で私はこの病名をまったく認識していませんでした。

医師はギラン・バレー症候群がどのような病気なのかを簡単に説明してくださった上で、「この病気の検査は残念ながら当院ではできません。ですのでもしよろしければこのまま大学病院に繋ぎたいと思うのですがいかがでしょうか」と仰ったのです。

 

いつもの私なら、まぁいいか自分でやろうかなと思うタイプなのですが、体調がどんどん悪化していて、手に持っているスマートフォンでギラン・バレー症候群を検索する気力も失っていました。

医師からの提案を素直受け止め、大学病院に繋いでいただくことをお願いしました。

少しして受けてくれる大学病院が見つかり、検査データ一式と紹介状がものすごい速さで用意されました。

このまま救急外来として大学病院へという事になったのですが、出動できる救急車が1台もいないという事で病院が呼んでくださったタクシーで大学病院に向かいました。 

タクシーを待つ間に家族に大学病院に来てほしいと連絡をすることはなんとかできました。 

いつも元気な私が息も絶え絶えの苦しい声だったこともあり、家族は私が大学病院に到着するのとあまり変わらない速さで駆けつけてくれました。ありがとう。

 

車椅子からタクシーに移るのも、タクシーから車椅子に移るのも、

もう必死な動作の状況に進んでいました。

自宅から病院に向かってから大学病院に到着するまで約3時間ぐらいの間に

体調はどんどん悪化していました。

大学病院に到着したのは18時を過ぎており、1Fには数人しかおらず静寂でした。

 

感謝です😢

今振り返っても、こうして私の症状に疑念を持ち、大学病院に繋いでくださった

医師に感謝しかありません。

あの時医師がその疑念を持ってくださらなかったら

私が申し出を断って自宅に帰っていたら

私はどうなっていたのか。。

考えると恐ろしくなります。

本当に本当に感謝しかありません。

 

ここから私と家族は(友人たちも)、想像もしていなかった環境変化に進んでいきます。

2023年10月上旬の木曜日のことでした。