こんにちは。
空町ふゆこです。
仕事への姿勢やありかたって、自然と「美しいな」「かっこいいな」「なんかうさんくさいな」「ずる賢いな」と周囲に思われていきますよね。
自分の目指す理想像を持つのは大事だと思います。でも一番大事なのは仕事における自分の役割をしっかりわかって、それを遂行しようという姿勢です。その日常の姿勢こそが、結果となって「あの人はプロだよね」「あの人は口ほどでもなくて、なんか信用できないよね」と像となっていきます。
昨日は会議の中で象徴的な光景を見ました。
Aさんの職務は、あるクライエントさんのためにより安全な状況を作っていくことです。
昨日の会議はそのことで相手側に勇気を出して行っていただく必要があることを説得しなければならなかったのです。
しかし、Aさんは目の前の相手側に迎合してしまい、クライエントさんの状況がそのままになってしまうことに妥協してしまった。
妥協というより、むしろ彼のほうからそれを提案してしまった。
なぜか?
彼は目の前の人に「嫌われたくない」という心理が働き過ぎてしまうのです。
そして、「自分はスマートで洗練された話術で、うまくやれている」と思い込んでいるのです。
仕事では、嫌われてでも腹をくくって、相手を対峙しなければならない時もあります。
その時は双方を緊張が覆いますが、それを一緒に乗り越えたあとは信頼が生まれます。
彼は、「スマートで洗練された」方法がある、と思い込んでいて、それにとりつかれているようにさえ思います。
実はそんなものはないのです。
それは、結果として「あの人の仕事ぶりはスマートで洗練されているよね」と他人様が評してくれるものなのです。
結局彼は、一番守るべきクライエントを守らず、「嫌われない自分の位置」を守ったのです。
おそらく彼は、迎合して好かれようとした相手に、今後は都合よく使われていくだろうと私は思います。
「信頼」と「好かれる」は違うのですが彼の中で区別がつかないのでしょう。
そんな彼の仕事の姿勢は結果として美しくない。
他人の自分自身への評価を優先した仕事は美しくないし、遂行すらできない。
それは、いかに難易度の高い資格を持っての仕事であってもプロとは言えないのです。
逆に、毎日苦戦しながらも自分の仕事にむきあい、責任を果たそうとしている人は美しい。不恰好だと感じていても、それは美しい。そして、それは有名な資格なんて持っていなかったとしても、プロなのです。