こんにちは。
空町ふゆこです。
堀江貴文さんの本『後悔しない生き方』(あれ?前回のblogタイトルと同じですね)を読んでいたら、
(私が購入した本はセブン&アイブックス出版の『後悔しない生き方』なのですが、見つからないのでほぼ同名のものを掲げてみました。)
「おっ⁉️」
と目を引いた文言がありました。
「平気で電話をかけてくる人間とは、
絶対に仕事をしてはいけない」
その断言っぷりも見事ですが、
書いてあることにとても思い当たったのです。
「僕は電話に絶対に出ないと決めている。
・・・(中略)・・・・
なぜか?それは電話が人の時間を奪うものであり
「命」を奪うに等しい行為だからだ。」
まさに常日頃思っていたことでありました。
メールでの連絡全盛時代になり、それはそれで「時代が変わったなあ」とノスタルジックな気分にもなっていますが、私にとってのメールでの連絡の良さは自分の決めた時間に取り組めて、相手を電話ほど縛り付けないこと。
でも、電話は違います。
受け取る側は強制的に受け取らされる。
電話には「否応無しに」的な侵襲性を感じます。
パラレルワーカーとして働いていると、1日単位で仕事を仕上げないといけない側面もあり、「この1日に可能な限り質の高い仕事をしたい」という思いでのぞんでいたりします。
そんな時に、こちらのプランにない侵入者。
その大きな一つが電話です。
内容も、たいていは緊急ではなかったりします。
それがわかったとき、ひどく落胆します。
時間というものは無限ではない。限りがあります。
かけてくる側にはそれなりの理由があってかけるのでしょうが、書けられる方の状況を想像して「今、電話する」なのか、考えさせられます。
私は極力電話は避けます。
メールという連絡方法がリスキーだったり不適切であったりした場合のみ使用しますが、可能な限り短い時間で正確に伝わるように工夫をします。
かけたその電話が、電車の中でとることになり、いったん電車を降りなければならなくなったり、かけなおさなくてはならなくなったり、通話料を気にしながらかけなおしていたり・・・そんな、相手の状況を想像するゆとりが必要だと思います。
必要な電話をとってもらえないひと、もらえるひとの違いもここで生じると思うのです。
日頃から極力相手に負荷をかけないやりとりを心がけている相手からの突然の電話には「なにかあったのかもしれない」「よっぽどのことかもしれない」と思う。相手への信頼があるからだとおもいます。
よく、仕事の場で「なんどかけても掛け直してこない」「かけてるのに電話に応じないんだよね」とぼやく声を聞きます。
それは、相手だけの問題とは言い切れないのだと思います。
いかに、自分も相手にも負荷をかけないか。
シンプルに削ぎ落とせるか。
贅肉のついたような仕事のやり方ではなく、大事なことにお互いに集中できるやりとりができるか。
それは連絡方法の随所にも現れます。
そして、それは仕事全般のスキルでありセンスでもあると思います。