こんにちは。

 

空町ふゆこです。

 

只今、仕事のかきいれ時でありまして、

連日追われております・・・・滝汗

 

仕事には「評価」がつきものですが、

評価にものすごく固執して振り回されている人っているものだなあと感じています。

 

「報告です」と前置きしながらも

長〜い「報告」をしてくる人。

 

聞いていると、自分がどうした、どうやった・・・のオンパレードで真顔

 

仕事の成果としてどうなのか?

どこがどう伸びてどこに課題が残り、

今後について自分としてはどう戦略を練っているのか

 

それが全く見えず。

 

「で?真顔

 

と言ってしまいたくなります。

 

 

これは「報告」という名前をつけた「褒めて、褒めて〜ラブラブ」なのでしょうね。

褒めてくれるまでそれはなかなか終わらないのです。

 

肝心の「仕事」としての論点がないのです。

 

褒めて欲しい、評価して欲しい。

人間には多かれ少なかれあるものだと思いますが、

それが随所から滲み出てしまうと、聞いている方は辟易として時計を眺めてしまう。

 

「評価は他人のものなのに」と思います。

 

自分が何かをした時、評価するのは他人です。

上司であったり、同僚であったり、お客様であったり。

他人さまのテリトリーにあるから、こちらはコントロールできないのです。

そこをコントロールしようとして、「私こんなにやったの!」アピールするのは違うんですよね。

 

自分でやったことを自分で評価する「自己評価」。

これはアリだと思います。

 

「他人がどう見ようと自分はよくやったと思うおねがい

「他人は褒めれくれたけれど、自分ではここがまだまだだと思うショボーン

 

それは、他人から侵されない自分のエリア。

 

でも他人が行う評価は他人のエリア。

残念ながらこちらとしては不本意な評価を下されることもある。

でも、それがこちらの全てを決めつけているものでもない。

 

他人の評価はそれとして、

自分の評価はこれで、

 

と、決めつけず、固執せずに自分の中に受け止めればいい。

 

評価のために仕事をしているのではなく

仕事をした結果として評価があるから。