こんにちは。

 

空町ふゆこです。

 

みなさん、幸せですか?

 

私は40代になってから「あー、幸せ!照れ」って思えるようになったのですが、

それまではどうだったか?というと、幸せも不幸も感じていなかったのです。

それは「幸せ!」って自然に思えるようになってから気づいたのですが。

 

では、それまでの私の実際はどうだったか?というと、

自分のことを書くのはとてもとても気恥ずかしですが滝汗

周りからは「成功している人」と見られていたと思います。

当時流行りの表現だと「勝ち組」みたいな、ね。

 

でも私は。今みたいに「あー、幸せ!」って思ったことがなかったのでした。

 

何が手に入っても、何を持っていても。

 

 

それで、30代の終わりにそれまでに築いたものが壊れ、

そう、いっぺんに壊れ崩れ去りました。

体調も崩し、それから数年は浮遊状態のようでしたが(笑)。

 

壊してなくしたことで私は、すっかりそぎ落とせました。

ただただ、生きている。

できていたことができなくなっているけれど、

成功とか能力とか、そういうことには縁がない毎日で、ただ生きていたけれど、

おかげで、「生きている」ということが実感でき、

「ああ、私、この香り、好きなんだ」

「あ、この英語の発音好き」

なんて、小さいことだけど、自分のことを知る日々を得ました。

 

そこからは、違う人生です。

私は、私のほしい幸せの形なんだったのか、とはっきりわかりました。

それは、当たり前のことかもしれないけれど、「自由」でいること。

小さなことでも自分で選んで決めていける自由。

「世間ではこれがいい、と言っているから自分も・・・」ではなく、

自分がしたいスタイルの生活、職業、そのための努力・・・。

全て納得して、楽しめるのです。

だって、それは私が自由に選んでいるから。

そして、以前はそれを持っていなかったことに気づきました。

それ以外のものはたくさん持っていたのに。

 

よく、カフェやファミレスで聞こえてくる女性どうしの会話に

「あなたのとこなんて、だんなさんは真面目だし、お子さんは優秀だし、幸せじゃないのー、不満を言うなんて贅沢よ〜」

なんていうのが聞こえたります。

 

その「幸せの形」は、その人の価値観。

 

夫が真面目で、子どもが優秀 = 幸せ   の、はず。

 

はず、だけなんです。

そして、それは「他人」や「世間」といった、あなたの人生に何も責任を負っていない人たちの価値観なんです。

 

条件がいくら揃っていても、幸せでない、ってことはあるんですよね。

それは、自分が本当にほしい幸せの形とは少し?大きく?ずれているから。

過去の私を知っていて、多分今の私を不憫に思う人もいると思います(笑)。

持っていたものを持っていないから。

でも、私は必要でないものを手放し、本当に必要なものを得たので平気なんです。

それは他人の目からはそう映らないと思います。

それで全然ダイジョーブ音譜

 

だから、

 

「世間」や「他人」があなたの幸せを定義しても、

主役は自分であり、惑わされる必要なないのだ、と知ってほしいな、なんて、思います。