私は、東北で生まれ

学生時代を京都で過ごし

十数年東京で仕事をした後に

21年前、沖縄に嫁ぎました。


父は、私が8歳の時に

「急性心不全」で、37歳の若さで急死。


それ以降

まるで少女のように純粋だった母は

飲めないお酒を口にするようになり

間も無く、「アルコール依存症」から「精神分裂病(統合失調症)」になります。

幻覚・幻聴の他、ありとあらゆる症状が現れただけでなく、内臓疾患での入院は数え切れず…。


そして、母は

74歳の時に「大腸癌」により他界しました。

亡くなる数ヶ月前には、「糖尿病」の影響により

片脚が壊死から壊疽し、自然に取れてしまいましたが、そこから4ヶ月、母は よく頑張りました。


私自身は

東京で仕事をしていた二十代半ば

立て続けに「髄膜炎」と「脳腫瘍」に襲われます。

(それがわかった時、私はニュージーランドの大自然をこの目で見ようと決め、数ヶ月一人で旅をし、帰国後は気功とヨガとの出会いにより、見事に自然治癒しました)




その後

色々なご縁があり

沖縄へ嫁ぐことに。



結婚して間も無く

私は、夫の言動に翻弄されることになります。


14年後

彼は「高次脳機能障害」と診断。


彼は、19歳の時にバイクで走行中

信号無視をしてきた車に撥ねられます。

15メートル程飛ばされ 宙を舞い

道路に全身を叩きつけられたのです。


3週間の意識不明。

「全身打撲」「頭蓋骨骨折」他の部分も多数の複雑骨折。意識不明の最中に「十二指腸潰瘍」「胃3分の2切除」。


意識回復後は、記憶は暫くなくなっており

暫くの間は「失語症」に。

一年のリハビリの後、少しずつ回復。

そして、当時は

まだ松葉杖をつきながら、大学にも復学。


私は、かつて彼が交通事故に遭ったことがある程度のことしか知らず、結婚しました。


見えない障害とも言われる「高次脳機能障害」。

今でこそ、各県のホームページにも掲載されるようになったり、多くの方に知られるようにはなってきていますが、数年前までは

当事者の彼の家族はもちろんのこと、本人も

全くその自覚も、知識もなく

脳で何が起きているかなど、考えてもいなかったのです。


結婚して14年後

初めて

彼の脳のMRIを見ることになったとき

私は、その画像を前に

息を呑みました。


それまで、普通に過ごしてきていた彼の脳は

まるで「認知症」の人のように、既に萎縮し

頭蓋骨は歪んでいたからです。


なんの知識もない私が見ても

目の前にある彼の脳の画像が

普通ではないことは、直ぐにわかりました。


先生は

「生きてること、こうして仕事ができ、生活できていることが奇跡です。あとは、どう生きるかです。」と。


何故、既に 脳が萎縮していた彼が

私と結婚し、三人のパパになり

仕事も、普通にできているのでしょう…。

(一時は、鬱になり数ヶ月仕事を休んだことはありましたが)

本当に、本当に…

奇跡としか言いようがありません…。


彼は、前頭葉にダメージを受けていたので

自ら、相手の立場になり考えることはできません。

仕事のように、決まった枠の中での事や、日々同じルーティンをこなすことはできても、

家庭のなか、子どもとの生活は予想外のことばかり。


彼は、そのたびに混乱をきたしていました。

カッとなると手も出ます。

でも、彼は何も覚えていません。

もちろん、悪気もありません。

また、「多重人格」や「夢遊病」もありました。

会話は、噛み合ってるようで噛み合わず、彼にとっての常識は、殆どが非常識のことばかりでした。


けれども

それは、家庭内だけのこと。

(もちろん、常に上記の症状が常に出続けている訳ではありません)

家から一歩外にでれば、彼は極々

穏やかで、静かな普通の人なのです。

妻である私自身でさえ、脳とはまだ全く結びついておらず、症状として認識はしていなかったのですから…。


もともと、アスペルガーの傾向があったり、親と離れて暮らしていた為か、彼の家族も、事故後は記憶障害や失語症、胃切除による支障以外の変化は、特にないと思っていたのです。


つい最近まで

彼の家族には、彼が「高次脳機能障害」であることは、私の虚偽としか受け止めては貰えませんでした。


高次脳機能障害になる方は

その原因も、シチュエーションも、症状も

お一人お一人が違うと思います。


当事者ご本人に 自覚がある場合

当事者ご本人の自覚は、あまりない場合

身体に影響がある方

身体には影響がなくても、脳のダメージに付随する症状がある方…。

小さなお子さんや、まだお若い方が 当事者になられることだってありますね。


当事者ご本人が日々抱え

向き合わねばならない

多岐に渡る 様々な問題や苦しみ


また、元夫のように

殆ど自覚がない場合、支える家族やパートナーの方が心身共にまいってしまったり、カサンドラ症候群になってしまったりもすることもあります。


また、お子さんがおられる場合には、お子さんへの影響もあるでしょう。

特に、小さなお子さんや思春期に差し掛かっている場合には、大なり小なり、その影響ははかりしれません。


高次脳機能障害は、決して

当事者の方、お一人だけの問題や気づきではないと、心から思います。


また これに限らず


すべての「病」や

「障害」と呼ばれるものと向き合っている

当事者の方、支えるご家族やパートナーの方も。

お子さんたちも。


そして

様々な原因により

大切な家族を失うという

哀しみを 味わってきた方々も…。


どんなことも


家族だけでなく

何かしらのかたちでも

それが、ほんの一瞬だとしても

どこかで、何かや誰かと繋がり

支えられたり

がんばれたりする…。


このブログを読んでくださっている方で


心の奥に 何かを抱え 

しまいこんでいるものを 持っておられる方

日々、頑張っておられる方…

色々な気持ちを味わってきた方々を


今、ここで

心から ハグします…✨✨


言葉では 何も言えないけれど…

心から ハグします✨✨🌅




さて

今度は、私の子どもたちについてです。


沖縄に来て直ぐ

私は、3年の間に3人の女の子を授かりました。

感謝しかありません✨🌅


子どもたち3人は、それぞれに

何かを持って生まれてきました。


長女は、手の指が多い

「多指症」として生まれてきました。


次女は、小5のとき

「自閉スペクトラム症」であることがわかりました。

父親の高次脳機能障害がわかったとき、その時の周囲の反応により、それまで眠っていた症状が一度に表出し始めたのです。その時以降、彼女は学校には行っていません。(そんな彼女も、間も無く高校の卒業式を迎えます。)


そして

三女は、「先天性直腸ポリープ」があり

1歳の時に手術。



さて、こんな風に

ざっとこれまでの事を話すと

病気や障害と言われるものばかりで

どうしても、そればかりが強く前面に出てしまいますが、、💦


実際

8歳の頃の、父の急死に始まり

母や元夫、我が子の

様々な疾患や障害に 向き合い続けてきたことは事実であり

それは、私にとって

かけがえのない

成長や学びの土台となりました。


私は、子どもの頃から

当時は、漠然とではありましたが

感じていたことがありました。


それは


その時々のすべてを

まるごと

あるがままに 受け入れ

抱きしめたとき…


それが

たとえどんなことでも


大きな 病や

大切な人の死でさえも…


全ては

かげがえのない

「ギフト🎁」に変わっていくことを…。


そして

どんなときも

大いなるものに

必ず

守られていることも 感じてきました。



とはいえ、実際は…

そりゃ もう…💦😂🤣


本当に、色々なことが

これでもか、これでもか…と

次々やってきて…


常に

200%??と 思えるほどの

無意識の パワー全開‼︎の波が…🤣😂


既に、二十代では

限界振り切り

髄膜炎や脳腫瘍にもなりましたが


結婚後は

全員、一歳半違いで

三姉妹の子どもたちを 授かるという

素晴らしい宝を頂き、預かり

無限の幸せを育みながら…


新たに「見えない障害」である

高次脳機能障害や

次女の自閉スペクトラム症

亡母の精神病や糖尿病、癌や死と向き合うなか


確実に、心身は悲鳴をあげつつも

自分のことは

すっかり麻痺していたのです。


気の遠くなるような

強い痛みに襲われていても、

物凄い疲労感に襲われていても。


強く症状が現れ始めた

6年ほど前は、まだ離婚したばかり。

一人で、子どもたちを支えていく気負いや

日々のことで、必死でした。


そして、苦笑いしてしまいますが

おめでたいことに?

痛みや身体の辛さを感じるたびに


これまでの全てが昇華され、浄化されてる過程なのだとさえ思っていたんですよね…😅

痛みが増せば増すほど

言い聞かせるように、そう思っていたのだから

本当にどうかしています🤣


ともかく

毎日が、ランニングハイの状態でした。

原動力は

「子どもたちの笑顔‼︎」

それに勝るものは、何ひとつありませんでした。


が、一昨年

とうとうギブアップのところまできたとき

私は「関節リウマチ」と「線維筋痛症」になっていることがわかりました。他、2つの疾患も。


えっ…⁈という驚きはもちろんありましたが


自分が病になることで

沖縄に来て以来、初めて椅子に座って

ホッ…と、深呼吸するような気持ちになったのです。


初めて、自分自身の声を聞き

労る気持ちになれたのです。

長女が大学生になったり

次女が、高校を間も無く卒業するところまできたということもあるでしょう。


お疲れ様‼︎よく頑張ってきたね‼︎と…☺️

自分のことだけでなく

子どもたちのことも

元夫のことも

抱きしめたい気持ちで

いっぱいになりました…。


ひとつひとつのことを取り上げたら

それだけで

ひとつずつブログができそうなほど

これまでの沢山の出来事があるけれど


敢えて、言うこともなく

全てが 溶け合い

今が ある…。


このまま…風のように

私のなかでひとつになって

それが、みんなの笑顔とつながるのなら

それだけでいい…☺️✨


そう、思っていたけれど…。


ふと…

どこかにいる誰かも

私と、同じような気持ちを味わっていたり

ひとりぼっちの気持ちでいたとしたら


ほんの一瞬でも


ちょっと 元気になったり

ほっこりした気持ちになれたら

嬉しいな…と思いました。


不定期&内容もランダムにはなりますが

ぽつりぽつりと

綴っていきます。


また

私は、幼いころから感じてきた

不思議な出来事なども…☺️



今、沖縄では

緋寒桜が満開です✨🌸

南国の空に 映える桜…。







私にとっては

21回目の、緋寒桜のお花見です。


あと2ヶ月もしないうちに

昨年末に結婚した

19歳の長女は、出産の時を迎えます。

まさかの、思いがけずのことでした。


来年の桜を見るときは

どんな 出来事と出会い

どんな 思いが溢れているのでしょう…

楽しみです✨☺️



これまでのすべてに

出会った皆さんに

心から、ありがとう…✨🌸🌅


今日も、心からの感謝をこめて…✨☺️