世界樹の種をまこう
けさ、できあがったばかりの地面に
新しい世界が
そこからめばえてくるように

世界樹の種をまこう
新しい朝……
すぎさった夢の中で
世界樹の種をまこう

こんどはもっと
ちゃんとした世界が
うまれてきますように……

気象庁やさぐれ予報官M氏の手記より


Let's sow a seed of the tree of life
on the earth which just was completed this morning,
so that the new world sprouts from here.

Let's sow a seed of the tree of life
in the new morning,
at a dream of past,
let's sow a seed of the tree of life.

This time,
more the appropriate world
be born……

Than the note of the eccentric Meteorological Agency weatherman


やさぐれ予報官シリーズの第2弾。M氏と、なにやらわからない青年?が、神社の境内のようなところで、世界樹の種を播いています……文言の内容と絵のあまりのギャップに、私自身、これでいいのかなあ……と思うのですが、たぶんこれでいいのでしょう。

世界樹は、宇宙樹とか生命の樹とかイグドラシルとかいわれますが、要するに天と地をつなぐ役割をはたしているらしい……ヨーロッパの五月祭で立てられるメイポールなんかもこの系統だと思います。それにしても、このやさぐれた方々が種を播く世界樹って……

しかし、「あまりにも健全な」人が播く世界樹よりは、なんか安心できる気がします。どっからみても非のうちどころがない、100%完全な人が播いた種から生長する世界樹……考えただけでも窮屈で、息がつまりそうになる。人間、テキトーにやさぐれてた方が……

いいのか悪いのか。よくわかりませんが、新しい世界に期待したいです。

いちばん新しいひとふでがきの作品です。「ソラリス」と名付けました。むろん、スタニスラフ・レムのSF『ソラリスの陽のもとに』(とタルコフスキーの映画『惑星ソラリス』)からきています。

レムの『ソラリスの陽のもとに』をはじめて読んだのは、中学生のときでした。それまでは、小松左京とか筒井康隆とか、日本人作家のSFをいろいろ読んでいたんですが、このレムの作品は、それまで読んだどの作品ともちがう独特の世界を持っていて、びっくりしました。

まず、「底がない」……というとヘンな言い方ですが、まさにそういう感じ。物語の奥がよくみえない。主人公のケルビンが、ソラリスステーションで顕微鏡の倍率を上げていくシーンがありますが、赤血球が見え、タンパク質の構造が見え、分子が見え……あと一歩で原子が……というところで、すべてがホワイトアウトしてしまいます。惑星ソラリスの物質……それは、もしかしたらニュートリノからできているのか……

この物語には「謎」が設定されているのですが、それは、答のない謎……すべてが顕微鏡のもとでホワイトアウトしてしまうみたいに、どこまで追っかけても「発見」にも「和解」にも至らない……「和解」というのは、ソラリスの海……異星の、おそらくは知性体であろう存在と人類の和解……相互に、ある程度認識し合えるのかどうか……ということなのですが、それができない。そして、できないのは、もしかしたらそれが「異なるものの本質」ではなかろうか……そんなことを感じさせてくれます。

SF小説でもSF映画でも、「エイリアン」はよく登場しますが……いろんな作品で、いろいろ工夫して、「地球人とはまったく違うんだゾ!」と言ってるんですが、でもわかってしまう。要するに、われわれの持ってる「地球の脳」で理解できてしまう範囲に収まる。うーん……これでは「エイリアン」ではないんではないの? とよく思いました。「絶対にわからん!」というものに出会ったことがない。なんせ、地球人が考えるエイリアンなので、原理的にそうなるわけです。でも、読者や観客は「ないものねだり」だから、「絶対に理解不能なものを見せてくれ」、となります。

私の感覚では、レムの「ソラリスの海」が、これまででいちばんソレ(理解不能物)に近いものでした。人の理解を、なにか根本のところで拒絶してしまう惑星ソラリスの海……それは、人が見ている前で、いろんなかたちをとるけれど、その意味は、人にはまったくわかりません……そして、ある日、海は、人の記憶の中から「固着する人物」を送ってくる。それは、かたちもこころもまったく「人間そのもの」であるにもかかわらず……その赤血球を顕微鏡で見ると、分子レベルから原子レベルに至るところで突然ホワイトアウトしてしまう……

この作品が1972年に映画化されたとき、私は「ソラリスの海」が、どのように視覚化されるのか……そこに期待して見にいきました。しかし結果は……タルコフスキーの『惑星ソラリス』は、おそらくSF映画史上に残る大傑作であろうとは思いますが、でも、残念ながら監督の関心は「海」にはなかったのです。「理解しがたいこと」、「なぜ、理解できないのだろうか」……そういう原作の根本テーマはみごとにスクリーンに展開されていましたが、しかし「海」の映像は、まあこんなもんでどーでしょー……というくらいのもんで……

これはまあ、タルコフスキーはこの作品を「SF」としてはつくってないんだから、当然かと思うのですが……でも、やっぱり原作ファンとしては、あの、ふしぎな海の視覚化をこってりと見たかったなあ……と思いつつ30年がすぎると、こんどはハリウッドでリメイクされた。よし!ハリウッドか……じゃあ、ぜったい……と思ったけれど、またガックリ。「海の視覚化」が、さらになされていない!……このリメイク版『ソラリス』の監督のソダーバーグさんは、タルコフスキーに対抗して?さらに「文芸」にこだわったみたいで……

だから、「視覚効果」を前面に押し出した「ハリウッド作品」とは一味も二味もちがう、しっとりとした落ち着きのあるいい作品にしあがっていたんですが……でも、「海」が出てこない……レムの本で、あのふしぎな「海」の描写に魅了されてしまった私としては、「なんとかあの海を、目で見たい!」という思いがもう半世紀!も……ずっと解決されぬままにくすぶっているんですが、で、今、この私の作品で「ソラリスの海」を描けたかというと、やっぱり全然迫れてないですね……というか、元々これは単なるひとふでがき……

で、線を引き続けていたら、こうなってしまって……で、その様子が、なんだか「ソラリスの海」を思わせるものになった(と自分では思っている)ので、アラクネンシス_ソラリスと名付けたわけなんですが……実は、これは途中でして、このあとさらに描き続けたら、かなり異なる印象のものになってしまったので、結局完成作は、「アラクネンシス_デューン」と名付けようと思っています。『デューン』はいうまでもなく、フランク・ハーバート作の、あのSF超大作の名前……これを映画化したリンチ版『デューン』が、また良かったなあ……

こんな気象庁予報官がいたら、コワいと思います。彼は、富士山噴火を予報して、当てたので、今、噴火の実況中継をやってるところです。新幹線も東名高速も溶岩流に埋没して、日本列島は東西に分断……しかし、彼は平然と、唇には笑みすらうかべて、その様子を中継しています。

ネックにはなぜかタコのペンダント。目深にかぶったソフトを少し上げる右手の指にはマゼンダのマニキュアが……オソロシイ……服は、ドテラなのか趣味のワルいガウンなのかわかりませんが、素肌に直接はおっているようです。やさぐれだ……やさぐれって、家出のことらしいですが……

このMさん、住む家もなくさまよっておられるのでせうか……しかし、富士山噴火を当てたということは、かなりの実力の持ち主にはちがいありません。いったいいかなる経過で、こんなやさぐれの境涯になってしまわれたのか……それは、この本を読めばわかる!そう、これは……

本の宣伝なのでした。この、平然と実況を続けるM氏の姿から、私は、とてもオソロシイことを想像してしまった……もしかしたら、この噴火をもたらした張本人だったのではなかろうか……そんな「超能力」が一人の人物に備わっているとはとてもかんがえられませんが……

読めばわかる!そう、この本には、すべてが書かれているのです……映画化間近。
(ちなみにタコのペンダントはマイクになっていて、彼の声をひろっているようです)