またテロが起きました。ベルギーのブリュッセルで。
というか……「ヨーロッパ」以外では、頻繁に起きてるということですが、こんなに大きなニュースにならない。ブリュッセルのテロの死者数30人というのは、中東で起きてるテロの死者数にしたら少ない方だと思いますが、「ヨーロッパで起こった」というだけでこんな大ニュースになる。ここがそもそもヘン。
今回のテロは、ベルギーで育ったベルギー国籍の移民の子供たちが、組織に命令されたわけでなく、自分たちで判断してやった……ということらしい。
「武器」の問題が、大きくクローズアップされると思います。
こういう「惨事」は、今のような武器、爆弾や銃や毒ガスなんかがない時代にやろうとすれば、やっぱり「国家」みたいな「組織の力」が必要だったんでしょう。
人類の歴史をみれば、悲惨な大量殺戮は、それこそ古代文明の時代からあるわけですが、そういうものはみな、強大な「権力」を背景にしないとできなかった。
しかし……現代では、それこそ数人のグループ、場合によっては個人でも、かなりの大量殺戮と破壊をもたらす「テロ」がやれてしまう……
これは「武器」の力……もっといえば、個人にさえ、昔の大帝国の持っていた「権力」に近いパワーを与えてしまう「科学技術」の力だと思います。
科学技術の黒い手……こういうと、科学技術自体は中立……というか無性格であって、それを使う人間が悪いヤツなら悪になり、良い人が使えば善になる……という使い古された「科学技術は諸刃の剣」みたいなテーゼが出てくるわけですが、はたして本当にそうなんだろうか……
つまり、科学技術それ自体はなんの色にも染まっていない、善からも悪からも中立なもの……という認識で、ホントにいいんだろうか……ということです。
さて。それはやっぱり「信仰」と同じなんではないでしょうか。
つまり、「科学技術は無色」というテーゼには、なんの論理的根拠もない。
どころか……科学技術は、明らかに、それ自身の「性格」すなわち「色」を持っている。
何色?……というと、それは「全体色」だと思います。
科学技術の普遍性……つまり、日本でやろうがアメリカでやろうがヨーロッパでやろうが、一つの結果になる。この客観性……
これが「無色」に見える大きな理由だと思いますが、これは同時に「普遍色」という色だと思えないだろうか……
科学技術は、「日常性」との間に介在する。
スイッチを入れるとパッと明かりがつく。洗濯をやってくれる。テレビで遠いところのできごとがわかる。
足で歩かなくても車が自動的に動いて運んでくれる。
蛇口をひねると水が出る。
われわれの「日常性」……これが、科学技術を介在させることによって、われわれからけっこう「遠い」ものになっている。
そして、われわれは、常日頃それにほとんど気づいていない。
これは……われわれが、介在している科学技術を、無意識的に、無色であり、客観性があって、普遍的なものとみなしているからではないか……
たとえば……私が、部屋の灯りのスイッチをパチン!と入れるたびに、どこかでだれかが死ぬ、あるいは木が一本切り倒される、または海に放射能がバケツ一杯撒かれる……そういうことが、私に自覚されていたとしましょう。
そうすると、私は、部屋の灯りのスイッチを入れるたびに、躊躇するようになる。
私が、パチンとスイッチを入れて、通電して、電灯が明るく輝く……この「行為」が、ホントはどんな意味を持っているのだろうか……
今回「テロリスト」と呼ばれた方々が、爆弾のスイッチをパチンと(かどうかはしらないけれど)入れる行為……それが結果として「なにを」もたらすのか……それは、彼らはよくわかっていたはず。まあ、自爆テロなので自分も死ぬし。
しかし……私は、自分の部屋の電灯のスイッチをパチンと入れる……その行為がなにをもたらすのか……それについてはよくわからない。
「科学技術」が、私の行為と「その結果」の間に、何重にも介在していて、私は自分の「行為」の結果を見通すことができません。
オソロシイことだと思う……
にもかかわらず、私は、なぜ、「科学技術」を中立であり、「普遍」であると思ってしまうのだろうか……
それは、おそらく、「自然法則は、普遍である」という考え方が、もう無意識に刷りこまれてしまっているからではないだろうか……
いや、まてよ……電灯のスイッチは、こどもでもパチンと入れる。
こどもに、「自然法則は、普遍である」みたいな思考があるのかな?
こうすれば、こうなる……実験のラットの餌付けのシーンが浮かびます。
まあ、自分で実験したわけじゃありませんが……ネズミでも、ここを押せばエサが出てくるということを「学習」できる。
で、ネズミは、その理由を考えない。ネズミじゃないのでわかりませんが、たぶん考えてない。
人間は、考えないことが多いけれど、考えることもある。
で、考えはじめると……結局その理由というのが、究極的に最後までたどれないことに気がつく。
このスイッチは、電線につながっていて、電線には電気が流れていて、その先が発電所につながっていて……そこには、ゲンパツの、あのオソロシイ「地獄の釜」があるのかもしれない……
そこまで考えると、身の毛がよだつ……わけですが……
その「仕組み」のすべてを、私自身がわかっているワケではない。
では、専門の方はどうなのか……というと、やっぱりすべてを究極に知ってる人はいないのでしょう。
電気の正体……これが、ホントに究極までわかれば……それはスゴイことだと思います。
それはおそらく「自然法則の普遍性」の理由の解明にまで至るのでしょう。
日常、われわれは、それを知らず……なんとなく、それはそうなんじゃないかと思って、いや、そこまでも思わずに、ごくフツーに使ってる。
まるで、実験のラットのように。
「テロリスト」と呼ばれた方々も、やっぱりそういう点では、「ごくフツーに」、パチンとスイッチを入れた。
で……その結果に、世界中がおおさわぎ。
これって……実験のラットが、エサの出るスイッチをパチンと押す行為と、どこがちがうのだろう?
私が、部屋の電灯のスイッチをパチンと入れる行為とも。
「結果の重大性」といいますが……じゃあなぜ、「ヨーロッパのテロ」は重大で、「中東のテロ」は重大ではないのか?
私が部屋のスイッチを入れることによって、原発の炉心で本当に起こっていること……その「重大性」を、私は知ることができません。
遊星の壊滅……太陽系の崩壊……時間と空間を超えて、もしかしたら、私がまったく知らない「宇宙」に、その結果は悲惨な運命をもたらしているかもしれない。
空想?夢想?……あるいはそうかもしれませんが、「科学技術」の本質がわからない以上、その可能性は排除できないと思います。
もしかしたら、ものすごい「テロ」をやってしまってるかもしれない……日常の感覚から遠い「科学技術」のスイッチをパチンと入れること……考えてみると、私たちの「日常」は、もうすでに、なにものかによって、はるか遠くにまで拉致されている。
どうやったらそれを取り戻せるのだろう???
*今回の写真は、この間名古屋市内を走ってるときに(車で)、交差点で停止して、隣を見たら、三角ウィンドにトトロの親子?が……ぬいぐるみを車に載せてる人ってよく見ますが、たいてい顔が車内の人に向くように載せてる。けれど、この車の場合は、トトロの顔が車外に向いてる……まるで、外の人に見せるように……これはもう、「展示」にほかならない。で、それを見た私の心境はけっこう複雑でした。あれ?トトロ?……と気持ちがニヤッとする反面、なぜ見せるんだろう??と思う心も。デモンストレーション? じゃあ、なんのため? 「トトロって、いいでしょ?」ということなのかな? ちょっと強制されている感じ……「イスラムって、絶対なんだぜ!」という気持ちがテロリストの方々にあったとしたら、それを何億倍にも薄めたものをちょっと嗅がされた気もします。まあ、私がヘソ曲がりなだけかもしれませんが。




