角を曲がると、テレビ塔が見えた。そのてっぺんになにやら青いものが……

 

テレビ塔は、名古屋市の真ん中の栄を南北に貫通する100m道路の中央に立つ、高さ180mの電波塔だ。できた当時は、その高さとテレビ電波を発しているというスゴさ?で、風下には置けない存在であったが、今はもう、かなりその地位も低下?した感が……なにせ、もう、テレビ電波は発していないそうだし……高さも、駅前のJRツインタワー(250m)に抜かれてしまったし……

 

でも、今でも栄地区ではいちばん高くて目立つ建造物?であるにはちがいない。その、テレビ塔のてっぺんにふわっとかけられた青いもの……

 

目をうたがいました。野外活動研究会の方々と一緒に歩いていたので、二三人にきいてみた。

 

「あの……テレビ塔のてっぺんに青いもの、見える?」

 

もしかしてもしかして、見えてるのは私だけかしらん? いや、絶対だれにでも見えているはずだけれど、なんかありえないような気もするし……

 

きいた人全員が答えた。

 

「見える」

 

つまり、私の錯覚でも妄想でもなく、アレはやっぱり「実在」だったのでした。

 

 

しかしまてよ……もしかしたら、みんなが同じ「妄想」を見ているということはないだろうか……共同妄想……

 

ここへきて、いったいなにが「実在」なんだろう……と思うわけです。というか、実在ってなんだろう……この世界は、なにからできていて、私は、この世界と、どういうふうにかかわっているのだろう……

 

私が死ねば、おそらくこの世界は認識できなくなる。私が死んでも、この世界はあるんだろうか……というか、夜、私が寝てしまえば……もしかしたらこの「世界」は溶けてなくなって……なにやら混沌とした原初のカタマリに戻ってしまうんじゃないだろうか……

 

というか、この世界で、なぜ、私は「私」なんだろうか……

 

テレビ塔のてっぺんの「青いもの」が、みんなに見える、写真にも写る……しかし、それだけで、この「青いもの」が実在すると言いきれるんだろうか……

 

なにか、うまいことだまされているような気がしないでもない。どっかでだれかが、巧妙な仕掛けをつくっていて、私も、野外活動研究会のみなさんも、この写真を見ているみなさんも、みんなうまいことだまされているんじゃないだろうか……

 

昔、「プリズナーNo.6」というテレビ映画がありました。どっかでこのことは書いたような気もするのですが……イギリスの諜報機関(エムアイシックス?)をやめた主人公が拉致されて、ふしぎな島に連れてこられて、そっから出られない……というお話。

 

その中で、印象的なシーンがあった。主人公は、いろんな手を使ってその島を脱出しようとする。なかなかうまくいかないんだけれど、ついに成功してロンドンに帰る……しかし、なにかがオカシイ……と思っていると、そのロンドンの街は、「機関」がつくった巨大なセットだった……

 

なぜそんなコトをするのかというと、たしか、「機関」は主人公からなにかを引き出そうとして、そんな面倒なカラクリをしかけるワケです。主人公は、はじめはちゃんとロンドンに帰れたと思って……あと一歩でワナにかかる……というところで、なんかヘンだな?と気がつく。そして……

 

ということで、この世界、だまそうと思えばそういうことも不可能ではない。私の目に写るもの、聴こえてくる音、感触、臭い……いろいろ、すべて、「センサー」は欺くことが不可能ではない。とすると「真実」というのはどこにあるのだろうか……

 

こういうのを「不可知論」というのかな? 確たる実在。それを求めて、人はなんでもやってみているような気がします。「痛み」の中にしか実在はないのだということで、頬をつねったり手のひらで叩いたり……したって、「痛み」がフェイクであるという可能性がゼロとはいえないような気がします。「実在」って、なんだろう……

 

なにが、この世界を「保証」しているのか……角を曲がるといつも見えてくる光景……それは、いつも同じのように見えるけれど、少しずつ変わっていく。大きな家がいつのまにかなくなって、駐車場になっていたりビルがたったり……

 

江戸時代の人が急に現われたらどう思うだろう……と、ありきたりだけれどそう思います。場所は同じでも、まったく見慣れぬ景色……ただ、遠くの山並みだけが変わらない……

 

じゃあ、名古屋みたいに、街中からは山がぜんぜん見えないところはどうなるのか……いや、そもそも、山並みも変わらないんだろうか……戦後すぐは、全国の山がかなりハゲ山になっていたという話もききます。樹をきって、燃料として使ってしまったから。戦後すぐの人がするっと現代にきたら、山が緑になっててビックリ……ということもありえるかもしれない。

 

そもそも、世界が「安定的に存在する」ということがふしぎです。小松左京さんのSFにこんなのがあった。宇宙のどっかに、「物理定数」を安定させている装置がある。その装置のダイヤルを回すと、いろんな物理定数が変化する……「光速」が1cm/secになってしまったら、いったいものは、世界は、どう見えるのか……今、私の目の前に見えるモニターも、30秒前の画像……

 

この世界の安定は、なんによって保たれ、なんによって変化するのか……テレビ塔の上の「青いもの」は今でもあるんだろうか……もしかして、真っ赤なものに変わっている? それはなんとなくなさそうな気がしますが、今どうなってるのか……なんとなく気になりますね。