今つくっている作品です。ひとふでがきシリーズのアラクネンシスの一種で、銘を仮に「ロッキー」としました。「仮に」というのは、ここから描きつづけていくとどんどん変化していく可能性があるので……今のところ、砂漠に浮かぶ山脈のように見えるので「ロッキー」と浮かんだんですが、私は、ロッキー山脈には行ったことがありません。したがって、イメージのみのきわめていいかげんなネーミングということで……
ロッキー山脈のふもとにデンバーという街があるそうですが、かつてこの街に住んでおられたWさんという日本人の方にお目にかかったことがあります。ふしぎな方で、宇宙船に乗せられて宇宙人に会ったということで、いろんなお話をされておられました。おもしろかったのが「金星の教育」についてのお話で、金星では、100点(満点)を取らないと次に進めないんだとか。これには、私、いたく感心してしまいました。
地球の教育には「合格点」というのがあって、100点じゃなくてもこの合格点を取れば進級できます。合格点は科目によって違うわけですが、まあ最低で60点くらいなんでしょうか……こうしとかないと、だれも次に進めない。100点なんていったら、それこそほとんどの人が落ちてしまう。それでは社会が成り立たんではないか……と、こうやってできたのが、この地球の「60点社会」。まあ、私もその一員なんですが……
なので、この傾向はすべてに反映しています。たとえば、なにか新しい技術を開発したとする。まあ、いまはやりの「水素社会」みたいなものでもいいんですが、そういうものができると、それが人間の社会や自然環境に与える影響をあらかじめ考える。つまり「アセスメント」ということになるんでしょうが、これを徹底してやらない。ある範囲を区切ってやってみて、それでOKなら大丈夫なんじゃないかと……
実際問題として、徹底的にやるということは不可能に思えるわけです。環境に与える影響なら、どこまでも、環境の分子一つ、原子一つ、素粒子のそれぞれに至るまで、この技術でどんな影響を受けるのか……それはやりません。ざくっとおおざぱに区切って、ここまででこんな影響だからたぶん大丈夫でしょう……と。要するに60点なりなんなりの「合格点」を満たしていればそれでよしとして見切り発車をしてしまう。
すると当然、検証していない部分でなにが起こるかわからない。で、そこの部分で起こってくることはみな「想定外」となってしまいます。これって、ものすごくいいかげんだと思うんですが、「100点」のアセスメント、つまり限界を設けないで、どこまでもどこまでも徹底的にやる……ということが、この地球人のアタマでは、もうやる前から絶対的に不可能なことに思えるのでやらない。しかし金星人はそれをやる。
このあたりが、この地球の文化と金星の文化の根源的な違いのように思います。地球人からは絶対に不可能と思えることが、金星人には可能である……どころか、絶対にそれはやらなければ次に進んではいけない規律として立つ……ここは、やっぱり考えどころではないかと私には思えた。げんに金星人はそれをやってるんだから、それは「不可能」ではなく、なにかやる方法があるはず。はじめから諦めてませんか??
たとえば「農薬」みたいなもの。これって、「毒」なので、ダメに決まってます。でも、薄めればいいという考え方。じゃあ、どんだけ薄めればいいんだ?というと、それは「裁量」。つまり、「経済原理」とのかねあいで決まるという不純。要するに「合格点」を「毒性の検証」ではなくて、「経済」の側から決めてる。これはもう、最初から放棄してる……というか、なにか悪魔に魂を売ってるようにしか思えない。
要するに「毒」なんだから、それはダメでしょう……というのがマトモな考えだと思うのです。これはきわめて単純な考えで、だれにでもわかります。「金星の100点」は、なにも難しいもんじゃなくて、もしかしたらこういう、まことに単純なものの考え方かもしれません。御用学者のややこしい計算や武ばった数式……そういう「悪魔の誘い」に乗ってしまうのは、やっぱり心の中に「欲」があるからなんでしょう。
必要以上に儲けたい。将来が心配なので備蓄せねば……といって、それが「経済原則」になって横行する……そのはてが今の地球のこの世界……これに対して金星では、100点を取らねば次に進めませんから、そういう曲がったものの入りこむ余地がない。たしかに、こういう教育を受けていれば、そこには「マトモな人」が育つと思います。スバラシイ……じゃあ、それを、この地球で、どうやって実現したらいいのか……
私は、それは、もしかしたら不可能とはいえないんじゃないかと思います。日常の、ふつうの感覚……これではないでしょうか。農薬や遺伝子組み換え、ゲンパツ……こういうもんに感じる素朴な不気味さ、不信感……やっぱりここが基本になる。こういう「マガツゴト」を推進したい方々は、すぐに「それは感情論で非科学的」というけれど、その「科学」が「60点合格科学」であるかぎり、そんなにいばれますの?
それがたとえ「90点合格」であろうが「99点合格」であろうが同じで、金星のように「100点ではじめて合格」でないかぎり意味がない。しかし、科学の方向で「満点」を出そうとすると、最初に書いたみたいに分子一つ、原子一つ、素粒子の一個一個まで、しかも過去から無限の未来に至る全時間にわたって「OK」が出ないと先に進むことができない。したがって、「科学」の手段を取るかぎり、これは絶対不可能。
われわれの身体は、この地球という惑星につながり、一体となっているから、「身体の声」は正直です。まあしかし、その身体も、今は「60点科学」で形成された「人工環境」によって培養されているのでいろいろクエスチョンはつくわけですが、少なくとも、すぐに自分自身をだましてワケのわからないリクツを並べはじめる「心」よりは正直で信頼がおけると思います。「からだの声をききなさい」。
昔、よく言われました。なにがなんだかわからなくなったら「からだの声をきけ」。「からだ」は、本当に私自身がどうしたいと思っているのか、それを正直に語ってくれる。そしてそれは、まわりの環境に対して満点。なぜなら、私のからだは、まわりの環境と「同じもの」からできているから……要するに、日常のフツーの生活において、素朴にいろいろ見たり感じたりすること……それが、実は100点。
私は、昔から、「ムシロバタとネクタイ」ということを考えていました。ゲンパツ反対とかいろいろ言う勢力は「ムシロバタ」で、これに対してしかつめらしく「説明」をされる役人や御用学者はスーツにネクタイ。一体この差はなんだろう……いかにも説得力がないように思えます。ムシロバタの人々。「感情的な反発じゃなくて科学的な根拠に基づいた議論を」とおっしゃるネクタイの人々……いつもこの絵だ。
絵として見るかぎり、勝敗はあきらか……なんだけど、釈然としない思いがいつも残る。「圧倒する」ということなのかもしれませんが、広告代理店が仕組んだ会場と筋書きで、テレビドラマのように「粛々と」進行する説明会……人間の価値観って、今はまだ相当に未熟なんだと思います。見せかけの立派さ……それは、ネクタイに象徴される組織の力でもあり、また、「60点合格」の科学技術の権威……
「形の威厳」といいますが、やっぱりそれはそのものだ……この地球の、古い人類の考え方は、「形の威厳」に満ちています。それが「形の……」といわれるのは、やっぱりそこには「60点合格」の内実しかないからで、それを組織や服装、言葉や科学技術の「形の威厳」で圧倒する……そういうものに圧倒されてしまうくらいの「進歩」しかしていないんですね。今の人類の「心」というのは……
しかしもう、方向は見えているように思います。今、われわれが毎日を送っているこの日常生活……それはまた「からだの声」から成り立つ世界なんですが、ここに基づく以外に「100点合格」に至る道はないように思います。それまでにどれだけの道のりがあるのかはわかりませんが……デンバーのMさんは日本に移り住んで、お亡くなりになられたとききました。彼の魂は、今は金星に還っておられるのでしょうか……
