人の生活にとって、どんな村が、街が、住みやすいのだろうか……考えてみました。写真は、愛知県の知多半島のつけねにある太田川の街(行政区画としては東海市)でみかけた駐車場の路面の数字。たぶん8と0なんでしょう。意味はわからない……じっと見ていると、黒い宇宙に漂う宇宙船……人の痕跡のようにも見えてくる……
太田川の街には、その地の最大の特性であり恵みでもあった海岸線を失って(埋め立て地と工場に奪われて)、街の構成軸を失い、さまよい、意味のないところへでかけていったような喪失感がありました。個々の人においては、幸せも不幸もあるのでしょうが……街全体としては、とても幸せとはいえない状況だなと。
私が今住んでいる三河の山里は、限界集落で、住民の数が確実に減り、高齢化に向かっています。街からもそんなに遠くないので、人は街に勤め、休日に野良仕事をやる……そんな生活ですが、クルマは欠かせないし、野良仕事も草刈りも道を直すのも……みな、何億年も前に死に絶えた植物の身体の変化した液体を使ってやってる……
しかも、その植物の身体は、ここから一万キロ以上離れた場所の地中深くに眠っていたもの……それが、今はまだ使えるからいいけれど、使えなくなったらどうするんだろう……このあたりの山は、昭和20年代まではハゲ山だった。山の木をきって燃料に使っていたから……また、そんな光景が戻ってくるのかもしれません。
みんな、とりあえずは幸せそうに暮らしています。個々ではいろいろ問題があるのかもしれないけれど、一応、食事にことかくこともないし、ボロを着てるわけでもなし、立派なテレビが各家庭にあって面白い番組をタレ流し、休日には温泉に行ったりおいしいものを食べたり、たまに遠くへ出かけて日常のうさをはらしたり……
今の日本の人たちは、そこそこ幸せなのか……福島や沖縄の人のことを考えると、エゴだなあ……と思いますが、オリンピックという人参に胸を踊らせたり、経済成長、右肩あがりで強い日本を取り戻すだと? なんというおろかな……まあ、しかし、どんな意見の人も、ほとんど人間のコトしか考えてない。他の生物はどうなるのか……
ルソーの『社会契約論』を読んでいます。民主主義の原点みたいな本だけれど、これまできちんと読んだことがなかった……なるほど、今の「民主主義」がここから出てきたというのはようわかります。フランス革命……アメリカの独立……そして、だいぶとんでアラブの春……そういえば、「共産主義」というのもありました。
ルソーの『社会契約論』は、おそろしく難しい書物で、読めば読むほどわけがわからなくなる。フランス語がダメなので原典にあたるということができないのですが、桑原武夫チームの翻訳自体はきわめて正確だと思う。(原典にあたれないのになぜそういえるのかわからないんですが、読んでてそう感じます。なぜか)
翻訳に問題がないのだとすれば、これは、元々ルソーの書いてることが、根源的な難しさをはらんでいるのだと思う。有名な「一般意志」の問題ですが……ユニヴァーサルでジェネラルな意志……そういう「すばらしい意志」を、人々が抱くことができるのだろうか……自分で考えてみると、これはとうていダメだと思う。ムリです。
社会の構成員の一人一人が、そういうすばらしい「意志」を持ってるとするならば、社会における問題点はなに一つない。少なくとも人間の次元においては。ルソーは、そういう理想郷と、「国」というものをどう考えていたんだろうか……理想郷は「国」でくくられ得るべきものなんだろうか……まあ、全部読めば書いてあるのかも。
ただ、やっぱり思うのは、結局今の世界では、「国境」といいますか、それは、物理的な存在としてある「国境」と、もう一つは、思想における概念としてある「国家」みたいなものが、溶融し、だんだん認識できないものになってくる……そんな感じですね。幕末から明治期の日本は、迫りくる外圧の前に、「国」としての……
体裁を整えることを迫られた。それは、政治的な「行政体」のレベルにおいても、思想的な国家アイデンティティーのレベルにおいても……幕末において、「尊王」と「攘夷」に、いろんなレベルでの「ねじれ」があったことはまちがいないみたいですが、「国家アイデンティティー」の急速捏造を迫られた人々のあわてぶりが……
なんとなくわかります。今、世界は、そういう意味で、ものすごく流動的になっている……イデオロギーも宗教もごっちゃになって……日本なんかでは、なぜか無条件に「民主主義」を尊ぶ人が多いのだけれど、その根本教典?であるルソーの『社会契約論』はいくら読んでもわからない。そこがわからないと、基本的に不安……
じゃないのだろうか。いろんな問題が、もはや「人間レベル」では済まなくなって、地球における他のいろんな生命や、地球自体にくいこんでいます。ルソーの時代には、少なくとも人間のことだけ考えてりゃよかった。なにを人間というのか……という問題は残りますが、人間とそれ以外には、明確な区分線がひかれている。
思想の枠……よく「パラダイムの組み替え」とか言いますが(最近はいわないのかな?)、そういうものの組み替えをいくらやってもらちがあかないような気がします。どこか、根本がヘンというか……なにがまちがってるんだろう……ルソーの「一般意志」を持ってる人って、たぶんダレもいないし、もし持ってたとしても……
それは「人間限定」になるから、人間以外の存在まで「思想」の中にずーっととりこんでいかないとたぶんどうにもならないこれからの世界においては、「一般意志」をたとえ人類全員が備えたとしても、やっぱりうまくいかないでしょう……そうなると、人間を越えた、地球全体を視野に収めた新たな「一般意志」が必要になるのか……
暮れゆく山々を眺めながら、そんな妄想に浸っているうちに、世界はすごく寒くなってきました。今年も冬がきた……いや、こんな生やさしいレベルではないホンモノの冬が、もうすぐそこに……世界が壊れて、自分になじみのないものに変わっていくあの感覚……これは、私が、もうすぐここからいなくなる、そのきざしなんだろうか……
