「今、ここ」の「ここ」。これ、自分の身体です。人は、世界中旅行するけれど……宇宙にまで行っちゃう人もいるけれど……しかし、それでも、絶対に「自分の中からは出られない」。まあ、出られる場合もあるけれど、それはたぶん死……幽体離脱とかあるけれど、これについてはまた別の機会に……
で、「ここ」は、まさに「自分の身体」です。世界中どこに旅しても、人は、自分の身体という一種の檻というか、乗物の中から世界を見ている。この乗物は非常によくできていて、たいがいこれが「自分」であると錯覚します。しかし……前に、「透明人間はどこから透明になるのか?」という話をしましたが……
ちょっと蒸し返しますと、透明人間の食べたものはどこから透明になるのか?……あるいは、透明人間の出すものは、どこから不透明になるんだろう……これは、まさに「自分」というか、「肉体」の範囲を区切る、とても重要な問いになると私は思うんですが……これが、「ここ」に大きくかかわる……
先に、「時間ユニット」の話をしましたが、それでいえば、たぶんこの「身体」というものが、先験的な「空間ユニット」になるのかな?……人間みたいな哺乳動物の場合(両生類や爬虫類や魚類、鳥類もそうだけど)、一つの脳とそこから伸びる脊柱からできているけれど、そうでない生物もいる……
たとえば、大昔の恐竜なんかだと、頭にあるメインの脳の他に、手や足にもサブの脳があったという話も聞きましたが……これだと、「身体」としての空間ユニットの「一性」(モナド性)に多少のブレがあることにならいか……ピンボケ写真のように、あんまり輪郭がはっきりしない「ここ」の中に、彼らはいる……
ということで、もしかしたら、人間の場合だって、「ここ」は、実はそんなに確定的ではないのかもしれませんが……ただ、「痛み」の場合に、それはかなりくっきりした像を急激に結びます。痛みを感じる場所と感じない場所……それは、身体の外面においては、重要性の多寡によって決まるのか……
要するに、髪や爪を切っても痛くないけれど、皮膚を切られると痛い。これ、身体が、その外表面に軽重をつけてる、そのあらわれだ……これに対して、身体の内部は複雑ですね。損傷に対して痛いところ、痛くないところがあるけれど、それは、必ずしも部位の軽重によらないようにも見える……
まあ、緊急性とか関係するのかもしれませんが……で、とりあえず言えることは、おそらく「今、ここ」の「ここ」は「身体」であるということで、これは、人間にとっても動物にとってもそう。ただ、植物にとってはちょっと違うのかな……という気もするんですが、植物になったことがないのでわからない。
ということで、「今」の時間ユニットはおそらく3分内外、「ここ」の空間ユニットは、おそらく「自分の身体」ということがわかったのでした。……ということで、今回の冒頭の写真は、うちの近くの土手で見かけたオレンジ色の蝶。調べてみたら、ベニシジミという名前の蝶がこんなかんじ。だぶんそれだと思います。
