いろいろ騒がれてます。真っ白が真っ黒になっちゃった……1月でしたか、STAP細胞の論文がネーチャー誌に掲載されたというので、日本中おおさわぎになった。私もテレビで見て、すごいな~と感心したんですが……コレ、山中さんのよりスゴイじゃん!で、つくったのが若い女性……で、日本中スゴイスゴイで割烹着の天使に……それが、一転……オソロシイもんですね……しかし、今回は、もう弁護の余地がないように見えます。
今回、彼女は、いくつか、中学生でもやらない(やってはいけない)ようなマチガイをやってるわけですが……他人の論文の無断引用、ネットの文章のコピペ(で、コピペであることも示さない)、自分の別論文の画像の使い回し(で、そのことを明記しない)、さらに、キモになる画像で、結果に合うように画像加工……これ、論文……というか、普通の書類でも、発表を前提とした場合には絶対に避けなきゃならないことばかりだ……
ちょっと信じられません。指導教官はなにやっとったんだー……ということですが、彼女はもう独立した研究者としてやってるんだから、厳密にいうなら「指導教官」はいないんでしょう。今は。でも、過去にはいたはず。で、こういう不正を見逃して、博士の学位まで与えてしまった……その先生方は、いったいなにをやっとったんでしょう。ちゃんと教えないとダメじゃないんでしょうか……あまりにもヒドすぎ。
なので、この件は、彼女のモンダイだけじゃなくて、その背景に、なんか「研究リテラシーの崩壊」みたいなものを感じます。彼女は、日本の研究機関だけじゃなくて外国の研究機関も経験しているみたいなので、この崩壊は、日本のモンダイにとどまらず、世界的なモンダイなんでしょうかねー……としたら、これはタイヘンなことのような気がします。そしてこれは、インターネットの発達とも無関係じゃない気も……。
まあ、私は、絵描きであって研究者ではないので、研究の世界のことはよくわからないのですが……でも、素人目でみてもヒドすぎ。信じられないずさんさ……まあ、各方面から指摘があって今の大問題になってるわけなので、全体として「崩壊」しているわけではないのでしょうが、本来は、まず自分自身の中できちんとチェックすべきことばかり……それを他の人から指摘されてる時点でアウトだ。信じられない……
しかし、こういうことばかりが重なっていくと、いつのまにかそれがフツーになっていくのではないだろうか……まさかとは思いますが、ちょっと心配になります。げんに、インターネットの世界では、もう著作権なんかあってないようなもので、いろんな文章や画像を勝手に引用しまくってはりつけて、そのことも明記せず……まあ、とりしまるにしてもあんまりにも広範囲になってるのでもうムリってことでしょうが。
ネットの世界に比べると、紙の出版物においては、まだ一応、守られているように見えます。しかし、今回のように、世界的にも影響力の大きい重要な論文で、どうどうとネットのノリでやっちゃった……みたいな現実を見せられると、なんか、人類のこれまで築いてきた「やっていいこと、いけないこと」の判断の壁ががらがらと崩れていく……みたいなふしぎな崩壊感におそわれて、不安になってきます。
ただ、今回の件の「摘発」もやっぱりインターネットのサイトで行われたということなので、結局ある程度「自主規制」みたいな働きは効いているのかもしれません。要するに、「ネットのノリ」で本来守るべきルールがズルズルになってしまったところもあるけれども、やっぱり「ネットのアミ」が広く細かいので、紙媒体だけだったら見過ごされていたような欠陥が、たくさんの人の目に触れることになった……
ということで、全体としては、「正義は保たれている」と考えるべきなんでしょうか……結局、なにが正しくてなにがまちがっているか……ということは、どんな社会でも基本的に変わらないと見るべきなのかもしれません。ネットが普及したからといって、人間そのものがそんなに変わるわけではないのか……ただ、ワッと広がってワッと指摘されて……というように、すべてが過激になっているのは感じますが……
それともう一つ感じるのは、地道に「鎖の輪を一つ一つつないでいく」ということがやりにくくなった社会だなあ……ということです。特に、研究の分野なんかだと、鎖の輪をきちんと順番につないでいかないと「結果」には至らないはず。引用のルールとか、画像掲載のルールとか……そのあたりは、「鎖の輪をつなぐ」ための初歩の初歩の技術(というかモラル)であったはずなんですが……
今回、最先端の研究をやってる(はずの)研究者が、それを軽々と無視して……しかも、それを無視したことの意味の重大性をあんまりわかってないように見える……そのことは、なんかオソロシイなあと思います。で、日本を代表する理系の研究所で、堂々とそれがまかりとおって国際舞台に出てしまった……日本の基礎研究のレベルって、ホントに大丈夫なんでしょうか……うわついているうちに、とんでもないことに……
まあ、日本に限らず、世界中でそうなんでしょうが、研究者に、まずは自分自身の中できちんと「鎖の輪をつなぐ」だけの余裕(資金的、時間的余裕)をあげることが必要なんじゃないか……せきたてられて、とりあえずでっちあげてだれよりも早く発表して、あとはネットでの「裁判」を待つ……という傾向は、どうみても健全とは思えない。今回、彼女は研究者生命の危機に立たされてしまったわけで……
彼女の研究内容自体は、私は非常に面白いと思うのですが……「変化」を、遺伝子レベルを操作することなく、フツーのバケガク手段でもたらす……これは、どこか、マクロバイオティックの桜沢如一さんの「生体内原子転換」と似ているような気がします。桜沢さんの場合は、「研究者」とは認められてなかったので、結局どこからも無視されて、ただ「叫び声」をあげただけで終わってしまったみたいですが。
生命に対する「研究」は、常に「全体」の方向から見ていくやり方と、どこまでも「細部」に分割して、それを積み上げていこうとするやり方と二つあって、「IPS細胞」は明らかに後者ですが、「STAP細胞」は常に「全体」を見ている前者からの発想のような気がします。まあ、この二つは、厳密には区別できないのだけれど、研究者の「姿勢」としては、明確にちがいがあるような気がする……
前者、つまり、「全体的に見ていこう」とするやり方は、どこか、「生命尊重」のような気分があって、私は好きです。桜沢さんの「生体内原子転換」もそうでしたが、分子レベル、原子レベルで「基本法則」が見つかったとしても、それが「生命全体」に、つねに、きちんと、きれいにつながっていなければならない……これは、いつも「全体的観点」を失わないということで、大事なことのように思える……
うまく言えませんが、「STAP細胞」の持つ「革新性」は、そこのところを壊してないところにあるのではないか……「遺伝子レベルの操作」が「酸に浸す」というカンタンなものに還元されてしまう醍醐味は、どこか「全体に抱かれる」というリラックス感につながるようなものがある……そんな風にかんじますが……しかし、それには、それなりの欠点もあって……それは「職人ワザ」になりやすいということかな。
特許の出願なんかでよく見られるのですが、ときどき「職人ワザ」を持ちこむ人がいる。こういう場合、プロセスをうまく分解して説明することができないし、「数値限定」なんか、むろん不可能……「このときの角度は何度から何度くらいなんですか?」とたずねても、「そんなもん測ったこともないし……とにかく、やりゃあなるんだ!」ということで、みごとに「全体」は保たれているのですが……
神ワザ、職人ワザというものは、そこに常に「全体」があるかわりに「細部」に分割することがむずかしい……ということは、その人にはできても、他の人が「再現」することができない……ということで、「科学」とは最もソリがあわない、やっかいな領域です。今回の「STAP細胞」がそういう「職人ワザ」に類するものであったかどうかはわかりませんが、「鎖の輪をつなぐ」という作業とはちょっと仲が悪そう……
だからといって、今回のような「初歩的段階」でのあのようなずさんさは許されるものではないと思いますが、彼女の中に、根本的に、「職人気質」みたいなものがあって、全体を大切にするあまり細部にこだわらないというか、「手続き」の部分をおろそかにする……そういう傾向が、基本的にあったんじゃないか……そんな風に思われる……本質ができてれば、些事瑣末の部分はいいんじゃないの?という……
ところが……研究って、やっぱり100%が「手続き」で、その手続きの鎖の輪を、コツコツと丹念につないでいく……その最終的なゴールとして、はじめて「結果」が出るものだと思います。なので、「手続きの検証」の部分をすっとばして、それを結果的に「ネットの審判」にゆだねてしまった今回の事件は、やっぱり健全な目からみると「崩壊」としかいいようがない……
「鎖の輪」を、一つもとばすことなくつないでいく「訓練」と、それがきちんとできるための「雰囲気」は大切だなあ……と思います。「全体」を常に考える方向の研究だと、つなぐべき「鎖の輪」は、細部だけをやる研究に比べてはるかに膨大なものになると思うけれど、それを、じっくり腰をすえてやれるだけの「環境づくり」はだいじなことではないか……勝ち負けじゃなくて、本質部分で「鎖の輪」をつなぐ……
そういうことが、今のABくんが先頭になってさわいでいる日本という国では、なんだかできにくくなってる感じが強くします。「強い日本を取り戻せ」とか、勝手に言ってる分にはいいんですが、国民がみなソレに踊らされて、腰は浮きアタマは一方向に酔っぱらって、「ホントにだいじなもの」がわからなくなってるんじゃないか……なんでそんなにせきたてられてあわてるのか……
研究者に、「地道に鎖の輪をつなぐ」というあり方を許さないような社会は、やがて自己崩壊すると思ます。
今回、彼女は、いくつか、中学生でもやらない(やってはいけない)ようなマチガイをやってるわけですが……他人の論文の無断引用、ネットの文章のコピペ(で、コピペであることも示さない)、自分の別論文の画像の使い回し(で、そのことを明記しない)、さらに、キモになる画像で、結果に合うように画像加工……これ、論文……というか、普通の書類でも、発表を前提とした場合には絶対に避けなきゃならないことばかりだ……
ちょっと信じられません。指導教官はなにやっとったんだー……ということですが、彼女はもう独立した研究者としてやってるんだから、厳密にいうなら「指導教官」はいないんでしょう。今は。でも、過去にはいたはず。で、こういう不正を見逃して、博士の学位まで与えてしまった……その先生方は、いったいなにをやっとったんでしょう。ちゃんと教えないとダメじゃないんでしょうか……あまりにもヒドすぎ。
なので、この件は、彼女のモンダイだけじゃなくて、その背景に、なんか「研究リテラシーの崩壊」みたいなものを感じます。彼女は、日本の研究機関だけじゃなくて外国の研究機関も経験しているみたいなので、この崩壊は、日本のモンダイにとどまらず、世界的なモンダイなんでしょうかねー……としたら、これはタイヘンなことのような気がします。そしてこれは、インターネットの発達とも無関係じゃない気も……。
まあ、私は、絵描きであって研究者ではないので、研究の世界のことはよくわからないのですが……でも、素人目でみてもヒドすぎ。信じられないずさんさ……まあ、各方面から指摘があって今の大問題になってるわけなので、全体として「崩壊」しているわけではないのでしょうが、本来は、まず自分自身の中できちんとチェックすべきことばかり……それを他の人から指摘されてる時点でアウトだ。信じられない……
しかし、こういうことばかりが重なっていくと、いつのまにかそれがフツーになっていくのではないだろうか……まさかとは思いますが、ちょっと心配になります。げんに、インターネットの世界では、もう著作権なんかあってないようなもので、いろんな文章や画像を勝手に引用しまくってはりつけて、そのことも明記せず……まあ、とりしまるにしてもあんまりにも広範囲になってるのでもうムリってことでしょうが。
ネットの世界に比べると、紙の出版物においては、まだ一応、守られているように見えます。しかし、今回のように、世界的にも影響力の大きい重要な論文で、どうどうとネットのノリでやっちゃった……みたいな現実を見せられると、なんか、人類のこれまで築いてきた「やっていいこと、いけないこと」の判断の壁ががらがらと崩れていく……みたいなふしぎな崩壊感におそわれて、不安になってきます。
ただ、今回の件の「摘発」もやっぱりインターネットのサイトで行われたということなので、結局ある程度「自主規制」みたいな働きは効いているのかもしれません。要するに、「ネットのノリ」で本来守るべきルールがズルズルになってしまったところもあるけれども、やっぱり「ネットのアミ」が広く細かいので、紙媒体だけだったら見過ごされていたような欠陥が、たくさんの人の目に触れることになった……
ということで、全体としては、「正義は保たれている」と考えるべきなんでしょうか……結局、なにが正しくてなにがまちがっているか……ということは、どんな社会でも基本的に変わらないと見るべきなのかもしれません。ネットが普及したからといって、人間そのものがそんなに変わるわけではないのか……ただ、ワッと広がってワッと指摘されて……というように、すべてが過激になっているのは感じますが……
それともう一つ感じるのは、地道に「鎖の輪を一つ一つつないでいく」ということがやりにくくなった社会だなあ……ということです。特に、研究の分野なんかだと、鎖の輪をきちんと順番につないでいかないと「結果」には至らないはず。引用のルールとか、画像掲載のルールとか……そのあたりは、「鎖の輪をつなぐ」ための初歩の初歩の技術(というかモラル)であったはずなんですが……
今回、最先端の研究をやってる(はずの)研究者が、それを軽々と無視して……しかも、それを無視したことの意味の重大性をあんまりわかってないように見える……そのことは、なんかオソロシイなあと思います。で、日本を代表する理系の研究所で、堂々とそれがまかりとおって国際舞台に出てしまった……日本の基礎研究のレベルって、ホントに大丈夫なんでしょうか……うわついているうちに、とんでもないことに……
まあ、日本に限らず、世界中でそうなんでしょうが、研究者に、まずは自分自身の中できちんと「鎖の輪をつなぐ」だけの余裕(資金的、時間的余裕)をあげることが必要なんじゃないか……せきたてられて、とりあえずでっちあげてだれよりも早く発表して、あとはネットでの「裁判」を待つ……という傾向は、どうみても健全とは思えない。今回、彼女は研究者生命の危機に立たされてしまったわけで……
彼女の研究内容自体は、私は非常に面白いと思うのですが……「変化」を、遺伝子レベルを操作することなく、フツーのバケガク手段でもたらす……これは、どこか、マクロバイオティックの桜沢如一さんの「生体内原子転換」と似ているような気がします。桜沢さんの場合は、「研究者」とは認められてなかったので、結局どこからも無視されて、ただ「叫び声」をあげただけで終わってしまったみたいですが。
生命に対する「研究」は、常に「全体」の方向から見ていくやり方と、どこまでも「細部」に分割して、それを積み上げていこうとするやり方と二つあって、「IPS細胞」は明らかに後者ですが、「STAP細胞」は常に「全体」を見ている前者からの発想のような気がします。まあ、この二つは、厳密には区別できないのだけれど、研究者の「姿勢」としては、明確にちがいがあるような気がする……
前者、つまり、「全体的に見ていこう」とするやり方は、どこか、「生命尊重」のような気分があって、私は好きです。桜沢さんの「生体内原子転換」もそうでしたが、分子レベル、原子レベルで「基本法則」が見つかったとしても、それが「生命全体」に、つねに、きちんと、きれいにつながっていなければならない……これは、いつも「全体的観点」を失わないということで、大事なことのように思える……
うまく言えませんが、「STAP細胞」の持つ「革新性」は、そこのところを壊してないところにあるのではないか……「遺伝子レベルの操作」が「酸に浸す」というカンタンなものに還元されてしまう醍醐味は、どこか「全体に抱かれる」というリラックス感につながるようなものがある……そんな風にかんじますが……しかし、それには、それなりの欠点もあって……それは「職人ワザ」になりやすいということかな。
特許の出願なんかでよく見られるのですが、ときどき「職人ワザ」を持ちこむ人がいる。こういう場合、プロセスをうまく分解して説明することができないし、「数値限定」なんか、むろん不可能……「このときの角度は何度から何度くらいなんですか?」とたずねても、「そんなもん測ったこともないし……とにかく、やりゃあなるんだ!」ということで、みごとに「全体」は保たれているのですが……
神ワザ、職人ワザというものは、そこに常に「全体」があるかわりに「細部」に分割することがむずかしい……ということは、その人にはできても、他の人が「再現」することができない……ということで、「科学」とは最もソリがあわない、やっかいな領域です。今回の「STAP細胞」がそういう「職人ワザ」に類するものであったかどうかはわかりませんが、「鎖の輪をつなぐ」という作業とはちょっと仲が悪そう……
だからといって、今回のような「初歩的段階」でのあのようなずさんさは許されるものではないと思いますが、彼女の中に、根本的に、「職人気質」みたいなものがあって、全体を大切にするあまり細部にこだわらないというか、「手続き」の部分をおろそかにする……そういう傾向が、基本的にあったんじゃないか……そんな風に思われる……本質ができてれば、些事瑣末の部分はいいんじゃないの?という……
ところが……研究って、やっぱり100%が「手続き」で、その手続きの鎖の輪を、コツコツと丹念につないでいく……その最終的なゴールとして、はじめて「結果」が出るものだと思います。なので、「手続きの検証」の部分をすっとばして、それを結果的に「ネットの審判」にゆだねてしまった今回の事件は、やっぱり健全な目からみると「崩壊」としかいいようがない……
「鎖の輪」を、一つもとばすことなくつないでいく「訓練」と、それがきちんとできるための「雰囲気」は大切だなあ……と思います。「全体」を常に考える方向の研究だと、つなぐべき「鎖の輪」は、細部だけをやる研究に比べてはるかに膨大なものになると思うけれど、それを、じっくり腰をすえてやれるだけの「環境づくり」はだいじなことではないか……勝ち負けじゃなくて、本質部分で「鎖の輪」をつなぐ……
そういうことが、今のABくんが先頭になってさわいでいる日本という国では、なんだかできにくくなってる感じが強くします。「強い日本を取り戻せ」とか、勝手に言ってる分にはいいんですが、国民がみなソレに踊らされて、腰は浮きアタマは一方向に酔っぱらって、「ホントにだいじなもの」がわからなくなってるんじゃないか……なんでそんなにせきたてられてあわてるのか……
研究者に、「地道に鎖の輪をつなぐ」というあり方を許さないような社会は、やがて自己崩壊すると思ます。
