メンデルスゾーンがバッハの復興に大いに力があった……特に、『マタイ受難曲』の復活初演をやった……ということは、よく知られているわけですが、では、その「メンデルスゾーンのマタイ」がどんなものだったのか……これは、楽譜を通じて推測するしかありませんでした。

メンデルスゾーンは、14才のときにおばあさんからバッハの『マタイ』自筆譜の写本をプレゼントされた。これ、スゴイお宝ですが、メンデルスゾーンの家は銀行家ということで、お金持ちだったんでしょう……で、このときにもらった楽譜をもとにして、20才のときに「復活初演」を果たすわけですが……

そのとき、彼は、かなりの改変を行ったといいます。曲数を3分の2に減らし、楽器も一部変更し、音符自体も少し書き換えてる。まあ「編曲」ということですが、そうしなければ、当時の聴衆には受け入れられないだろう……という事情もあったようです。なんせ、もろに19世紀なんで……

彼は、1829年にベルリンで初演を行い、1841年にバッハゆかりの地、ライプツィヒで再演をしています。両者、同じ楽譜ではなく、楽器も違い、曲数もライプツィヒの方が少し多いみたいです。ここにとりあげたディスクは、1841年のライプツィヒ再演版にもとづくものだそうで、収録は1992年、ドイツのケルンということです。

私は、神戸に友人がいるので、よく神戸に遊びにいきましたが……このディスクは、大震災の一年くらい前に神戸に行ったとき、三宮のCD店で「発見」しました。このお店は、他では売ってないような変わったディスクを置いてるところでしたが……これを見つけたとき、わが目を疑った……

そうか……「メンデルスゾーンのマタイ」も、演奏すれば聴けるんだ……しかし、実際にそれをやった人がおったとは……世の中、わからんもんです。スキモンです……うーん、これはもう、手に入れるしかないではないか……ということで、買ってしまいました。で、聴いてみてまたビックリ。

「メンデルスゾーンのマタイ」……もろ19世紀だし、ロマン派だし、もうめろめろに溶けて流れて……と思ってたんですが、意外やいがい……これはなんともスッキリした、ハッカ飴のような味わい……いや、これはどうして……意外にいけるかも……いやいや、もしかしたらこれはかなりの名演ではなかろうか……

とにかくテンポ、速いです。マクリーシュ盤にむしろ近いくらいのさわやかテンポで迫ります。で、こだわらない。かちっとまとまって輪郭線がキレイ……合唱も厚くなく、すっきりさわやかで、独唱がまた力があって、管弦楽もその位置を心得てたくみに合唱、独唱をサポートしている……これは、いけるんじゃ……

やっぱり録音が新しいからかな? とも思ったんですが、いろいろ解説をみると、指揮者のクリストフ・シュペリングさんは、「史料に基づいて」このテンポを採ったということ。要するに、メンデルスゾーン自身がこのテンポでやってたんじゃ! ということのようです。うーん……そうすると、またイメージ、変わるなあ……

ということで、ここから先は推測ですが、19世紀そのものよりも、もしかしたら20世紀前半の方が、より「19世紀」らしかったんではなかろうか……これは、ヘンな言い方ですが、とくに19世紀も前半は、今、われわれが想像しているような「19世紀」とはちょっと違ってたんじゃなかろうか……とも思うのでありますが……

トーマス・マンに『ファウストゥス博士』というやたらに長い小説がありますが、これを読むと、マンが、19世紀に対して強烈なあこがれを抱きつつも、もうどうしようもなく20世紀という新しい世界を、前に、進まなくちゃならないなあ……という「途方に暮れ感」が濃厚に漂ってます。ある意味、だだっ子みたいに……

過ぎ去った19世紀という世界を懐かしがってる。時をねじまげて戻したい……そんな、ないものねだりの思いが渦巻いて、小説全体が「19世紀病」に浸食されてしまっている……メンゲルベルクの『マタイ』にも似たようなものを感じましたが……それにくらべて、このシュペリング版「メンデルスゾーンのマタイ」のさわやかなこと……

ものごとって、ふしぎですね。去っていったもの、二度と帰らないものは、過剰に美しく見える。人の人生でもそうですが、人類の歴史においてもそういうことはあるのかな……「19世紀病」を残酷に打ち砕いたものは、二度の世界大戦でしたが、それでもまだ完治?せず……いや、大戦自体が、「19世紀病」の結果だったのか……

いずれにせよ、これから先、やっぱり人は、この「19世紀病」をなんとかしなくてはならない。都知事選の候補者で、「ゲンパツは19世紀のテクノロジー」と言った人がいましたが、あそこの部分だけは「名言」だ……ゲンパツも宇宙開発も、結局「19世紀病」のただれきった結果なのかもしれません……

宇宙開発までおとしめるとなると、反発をおぼえる方もおられるかもしれないけれど、私には、その2つを含めて、人類の科学技術の根幹そのものが、やはりまだ、「19世紀」にどっぷり浸かってると思えます。にもかかわらず、IT技術だけは英語にのっかって世界中に繁殖拡大の一途……これ、どーなるんでしょーね……

かつて、キリスト教は、ギリシア語とラテン語という「2大国際語@古代」にのっかって世界中に拡散しましたが……今は、英語にのっかったIT技術がキリスト教のかわりに世界を席巻してるのか……「19世紀病」とは別の範疇から出てきたものであることは確かだと思いますが、はたしてどう位置づけられるのか……

で、この、クリストフ・シュペリングさんの「メンデルスゾーンのマタイ」に戻りまして……今、聴きながら書いているのですが、やっぱり名盤だと思います。キワモノではなく、「バッハのマタイ」の演奏として、かなりアタリじゃないでしょうか……今、手に入るかどうかはわかりませんが、一応CD番号を。<OPS-30-72/73>

なお、「メンデルスゾーンのマタイ」には、もう一枚、ディエゴ・ファゾリスという方がスイス放送合唱団、管弦楽団を指揮したディスクがあるそうですが、これは持ってないのでなんとも言えません……ちなみに、CD番号は<assai 222312-MU702>だそうです。楽譜は、シュペリング盤同様1841年ライプツィヒ再演時のものとか。