Lasst ihn, haltet, bindet nicht !
バッハの『マタイ受難曲』第一部の終わりに出てくる言葉です。「イエスを放せ、よせ、捕えるんじゃない!」激しい音程跳躍をもって、合唱が突き刺すように歌うこのフレーズ……
バッハの『マタイ受難曲』というと、やっぱりいちばん有名な場面は、「ペテロの否認」とそれに続くアルトのアリア……「鶏が鳴く前に、おまえは私のことを三度、<知らない>というだろう」……イエスのこの言葉が現実となり、ペテロはイエスを三度も否認する。すると鶏が鳴き……ペテロは、自分の極端なダメ男ぶりに驚愕し、悲嘆にくれる……メンゲルベルク盤で、「観客のすすり泣きが聴こえる」という都市伝説?がある、有名な箇所……
私も、むろんここがやっぱりいちばんのキモというか、聞かせどころだと思います。でも、私の耳に残ってしまったのは、イエスがゲッセマネでの祈りを終えると、裏切り者のユダに導かれた兵士がやってきて、イエスを捕えようとする場面……そこで、合唱で鋭く入る、この言葉。「ラスティン、ハルテット、ビンデット ニヒト!」
この箇所が私の中で残ってしまったのには、理由があります。私は、昔から、NHKの朝の6時からやってる『バロック音楽の楽しみ』のファンで、けっこう聞いています。以前は、皆川達夫さんと服部幸三さんが、交代で司会を勤めて、まだレコードが少なかったこのジャンルの音楽をたくさん紹介してくださいました。その中で、皆川さんの回で……
もう名前は忘れましたが、オランダのミュージシャンをゲストに呼んで対談をされたことがあった。ゲストの演奏家は、バッハなどバロック音楽をジャズ風に奏する方で、対談は英語で行われ、皆川さんがすぐ日本語に翻訳してわれわれに聞かせてくださるという形で進んだ……そして、そのミュージシャンの演奏で、『マタイ受難曲』の、あの、「イエスの捕縛」のシーンが奏されました。
演奏の後、彼は英語で喋りはじめる。突然、あのフレーズ「ラスティン! ハルテット! ビンデット ニヒト!」を、彼はハミングで歌い、すぐに話を続けるが、どうしたことが、ドイツ語になってる……おそらく、歌詞ぬきでハミングしても、彼のアタマの中ではドイツ語歌詞が響いて、「ドイツ語スイッチ」が入ってしまったらしい。そのあと、彼はずっとドイツ語で喋り続ける……
オランダの方って、自国語の他に、英語とかドイツ語とか、自由に喋れる人が多いみたいですね。彼もそうで、まったく違和感なく自然にドイツ語で喋ってる……で、かなり喋ったあとで「あ、ボク、ドイツ語でしゃべっちゃってるけど、大丈夫?」みたいなことをいう。よくわからないけど、そのニュアンスは伝わってきました。
なんと……自分では、「ドイツ語スイッチ」が入っちゃったのに全然気づいてなかったらしいんですね。彼の中では、どっちでもまったく一緒なんだ……で、これを受けて皆川さんもドイツ語に切り替えて「ぜんぜん大丈夫ですよ、ドイツ語でいきましょう」という。それで、そこからはドイツ語での対話に……
ところが……ミュージシャンの方は、すらすらドイツ語が出てくるんですが、皆川さんの方は、ドイツ語で喋りはじめても、いつのまにか英語が挟まってくる。で、またあわててドイツ語に戻す……けれども、また英語になる……ということで、ミュージシャンの方が苦笑い……で、結局英語の対話に戻したように記憶しています。
言葉って、ふしぎですね。音楽で転調するみたいに、自然に英語とドイツ語が切り替わってしまう……実は、これと似た経験がもう一つあります。舞台は、大阪のとある喫茶店……私は、友だちと喋っていたんですが、となりのボックス席で、中年の女性二人が喋ってる……聞こえてくる言葉は、どうもハングルのようです。
私は、ハングルはまるでわからないので、むろん内容はまったくわかりません……で、しばらく友人と喋っていて、気がつくと、お隣で喋ってる内容がわかるようになってる……え!ハングルわかるようになったんかいな? とびっくりしたけれど、それは、なんと、フツーの大阪弁でした。いつのまにか大阪弁の対話になってる……
それで、また、しばらくするとハングルの対話に……あのお二人は、ハングルと大阪弁のバイリンガルなのか……おそらく、なにかの言葉をきっかけにして、「転調」が起こってしまうんでしょうが、しゃべってるお二人は、まったくそんなこと意に介さずに延々と喋り続けてます……2言語を自由に使って。
つくづく、言葉って、不思議だなあと思います。私は外国語が喋れないので、オランダのミュージシャンや大阪のあの二人のオバハンの心境はうかがうすべもありませんが……はたで聞いてると曲芸みたいなことを、まったく意識せずに自然にやってる
……すごいなあと思いました。
というわけで、私の中では、『マタイ』の条件反射みたいに、あのフレーズが残ってしまったのでした……
バッハの『マタイ受難曲』第一部の終わりに出てくる言葉です。「イエスを放せ、よせ、捕えるんじゃない!」激しい音程跳躍をもって、合唱が突き刺すように歌うこのフレーズ……
バッハの『マタイ受難曲』というと、やっぱりいちばん有名な場面は、「ペテロの否認」とそれに続くアルトのアリア……「鶏が鳴く前に、おまえは私のことを三度、<知らない>というだろう」……イエスのこの言葉が現実となり、ペテロはイエスを三度も否認する。すると鶏が鳴き……ペテロは、自分の極端なダメ男ぶりに驚愕し、悲嘆にくれる……メンゲルベルク盤で、「観客のすすり泣きが聴こえる」という都市伝説?がある、有名な箇所……
私も、むろんここがやっぱりいちばんのキモというか、聞かせどころだと思います。でも、私の耳に残ってしまったのは、イエスがゲッセマネでの祈りを終えると、裏切り者のユダに導かれた兵士がやってきて、イエスを捕えようとする場面……そこで、合唱で鋭く入る、この言葉。「ラスティン、ハルテット、ビンデット ニヒト!」
この箇所が私の中で残ってしまったのには、理由があります。私は、昔から、NHKの朝の6時からやってる『バロック音楽の楽しみ』のファンで、けっこう聞いています。以前は、皆川達夫さんと服部幸三さんが、交代で司会を勤めて、まだレコードが少なかったこのジャンルの音楽をたくさん紹介してくださいました。その中で、皆川さんの回で……
もう名前は忘れましたが、オランダのミュージシャンをゲストに呼んで対談をされたことがあった。ゲストの演奏家は、バッハなどバロック音楽をジャズ風に奏する方で、対談は英語で行われ、皆川さんがすぐ日本語に翻訳してわれわれに聞かせてくださるという形で進んだ……そして、そのミュージシャンの演奏で、『マタイ受難曲』の、あの、「イエスの捕縛」のシーンが奏されました。
演奏の後、彼は英語で喋りはじめる。突然、あのフレーズ「ラスティン! ハルテット! ビンデット ニヒト!」を、彼はハミングで歌い、すぐに話を続けるが、どうしたことが、ドイツ語になってる……おそらく、歌詞ぬきでハミングしても、彼のアタマの中ではドイツ語歌詞が響いて、「ドイツ語スイッチ」が入ってしまったらしい。そのあと、彼はずっとドイツ語で喋り続ける……
オランダの方って、自国語の他に、英語とかドイツ語とか、自由に喋れる人が多いみたいですね。彼もそうで、まったく違和感なく自然にドイツ語で喋ってる……で、かなり喋ったあとで「あ、ボク、ドイツ語でしゃべっちゃってるけど、大丈夫?」みたいなことをいう。よくわからないけど、そのニュアンスは伝わってきました。
なんと……自分では、「ドイツ語スイッチ」が入っちゃったのに全然気づいてなかったらしいんですね。彼の中では、どっちでもまったく一緒なんだ……で、これを受けて皆川さんもドイツ語に切り替えて「ぜんぜん大丈夫ですよ、ドイツ語でいきましょう」という。それで、そこからはドイツ語での対話に……
ところが……ミュージシャンの方は、すらすらドイツ語が出てくるんですが、皆川さんの方は、ドイツ語で喋りはじめても、いつのまにか英語が挟まってくる。で、またあわててドイツ語に戻す……けれども、また英語になる……ということで、ミュージシャンの方が苦笑い……で、結局英語の対話に戻したように記憶しています。
言葉って、ふしぎですね。音楽で転調するみたいに、自然に英語とドイツ語が切り替わってしまう……実は、これと似た経験がもう一つあります。舞台は、大阪のとある喫茶店……私は、友だちと喋っていたんですが、となりのボックス席で、中年の女性二人が喋ってる……聞こえてくる言葉は、どうもハングルのようです。
私は、ハングルはまるでわからないので、むろん内容はまったくわかりません……で、しばらく友人と喋っていて、気がつくと、お隣で喋ってる内容がわかるようになってる……え!ハングルわかるようになったんかいな? とびっくりしたけれど、それは、なんと、フツーの大阪弁でした。いつのまにか大阪弁の対話になってる……
それで、また、しばらくするとハングルの対話に……あのお二人は、ハングルと大阪弁のバイリンガルなのか……おそらく、なにかの言葉をきっかけにして、「転調」が起こってしまうんでしょうが、しゃべってるお二人は、まったくそんなこと意に介さずに延々と喋り続けてます……2言語を自由に使って。
つくづく、言葉って、不思議だなあと思います。私は外国語が喋れないので、オランダのミュージシャンや大阪のあの二人のオバハンの心境はうかがうすべもありませんが……はたで聞いてると曲芸みたいなことを、まったく意識せずに自然にやってる
……すごいなあと思いました。
というわけで、私の中では、『マタイ』の条件反射みたいに、あのフレーズが残ってしまったのでした……
