原子力って、やっぱりヤだなあ……と思います。最近、私の住んでいる地方では、中電さんの異常に長いCM?が流されることがあって、そこでは、ほんとにひっそりと、それとなく、「原子力」を「ベース電源」と位置づけている。ああ……いよいよはじまったなあ……と思う。この国の崩壊……なぜ、人は、教訓を学ぼうとしないのか……
私は、原子力って、ぶきみで気持ち悪くてヤだなあ……と思うんですが、それを言っても、それは単なる「感じ」だとか「イメージ」にすぎないと言われる。まあ、要するに「現代科学の世界」に通用するリクツじゃないってことですね。「未開人」がダダをこねてるにすぎない……これまで、だいたい、反原発っていうと、そんな感じで見られてきた。
それで、反原発の方々もいろいろ勉強して、放射能のコワさだとか活断層とかいろいろ言うわけですが……それは相手も専門家なので、倍以上のリクツで返してくる。やたら数式を並べ立てて……そうなると、こっちは素人なのでやられてしまう。素人の感じるぶきみさとかコワさは数式にすることはできないので、やっぱり単なる感じでしょ? ということに。
でもね、自然は正直だなあと思います。専門家がどれだけ数式を並べようが、きっちり「事実」で返してくる。私たちが感じる「イメージ」にぴったり合った返答……新しい年になって、再稼働 → 推進と、流れは加速されていくのでしょうが、最後は自然が「答」を出してくれる。そして、その「答」は、われわれ全員が受けなければならない……
私は、ここに、人間の科学技術というものにかんする根本的な欠陥を見る気がします。まあ、科学技術というより、人間の考えること全般……なのかな。だいぶ昔のことですが、飛行機の設計をやってるという方のお話をきく機会がありました。その方は、そのころ、30代の半ばくらいで、ばりばりの現場技術者。私たちは素人で、その素人を前に自信たっぷり……
飛行機製作のもろもろを話される。で、話が終わって質疑応答の時間になったので、私はきいた。「飛行機の飛ぶ原理って、100%わかってるんですか?」すると、その方は、やっぱり自信たっぷりに「100%わかってます。」と答えられた。私は、「じゃあ、なぜ落ちるんですか?」ときこうかと思ったけれど、それはやめといたのですが……
結局、要はここだと思うんですね。100%! なぜ、そんなふうに思えるんだろう……その後、私は、いろんな技術者の方のお話をきく機会があったのですが、技術者の方ってみんなそんな感じでした。自分の分野については「絶対の自信」がある。迷ったり、自分を疑ったりしてる人はまず皆無。私なんかは迷いっぱなしなので、ホントにスゴイと思った。
それで、私は、感じたのですが……モノを作る人って、作るときに、その背景を疑ってはダメ。具体的な課題をかかげて、それをどういうふうに解決するか……それが解決されたら、こんどは次の課題に挑んでそれを解決する……これのくりかえしで進んでいく。課題は、極度に技術的な問題に絞られていて、その背景を考えることはしない。これが鉄則。
おそらく、原子力も、こんな風にして開発されてきたんでしょう。具体的な技術的課題を掲げてそれを解決する。放射能がイカンのであれば、それを封じる。ホントはなくせばいいのかもしれないけれど、それは現時点では「具体的な技術的課題」に分解することができないので、とりあえず実現可能な「いかにして封じこめるか」という課題を掲げてそれを解決する……
私は、ここで、原子力技術者と、原子核物理や素粒子論の方々との根本的な違いを見る気がします。原子核や素粒子の「理論」を研究している人たちは、やっぱり、古来から連綿として受け継がれてきた「物質の根本はなにか?」とか「この世界はどういうふうにできているのか?」という大きな課題に、なんとかアプローチしたいという意識が強い。これに対してゲンパツ技術者は……
やっぱり、いかにしたら原子から、効率的に、安全に、しかも経済的にエネルギーを得ることができるか……ということしか考えないわけです。この差は大きい……というか、なんか、これって、おんなじ人間の考えることなの???という気さえしますが……種として、はたして同一物なのか……地球の外から見たら、おんなじ知的生命体なんだけど、彼らは別種ではなかろうか……
私は、やっぱり、原子力は、もしやりたいなら、素粒子論の人たちが追求している課題が「100%」解決されてからにするべきだと思います。要するに、「物質の根元」や「世界の成り立ち」が、これ以上微塵も疑問の出ない「完全にわかった」地点までいって、はじめて「それを使う」ことができるのではないか……それまでは、どこまでいっても「魔法」と変わらない。
テクノロジーは進化すれば魔法とみわけがつかなくなる……と言ったのは、SF作家のA・C・クラークさんですが、それより以前に、テクノロジーは、結局「魔法」と同一の場所にいたということですね。ただ、「魔法」の場合にはなんらかのかたちで「世界観」というものがあるけれど、テクノロジーはそれを切り離した。あやふやなモンとは縁を切る!ってことで。
だから、テクノロジーは、ある面では、魔法の「退化形態」であるともいえる。常に足を引っ張ってきた「世界観の問題」は別の人に考えてもらうということにして、自分たちは、「課題の発見」から「課題の解決」までをきめ細かく分解して、一個一個を単純な技術的課題に還元して、それを積み重ねて一つの技術手段を実現することに専念すると……
まあ、明治から昭和のはじめころまでは、技術系の人でもカントとかデカルトとか読んでないと恥ずかしい……みたいな雰囲気もあったと思うんですが、今はそれも皆無。世界観との分離独立を完璧に果たしたテクノロジーの世界は、重しがとれてどこまでも宙に舞いあがることができる……ただし、彼らが切り離してしまったのは、大地、この世界の声でもある……
自然がきっちり答を出す、というのは、そういうことであると思います。そして、もうすでにバックするのには遅すぎる。分岐点を知らない間に過ぎてしまったテクノロジーの世界は、架空の世界観に酔ってどこまでも虚無の空へと上昇する……そこに、すべての人々の運命を道づれにして。これって、悲劇なんだけど、どこか喜劇的でもある。オソロシイ喜劇……
私は、原子力って、ぶきみで気持ち悪くてヤだなあ……と思うんですが、それを言っても、それは単なる「感じ」だとか「イメージ」にすぎないと言われる。まあ、要するに「現代科学の世界」に通用するリクツじゃないってことですね。「未開人」がダダをこねてるにすぎない……これまで、だいたい、反原発っていうと、そんな感じで見られてきた。
それで、反原発の方々もいろいろ勉強して、放射能のコワさだとか活断層とかいろいろ言うわけですが……それは相手も専門家なので、倍以上のリクツで返してくる。やたら数式を並べ立てて……そうなると、こっちは素人なのでやられてしまう。素人の感じるぶきみさとかコワさは数式にすることはできないので、やっぱり単なる感じでしょ? ということに。
でもね、自然は正直だなあと思います。専門家がどれだけ数式を並べようが、きっちり「事実」で返してくる。私たちが感じる「イメージ」にぴったり合った返答……新しい年になって、再稼働 → 推進と、流れは加速されていくのでしょうが、最後は自然が「答」を出してくれる。そして、その「答」は、われわれ全員が受けなければならない……
私は、ここに、人間の科学技術というものにかんする根本的な欠陥を見る気がします。まあ、科学技術というより、人間の考えること全般……なのかな。だいぶ昔のことですが、飛行機の設計をやってるという方のお話をきく機会がありました。その方は、そのころ、30代の半ばくらいで、ばりばりの現場技術者。私たちは素人で、その素人を前に自信たっぷり……
飛行機製作のもろもろを話される。で、話が終わって質疑応答の時間になったので、私はきいた。「飛行機の飛ぶ原理って、100%わかってるんですか?」すると、その方は、やっぱり自信たっぷりに「100%わかってます。」と答えられた。私は、「じゃあ、なぜ落ちるんですか?」ときこうかと思ったけれど、それはやめといたのですが……
結局、要はここだと思うんですね。100%! なぜ、そんなふうに思えるんだろう……その後、私は、いろんな技術者の方のお話をきく機会があったのですが、技術者の方ってみんなそんな感じでした。自分の分野については「絶対の自信」がある。迷ったり、自分を疑ったりしてる人はまず皆無。私なんかは迷いっぱなしなので、ホントにスゴイと思った。
それで、私は、感じたのですが……モノを作る人って、作るときに、その背景を疑ってはダメ。具体的な課題をかかげて、それをどういうふうに解決するか……それが解決されたら、こんどは次の課題に挑んでそれを解決する……これのくりかえしで進んでいく。課題は、極度に技術的な問題に絞られていて、その背景を考えることはしない。これが鉄則。
おそらく、原子力も、こんな風にして開発されてきたんでしょう。具体的な技術的課題を掲げてそれを解決する。放射能がイカンのであれば、それを封じる。ホントはなくせばいいのかもしれないけれど、それは現時点では「具体的な技術的課題」に分解することができないので、とりあえず実現可能な「いかにして封じこめるか」という課題を掲げてそれを解決する……
私は、ここで、原子力技術者と、原子核物理や素粒子論の方々との根本的な違いを見る気がします。原子核や素粒子の「理論」を研究している人たちは、やっぱり、古来から連綿として受け継がれてきた「物質の根本はなにか?」とか「この世界はどういうふうにできているのか?」という大きな課題に、なんとかアプローチしたいという意識が強い。これに対してゲンパツ技術者は……
やっぱり、いかにしたら原子から、効率的に、安全に、しかも経済的にエネルギーを得ることができるか……ということしか考えないわけです。この差は大きい……というか、なんか、これって、おんなじ人間の考えることなの???という気さえしますが……種として、はたして同一物なのか……地球の外から見たら、おんなじ知的生命体なんだけど、彼らは別種ではなかろうか……
私は、やっぱり、原子力は、もしやりたいなら、素粒子論の人たちが追求している課題が「100%」解決されてからにするべきだと思います。要するに、「物質の根元」や「世界の成り立ち」が、これ以上微塵も疑問の出ない「完全にわかった」地点までいって、はじめて「それを使う」ことができるのではないか……それまでは、どこまでいっても「魔法」と変わらない。
テクノロジーは進化すれば魔法とみわけがつかなくなる……と言ったのは、SF作家のA・C・クラークさんですが、それより以前に、テクノロジーは、結局「魔法」と同一の場所にいたということですね。ただ、「魔法」の場合にはなんらかのかたちで「世界観」というものがあるけれど、テクノロジーはそれを切り離した。あやふやなモンとは縁を切る!ってことで。
だから、テクノロジーは、ある面では、魔法の「退化形態」であるともいえる。常に足を引っ張ってきた「世界観の問題」は別の人に考えてもらうということにして、自分たちは、「課題の発見」から「課題の解決」までをきめ細かく分解して、一個一個を単純な技術的課題に還元して、それを積み重ねて一つの技術手段を実現することに専念すると……
まあ、明治から昭和のはじめころまでは、技術系の人でもカントとかデカルトとか読んでないと恥ずかしい……みたいな雰囲気もあったと思うんですが、今はそれも皆無。世界観との分離独立を完璧に果たしたテクノロジーの世界は、重しがとれてどこまでも宙に舞いあがることができる……ただし、彼らが切り離してしまったのは、大地、この世界の声でもある……
自然がきっちり答を出す、というのは、そういうことであると思います。そして、もうすでにバックするのには遅すぎる。分岐点を知らない間に過ぎてしまったテクノロジーの世界は、架空の世界観に酔ってどこまでも虚無の空へと上昇する……そこに、すべての人々の運命を道づれにして。これって、悲劇なんだけど、どこか喜劇的でもある。オソロシイ喜劇……

