空絵帳/SORAE-NOTE


宇宙の宇は空間、宙は時間を表すそうで、宇と宙で時空間、つまり、「時空間の全部」の意味なのだとか。これは、漢の『淮南子』(えなんじ)という書物に出てくるのだそうで、紀元前2世紀の言葉になる。英語では、cosmos、universe、space と3つの言い方があるようですが(それ以上あるかもしれなが、私はしらない)、cosmos はギリシア語起源、universe と space はラテン語起源のようです。

cosmos は「秩序」ということで、お化粧の cosmetic も類語らしい。要するに、秩序正しく整然と……ということで、昔のギリシア人には、宇宙がそのように思えたのでしょう。天界の星々の運行とか。universe は「一体化」で、universal(普遍的な)やuniversity(大学)が類語。そして space は「空間」、「散歩」、「時間」という意味の「spatium」からきているそうです。ドイツ語のspazieren 「散歩する」もこれに関連するのでしょう。

私たちの今のイメージでは、「宇宙」は「空間的な広がり」という意味が強くなっているようです。要するに「容れもの」。じゃあ、中にモノが入っていない状態で、この「容れもの」だけが存在するのか?という問いは昔からあったようですが、昔は、中にモノがなければ「容れもの」も存在しえないと考えた。それが、一旦近代科学で、モノと「容れもの」は無関係、つまり、モノがなくても「空間」はあると考えた。それが現代物理学でもう一度ひっくりかえって、やっぱりモノがないと「空間」もないと……??

空絵帳/SORAE-NOTE



ややこしいですね……ところで、私自身は、「宇宙」からは「黒」とか「冷たい」とかを連想します。昔みた『2001年宇宙の旅』の印象がけっこう強いのでしょうか……あの映画、今はもうない名古屋の「中日シネラマ劇場」というところで見たんですが、ものすごい巨大スクリーンで、横が30mくらいあって、湾曲してるんですね。前の方は強烈にみにくいのでがらがら。そのいちばん前の真ん中の席に座ってみたんですが、もうまわりはぜんぶ宇宙空間。

つまり、自分が真っ黒の宇宙空間にぽっかり浮かんでる状態。しかも、なぜか冷房がガンガン効いてて寒いさむい……これで、「宇宙」というと「黒くて寒いところ」という体感が刷りこまれてしまいました……「中日シネラマ劇場」は、話によると、当時世界最大のスクリーンだったそうですが(ホントかな?)、最初のうちは満員だったけれど、年々お客が減ってガラガラ状態に……それで経営の方もがらがらと崩壊……今はまた、けっこう大スクリーンがはやってるみたいですが。

空絵帳/SORAE-NOTE


ということで、宇宙にはあんまり行きたくないなあ……というか、なんか、だまされてるような気がするんですよね。もしかしたら、この地球という星がすべてなんじゃないかと……昔の地動説じゃないですが、星って、けっこうだいじだと思います。宇宙空間にある無数の星々の一つ……ではなくて、そこが絶対の場所。われわれの近代理性は無限にある星の一つだと認識せよ!とせまるけれど、どーしてもそーは思えない。地球は地球であって、もしかしたらわれわれにとっては「すべて」なのではないか……

と同時に、「宇宙」は、われわれの身のまわりのどこにでもあると思います。われわれの身体の中にも……最近、「超弦理論」で、物質の究極は「ふるえるひも」であり、そこは10次元になってる……ということらしいんですが、これには納得。なるほど……そういうことであれば、「物質の究極」は一種の「ゲート」なのでしょう。そこを通って、それこそいろいろな「宇宙」につながってる……「核力」というふしぎな作用は、もしかしたらそのまま「ゲート」の働きなのかもしれません。

そういうことになると、「宇宙」は、にわかに複雑な様相を呈してきます。もう、「モノがあるかないか」という次元ではなくて、モノそのものの究極の、奥の奥にまでかかわって「宇宙」の本質はある……人間の知性は、ときとしてごまかしの姿、「ウソ」を見せますが、私たちの本当の心は、実は、「本当のこと」をちゃんと知ってるんではないか……知性のゴマカシに騙されずにきちんと自分の心と身体の知っていることを知る……そうすると、ほんとに、おもいがけない姿の「宇宙」が見えるかもしれません。