公開して間もないので一応

以下ネタバレを含むので、まだ見てない人は回れ右して劇場に行ってそれから読んで下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アニメ1期2期で1年生だった久美子が2年生になり、再び全国を目指して吹奏楽部が動き出す。
原作からオーボエ、フルートが「リズ」に切り出されたらしいけど、あちらはどちらかと言えば静かな物語だったのに対してこちらはそりゃもう出だしから最後までドタバタと観てる方も息をつく暇もなかった。

1期2期も割とそうだったのだけど、人物の気持ちの揺れが、絵に乗り過ぎている。
アニメってもともと表現力に乏しい(実写に比べて)から、声優は絵に足りない情報を声に乗せないといけない。
だからそこそこ名のある俳優がやってもしっくりこないことがあるという話を聞いたことがある。
俳優が表情や目線、体の動きで表現しているものを声に乗せるということは自然な会話とは違って大げさな感じになると。

一方このアニメは絵の表す人物の心情表現にとことんこだわっていると感じる。
文章で言うところの「行間」がたっぷりと絵に乗っている、そんな感じ。
そうするとどうなるかと言うと、絵に乗ってる情報を最低限のレベルとして声の表現に求められる。
それでいて絵のもつ色から大きく外れないそんな演技が求められているように感じた。
分かりやすく例えると、電流イライラ棒のような高い精度で感情の揺れを表現することを求められているのだろうと。
乗せないと絵に負ける、乗せすぎると絵を壊す。
絵のクオリティが高い為、声の演技にも相応のものが求められる。
主だった声優が皆そういう繊細な演技を見事にされているので、これだけドキドキハラハラしながら観ることができたのだと思う。
そんなわけで久美子が駅で疲れ切った様子で「1年生めんどくさ~い」って言うのほんと分かるわって思った。観てても疲れたもん。

「胸が掴まれるような」シーンといえば、美鈴のシーンと奏のシーン。
一人で散々悩んで、割り切ったつもりでいても、やっぱり自分がやりたいこととの違いに戸惑い傷つき行き場を失っていた感情が、黄前相談所によって解きほぐされ、ぶちまけるところ。
思い通りにならないことは辛い、しんどい。
それを続けることに耐えられなくなった時、人は自分の心を守る為に「言い訳」を作って諦める。
でも、久美子のような、自分を見てくれている人、自分を知ってくれていると思える人がいると安心してまた一歩を踏み出すことができるのだろう。
そして、そんな作品に触れることで、また僕らも「言い訳」の殻を破ってまた歩こうという気持ちになれるんだろう。

身も蓋もない言い方になるかもしれないけれど、どうしようもないことって、絶対にあるしずっと無くならないし、生きて行く上では、どう上手に関わっていくか自分なりに答えを出していくしかない。
譲れないもの、諦めるもの。どちらにしても大事なのは自分が後悔しないことの1点に尽きるのかもしれない。



あすかが相変わらずでしたね。
登場の仕方もあすからしかったし、自分達がいることで部の和が乱れつつあること察知してさっと去るところも。

コンクールで奏のリボンが黒かったの何故なんでしょう?
画面見てて、あっ赤リボン、と思ったらホルンでえっ?ってなって良くみたら色が変わってた。
心情の変化かなと思ったらその後また赤に戻ってたし、原作でもその辺のことは書かれてなかったという話なので気になる。

帰りのバスで奏が「悔しくて死にそうです」って言って、麗奈やん!(1期1話)って思った。
吹奏楽に対する思いは麗奈に近いところがあるのかもしれない。

前年は全国行けたのに今回行けなかったのは何だろう?
知名度が上がって新入部員が増えたのに?2年前の騒動でたくさん辞めたことで3年生が少ないから?
2時間の枠というのもあるけど、部内のいざこざや結束力を上げるようなイベントに乏しかったという印象にどうしてもなってしまう。
だからこそ、次の年はメンバーもいい感じになり、2,3年の層も厚く、良い結果を期待できる気がするのだけど
劇場版タイトルに「フィナーレ」
なんでこの文字入れたの?どういう意図?
「誓いのフィナーレ」じゃなく実は「フィナーレ(来年)の誓い」なんじゃないの?
どうやら舞台挨拶でも、次やりたいみたいな発言も飛び出したようだし(許可とってると思うのよね、言っていいのか)
映画がそこそこ売れたらきっとやるだろうから「フィナーレ」が謎でもやもやする。
 

 

 

雨宮天さんのオタクなので最後に少し。
ご自身でも何度か、ほんとうに難しい役だったと言っておられて、確かにそうだなと思った。
上でも書いた、求められるレベルの高さもあるけれど、今まで演じた役は、ある程度何らかの属性に寄っていて、大きく外れることがないと思う。
振れ幅という点では、アクア様なんかが女神モードと駄女神モードで大きく振れるけど、あくまでコメディーとしての表現だった。


そういうんじゃなく、猫かぶりで礼儀正しいところであったり、情報通で世話焼きなところであったり、あざと可愛いところであったり、不信感を抱いていたり、挑発的であったり、裏切られたような気持ちであったり、諦めていたり、怒りであったり、開き直っていたり、悔しさを我慢していたり、少し打ち解けていたり、本当にいろんな感情、いやまさに青春が凝縮されたみたいだね。
これを演じきるのは本当に大変なことだったろうなと、お疲れさまでしたと。

続編があったとしても、ここまで大変なことにはならないと思うので、この『劇場版 響け!ユーフォニアム~誓いのフィナーレ~』が雨宮天の代表的な出演作と言って差し支えない素晴らしい作品になったと思います。