相手が思っているだろうことを察して言葉にしてしまうのは優しさじゃないかもしれない。
それは優しさではない。
優しさではない。
相手の思考力を落としてしまう。
自分が考え過ぎて気を使い過ぎて相手のために思考し過ぎてそれは相手のためにも自分のためにもならないんだ、、
ただ疲れてしまうし
自分が疲れていると相手も疲れてしまう
もっと、言葉だけでいいんだ
相手が発した言葉だけをちゃんと受け取る
そういう人って少ない。
みんな言外の言葉を好きなように解釈し、投影する
自分を見てくれていないと感じるだろう
言外のことを察して言葉にすると、それって洗脳なんじゃないだろうか。
それってもしかしたら相手のブリーフシステムというかセルフトーク、それが相手を縛っているものだとしてその縛りをさらにキツく締めてしまっているのではないか?
それって逆に相手を苦しめているのではないか?
私たちは移動を楽しむ。
強めて強めて
ネガティブでもポジティブでもそこにとどまっていては何も見えない
苦しい
動けない
それを善意でやってしまっていたのではないか
それは偽善だった
難しい
やっぱり相手のことを考えていると利他ではなくなってしまいがちだ。
自分のことだけを考えていて「エゴ」になること、あるんだろうか。
やっぱり逆だ。
慣れない
でも、慣れたい
自分は相手にとってどういう存在でありたいか?
両立が難しい。
はじめの一歩が肝心
どういう自分で人と関わりたいか?
人は毎回生まれ変わる
だから出会い直す
今までの「相手」と「自分」の関係性を捨てて、自分が更新する。
自分が、出会い直す。
第一印象が肝心。
パジャマで初めに出会ってるとスーツ着ててもパジャマの印象が強い
15歳で出会っていると23歳と感じること難しい
でも大丈夫
ちゃんと期間空けてるから
出会い直せる。
新しい私で出逢おう。
それはきっと楽しい時間になるだろう。
楽しめるだろう
今までの自分じゃない、最新の自分で出会えるだろう
どんな自分になりたい?