J医大に転院し、手術、一時退院までは3週間ほどで、
最初はICU、ひどい頭痛、高熱との戦いだったこともあって看護師さんと親密になることはなかった。
息子は、
前の病院がよかった、となかなか馴染めずにいたし、
私が一旦帰ることが決まっていたから1人になる不安もあり、
大部屋にも行きたくない、
ここ(個室)でいい、
と。
個室はとんでもなく高いこと、
付き添いしないのに個室のままなのは厳しいこと、を伝えて私が一旦離脱したあと大部屋へ移動。
結局、
ほぼ誰が誰かもよくわからないまま一時退院。
8月に化学療法のため再入院して、
私は何人か名前を覚えている看護師さんもいたけれど、息子はほぼ思い出せなくて(メガネが合ってなくてぼんやりとしかみえていなかったこともある)
久しぶりー!
と親しげに声をかけてくれた看護師さんにも
???
な息子。
私がいなくなったあと、
仲良くしてくれてた看護師さんだったようで、
え、うそ?
覚えてない?
と話をしていて、
あ、宮崎の、とやっと記憶がつながった息子。
宮崎出身の、
まだ20代前半?半ば?のFさん。
明るくて、
話しやすくて、
この入院から本退院まで、
息子が一番心を開いていた看護師さん。
息子の話を1番聞いてくれていたし、
病気とも治療とも関係ない話をよくしていた。
息子は、
賄賂、
と言ってよくお菓子を渡したり。
プライマリーになることはなかったけれど、
ナースコールでFさんが来てくれると嬉しそうに話をしていた。
1人の看護師さんの受け持ち患者数は多く、
息子に構っている時間はないはずなのに
それでもよく話してくれた。
最後の入院でプライマリーだったIさんも、
若いのに注射がすごくうまくて、
優しい看護師さんだった。
他の看護師さんも
◯くん!◯くん!と息子によく話しかけてくれていたし、
息子も何人もお気に入りの看護師さんがいた。
人懐っこい息子の性格故えだけれど、
本当によくしてもらった。
歳の近い看護師さんたちが、
学校に行けない息子の、
友達の代わりだったと思う。
中には、
私でも、
は?と思う看護師さんもいて、
息子と、
アイツ嫌いやわ、
とか話したりしていたけれど、
本当に色んな人に支えられた。
Fさんは
息子が本退院する時、
3月末で仕事を辞める、と話していたようなので
多分もうJ医科大にはいない。
かなり緩和されたといえまだ面会制限もあるし、
病棟へ顔を出すこともできないので、
あの頃お世話になった看護師さんの誰にも退院以来会えてない。
会って、
元気な姿を見せたいな、
会って、
元気を貰って息子の気持ちを少しでもあげたいな、と思うけれど、
叶わない。
退院の時、
息子は看護師さんやリハビリ担当さん、かなりの数の人と記念に写真を撮ってもらっていた。
写真の中笑顔で映る息子が
入院中よくしてもらった証でもある。
看護師さんだって人間で、
看護師、は仕事で、
3軒の病院への入院で、
寄り添ってくれる看護師さん、
こちらの意見を聞いてくれず、
自分が正しい、と思っている看護師さん、
いろんな人をみた。
お前が看護師でええんか?と言いたくなる人もいた。
けれど、
素晴らしい看護師さんにも会えて、
息子の入院中のストレスは緩和された。
病気はドクターが治してくれても、
心のケアまでは手が回らない。
私が付き添えない間、
息子に寄り添って、
友達のように接してくれたFさんを始め
何人もの看護師さん。
これから先も、
そのままでいてほしい。