2022.1.5
午前中に行った眼科で脳外科へと言われ、
自宅に戻ったのは午後。
脳外科、と言われて思いつくのは市民病院と他2軒。
市民病院は基本紹介状がいるし、午前で受付は終了している。
夕方に近いこの時間に行けるとしたら、と考えて、2軒のうち大きい方の脳外科へ向かった。
受付で問診を書く、
その間も息子は立っていることさえきつそうだった。
悩んで、県外に出ましたか?にマルをした。
(コロナ禍)
受付の方に、
県外に出られた方は2週間経ってからしか診察できません、と言われた。
眼科から脳外科へ行くようにと言われたこと、
物が二重に見える状態が何ヶ月も続いていること、
頭痛がひどいことを再度伝えた。
医師に確認しますので外でお待ちください、と言われて、しばらく待っていると、
やっぱり二週間後に、と言われた。
本当に伝えたのだろうか?
形だけだったのだろうか?
分からないけれど、本当に症状を話して2週間後なと言ったなら、ヤブ医者だ。
普通の脳外科医なら早急にMRIが必要なのがわかるはずだ。
今すぐ脳外科医を辞めてほしい。
と今でも思う。
都会ではもっと選択肢もあるし、
もっとちゃんとした医師がいる。
地域格差は広がるばかりな気がする。
せめて実家にいる間に、
関西で病院に行くべきだった。
しんどい息子を連れて行って、
追い返されただけで、
申し訳なくなった。
それでも、
明日別の病院行くからね!と息子に約束して、
次の日個人の脳外科に行くことにした。
この時、市民病院を選んでいたらなにか変わったのだろうか......
息子は、
あまり食べることもできず、
頭痛薬を飲んで、効いてる間だけ眠る。
それでも私はまだ、
脳腫瘍なんて思いもしなかった。
そして次の日。
悪夢の始まりの1.6
午前中に息子を連れていった。
もう、県外に出たことは話さなかった。
予約枠が午後から一つだけ空いていてなんとかその枠に入れてもらえた。
一度家に帰り、
午後から診察に向かった。
悪夢の始まり。
場所が悪いので手術はできません。
化学療法も放射線も効かないと思います。
どこに行ってもどうにもできないと思います。
お母さん、
覚悟してください。
急変したら、すぐに救急車を呼んでください。
今でも、
この言葉は私の中で消えることはない。
震える手を押さえながら、
息子には笑顔で、
大きい病院で詳しく調べるんやって。
と話した。
急変の可能性があるのに
なぜ大学病院はすぐに受け入れてくれないのか。
急変ってなに?
急変てどうやったらわかるの?
頭の中がぐちゃぐちゃになりそうになりながらも、
学校への連絡や、
旦那、母への連絡。
病院とネイルのキャンセル、
なぜか全てを冷静にこなした。
多分、現実逃避していた。
頭が、脳腫瘍という事実を拒否し、
感情がなくなった気がした。
私がなんとかしないと、
私が!
私が!
と。